にわか雨
暗闇の中を彷徨っていた。上下左右、どこに進んでいるかも分からない。ただ、思うままに進んでいた。それが、正しい道だということは、なんとなく分かった。その暗闇にも終わりがあるらしく、先の方で眩いばかりの光がある。目を細めながら、近づいて行く。眩しさに目が開けられなくなった。光が弱くなっていくのを待っていると、次第に光は弱まっていった。
ゆっくりと目を開ける。すると、そこにはさっきと同じ光景がある。いや、よく見ると、全てのものの配置が、左右逆さになっていた。ようやく自分が鏡の世界に来た、という実感がわいた。
灯夜がこの世界に入れたということは、静流たちもここにいる、ということで、ほぼ間違いない。
灯夜はこんな訳も分からない世界で、当てもなく探し回るつもりはなかった。あらかじめ、生徒たちが、消えたであろう場所を回ると決めておいたのだ。
やることが決まると、準備室を出た。
外はにわか雨が降り注いでいる。
最初に三階の女子トイレに向かった。探す順番は、最近になって、いなくなった生徒からにしている。こんなところにいる以上、気をおかしくした奴もいかねない。なら、この世界にいる時間が、短いとされる人物を見つけ出すのが先だった。気が狂っていては、話すら聞きだすこともできない、という理由もあったからだ。
静流が正常であることを願いつつ、足を動かした。
この間見た夢の時のように、ある一定区間に閉じ込められるかもしれないと、少し躊躇しながら階段を降りた。三階と思われる踊り場に着くと、そのまま廊下に出てみる。
辺りを見回してみると、どうやら三階についたようだった。
不意に後ろに気配を感じ、振り向いてみると、そこにはなにもなかった。
(気のせいか)
視線を元に戻す。そこには、さっきまでいなかったはずの少女が、壁に背を預け立っていた。
こちらと目が合うと少女は微笑した。
灯夜は、自分が見ている光景がにわかに信じられなかった。
「神凪……なの?」
静流とそっくりな少女に訊ねる。
「さあ、そうだと思う?」
笑みを崩さないまま、じっと見つめてくる。
灯夜は戸惑っていた。今、目の前にいる少女は間違いなく静流だった。しかし、どこか常とは違う違和感を纏っている。
しばしの沈黙の後、灯夜は口を開いた。
「……神凪だと思う。ただ、なんていうか、神凪だけど、神凪じゃない。なにかが足りないんだ」
自分でも言っていることが、よく分からなかった。
それを聞いた少女は嬉しそうに笑った。
「ふふ、流石、灯夜ね。きっと、あなただけよ。そんなことに気付くのは」
壁から背を離し、ゆっくりと近づいてくる。
「あなたの言った通り。私には足りないものがある。それは、表の―もう一人の―私よ」
「……どういうこと」
「あなたが感じていること、そのものよ。分かるでしょ?」
言葉にしないが、肯定していた。
「やっぱり。私は神凪静流の裏にあたる存在。表裏一体だったはずの私たちは、この世界で表と裏に別れたの。現世の私と、鏡の中の私とね。私たち神凪静流という存在が望んでね。ま、望んだって言っても、無意識下での話だから、私もあの子も、本当は知らないんだけどね」
いたずらっぽく舌を出した。
「でも、誰でもこの世界で二人に別れる訳じゃないの。『力』ある選ばれた人だけみたいね。なぜか知ってるのよ。そういうこと」
少女は更に近づいてくる。気が付くと、首の後ろで腕が組まれていた。少女の顔がすぐ近くにある。
「でも、本当はそんなこと、どうでもいいの。灯夜がここにいる。それでいいの。私たちと一緒ここにいましょ」
「……前にも言ったけど、それはできない。僕は君を連れて帰る」
「つれにないわね。今は諦めてあげる。でも、きっと灯夜なら分かってくれる。ずっと昔にそうしてくれたみたいに。……それと、言い忘れてたわ。私は雫。神凪雫よ。静流がくれた名前なの。覚えておいて」
そう言うと、少女は灯夜から離れ、窓の向こうに消えていった。