石渡夕子
灯夜は軽く頭を振ると、他の五人を探すため、静流たちのことを今は、忘れることにする。いつか必ず会うことになるはずだから。
すぐそこにある目的の女子トイレに向かうと、迷うことなく扉を開けた。視界に入ってきたのは、隅で膝を抱えて座る少女の姿だった。
灯夜が入ってきたことに気付いていない。
同じ場所に留まってはいないだろうと思っていただけに、少し驚いた。どうやら、今まで動かず、そこにいたらしい。こっちとしては有り難いが、どうしてこの場に留まっていたのか不思議に思った。だが、そんなことは話を聞けば分かること。
近くまで寄ると、肩を叩く。顔を上げはしたが、相手は呆然としたままだった。
しゃがみ込んで目の高さを合わせる。
「石渡夕子……?」
返事が返ってこない。
「話がしたいんだけど、できれば……」
返事を、と言おうとして言えなかった。彼女が抱きついてきたのである。
灯夜の胸に顔を押し付け、泣き始める。どうすることもできず、夕子が泣き止むのを待つしかなかった。
どれくらい経ったのだろうか、彼女はやっと泣くことを止めた。肩を掴み、離れさせる。
灯夜のワイシャツは涙に濡れていた。
彼女が落ち着きを取り戻すと、声を掛ける。
「もう一度聞くけど、石渡夕子なの?」
コクコクと頷く。
「どうしてこっちへ?」
今度は首を横に振るだけだった。
「じゃあ、神凪の居場所とか、そういうの知ってる?」
神凪という単語に激しく反応したと思うと、急に震え出した。目には恐怖と罪悪感が渦巻いている。
なにか知っている様子だったが、この怯えようでは、話を聞くことを不可能だった。
「なんで、この場所にずっといたの?」
「……出ようとしたけど、出れなかった」
初めて聞いた声は、蚊の鳴くような声だった。
「本当に?僕は簡単に入れたよ」
「本当よ!出られなかったんだもん!」
突然大声を出したかと思うと、すぐに縮こまる。
「……ごめんなさい」
灯夜はため息をつき床に座る。鞄を開け、中から買っておいた水とパンを渡した。
「食べて」
最初こそ戸惑っていたが、空腹に負けたのか、やがて食べ始めた。本人は空腹を満たすべく、それなりの速さで食べているようだったが、灯夜から見ると十分遅かった。
本当は静流の話を聞けなかった時点で、夕子を置いていくつもりだったが、そういう訳にもいかない。それに、精神の方は比較的安定しているため、時間が経てば、話を聞ける可能性もあった。
与えた食料をすっかり食べ終えると、安堵していた。
「あの、ありがとう」
「それはいいよ。それより、聞きたいことがあるんだ。どうやってこっちの世界へ来たの?」
「分からない。ただ、鏡の前で髪を結ってたら、いきなり鏡が光ったの。そしたら、体が宙に浮いて吸い込まれた。それで、気が付いたらここに閉じ込められてたの」
「閉じ込められてたって、ドアが開かないなら『力』を使って壊せばいい。どうして、そうしなかったの?」
「やろうとした。でも、『力』を使うことができなかったの。何度やってもだめだった」
静流の情報は、まだ得ることができないが、この世界のことを少しだけ知ることができた。
灯夜はおもむろに立ち上がる。
「どこに行くの?」
「他の連中を探しに行く。なにか知ってるかもしれない」
時間が惜しいとばかりに歩き出す。
「待って!私も行くから置いていかないで」
「好きにすればいいよ」
二人が廊下に出ると、階段を降りる。
夕子は、そっと制服の袖を掴みながらついてくる。
「どこに向かってるの?」
「部室棟」
灯夜は夕子との会話を極力避けている。本来なら、話したくもない相手と話すことはしないが、状況が状況だけに仕方がなかった。
「あの、さっきから下に着かないよ」
いくつもの階段を降りてきたが、いっこうに着く気配はない。
「やっぱり、ここ、おかしいよ。他の子がいるなら心配だけど、ここは私たち二人で帰ろう!方法もきっと見つかるから」
ゆっくりと顔を横に向ける。
「それはできない。僕には約束があるから。もし、行きたいんなら、一人で行って」
「……ごめんなさい。もう言わないから、一緒にいさせて。一人はもう嫌だから……」
夕子は不安そうにこちらを見てくる。
「……じゃあ、部室棟に行く。いいね?」
「うん」
直接口に出した訳ではないが、灯夜が許してくれたことは分かった。夕子は今まで知ろうともしなかった、月代灯夜という少年を少し知った気がした。
その後は、なぜかスムーズに進むことができた。階段では、同じ場所を行き来することもなく一階に着き、校舎の西にある部室棟にも難なく着いたのだった。
初めましての方は、初めまして。読んでくれている人は、お久しぶりです。ようやく鏡の世界に入ったはいいんですが、『力』の出す場所を迷ってます。ですが、必ず熱い戦いを見せようと思っているので、最後までお付き合いください。