そして、鏡の世界へ
灯夜は布を被った大きな物体の前に立っていた。周りには絵画や彫刻、絵の具といった様々なものが乱雑に置かれている。灯夜が立っている場所は美術準備室である。
そっと布を掴むと、静かに引っ張った。
布が取れ、姿を見せたのは、アーチ状の形をした大きな鏡だった。木材でできた縁には、美しい彫刻が彫られている。布があったせいか、埃こそ見当たらない。もう何年も人の目には、触れられていないにも関わらず、鏡には傷一つ付いていなかった。
この鏡は約五十年ほど前、ヨーロッパからこの学園に渡ってきたもので、当時は教師だけでなく、生徒たちの関心を引いたという。
しかし、しばらくすると学園で妙な噂が流れ始めた。噂の内容はこの鏡の前に立ち、自分を見ると鏡の中に引き込まれ、鏡の中の自分と入れ替わってしまうというものだった。
この噂は瞬く間に広まったが、当初は迷信と思われていた。だが、この鏡によって豹変する生徒も出たという。そのことに恐れを抱いた人々は布を被せ、近寄らなくなった。
今では、学園の怪談の一つとして語り継がれている。
灯夜はそんな話を全く信じていなかった。だから、この鏡の存在を今の今まで忘れていたのだ。
この学園であちらの世界に通じていそうなものは、この鏡しかない。そう考え、ここまで来たのである。
早速、灯夜は鏡を調べ始めた。一つ一つ細かく見ていったが、なんの変哲もない鏡、ということしか分からなかった。ただ、人を惹きつけるなにかがあった。
鏡に手を触れてみる。ひんやりとした無機質な感触が手に伝わる。
(やっぱり無理なのかな)
そう思って頭を振った。
(いや、約束は守ってみせる。必ず、神凪を見つけ出す)
すると、触れていた鏡が水面に石を落としたように波打った。咄嗟に手を引く。もう一度触れてみる。今度も波打った。なにかと通じた気がした。
こんなところで迷っている暇などない。覚悟を決めて歩き出す。右足から入っていく。僅かな抵抗はあるものの、問題なく入ることができた。灯夜が完全に姿を沈めると、後には静寂だけが残るばかりだった。