しょうがないさん
こちらは短編「しょうがないさん」と同じ内容です。
9月31日、駅員の私は明日から別の駅に異動する為に最後の挨拶回りを終えたところだった。
ロッカーに残った最後の荷物を鞄に入れていると更衣室の扉が開き、休憩終わりの末田さんが入ってきた。末田さんは古株でこの駅で勤務して10年になるらしい。私も三年前に赴任してから大変お世話になった。
「お疲れさん。明日から寂しくなるなぁ。もう異動先に挨拶してきたか?」
「はい。昨日の当直明けで挨拶してきました。」
「あの辺は昼間は混むけどな、駅から離れたら何もないから夜は結構静かで良いぞ。また明けで飲みに行こうなぁ。頑張れよ佐藤。」
末田さんは自分のロッカーから制帽を出して被ると窓口に向かっていった。
着替えを済まして駅の事務室から出て電車に乗り自宅に帰ろうと改札を通る時、改札窓口に立っている末田さんに会釈するとこっちに来いと手招きしてきたので駅構内に入ってから窓口に寄ると末田さんが周りを少し確認してから耳打ちしてきた。
「そういやお前、宿舎の話は聞いてるか?」
「宿舎?」
「なんだ、聞いてねえのか。じゃあいいわ。」
「えっ、教えてくださいよ。」
「もう電車来るぞ。明日から頑張れよー。」
強引に話を終わらされて気になりはしたがこの電車を逃すと次は帰宅ラッシュのピークになってしまう。挨拶を交わして急いでホームに向かうと丁度ホームに到着した電車に乗り込んだ。
昨日挨拶に行った際に宿舎も案内してもらったが他の駅と変わらない、むしろ線路脇にある宿舎だから、と二重窓にされて防音が施されていたり割と綺麗な印象だったが…。
異動してからしばらく経った。
当直の際に宿舎も利用しているが今のところ変わったことはない。
駅前は充実していて商業施設やオフィスビルが建ち並ぶ。一方で、末田さんが言うとおり駅から少し離れてしまうと一変して古い民家や畑があり、田舎を感じさせる。
その為、近隣の店が営業を終えてしまうとホームに電車が来ない限り、真夜中のような静けさが訪れる。
今日の当直は始発前に改札を開けなくてはいけない為、私は22時から3時までの仮眠休憩を取る。制帽を脱いで駅の事務所へ行くと事務所には夜勤の佐伯助役がいた。
「佐伯助役、お疲れさまです。」
「佐藤さんお疲れさまー。今日も平和だね。また明日も、お願いねぇ。」
「お先に失礼します。」
穏やかに挨拶を交わして起床時間と仮眠室の部屋番号確認してから宿舎に入る。
今日は102号室だ。部屋の中に入ると窓がある。薄手の白いカーテンを捲ると磨りガラスだった。
22時四42分、シャワーを浴びて歯を磨き、仮眠室に戻って私はパイプベッドに横になると、少しスマホでSNSを見てから眠りについた。
午前2時20分、自分で設定したアラームが鳴り起床した。
ベッドに腰かけて伸びをしてから身支度を始めると窓の外から話し声が聞こえる。
棒読みといった感じで「しょうがない、しょうがないよー」としゃがれた声の男が外で喋っている。
酔っ払いか?と思ったがこの窓の外は線路に接していると気付いた。
線路内から出るように声をかけようと思って咄嗟に窓の鍵に手を掛けたが事故防止の為だろうか、窓の鍵は解錠できないように固定されていて動かない。
急いで制服を着て駅事務所に駆け込んで佐伯助役に報告した。
「確認するから待ってね。」と助役は監視カメラを確認している。
「うん、線路内問題なしです。一応始発前に警備さんが巡回するからさ。報告ありがとう。」
「自分で出たんですかね?」
「多分大丈夫よ。その人って何か言ってた?」
「落ち着いた感じでしょうがないって言ってました。」
助役はそれを聞くとアチャーといったような表情をしたが「まぁ、こればかりはどうにも出来ないもんなぁ。佐藤さんよろしくねー。」と呟いて給湯室に入っていった。
不思議に思いつつももう一度宿舎に戻り、仮眠室のドアを開ける。先程聞こえていた声はもう聞こえない。残りの支度をしてから荷物を持ってもう一度事務所に点呼に行くと助役に「僕たちが帰るまでは何もないと良いよね。」と何やら不吉なことを言っていた。
改札へ向かって窓口を開ける準備をする。
私は特に問題なくいつも通り営業を始めた。
「おはようございます。変わります。」
午前5時半、終電対応を担当した林田くんが仮眠を終えて窓口対応を交代してくれた。私は休憩室で一口、水を飲んでから窓口に戻って林田くんに話しかける。
「起きた時に線路内に人がいて焦ったよ。」
「…それって仮眠室で気付いたんですか?」
「うん。なんか、しょうがないって聞こえてさぁ。」
それを聞くと林田くんは苦い顔で
「うわー、最悪ですね。今日定時で上がれるかな。佐藤さんバスでも帰れます?」と言った。私はますます不思議に思って彼に聞いてみた。
「バスでも帰れるけど…。なんで?助役も同じ感じの反応だったんだけど何かあるの?」
林田くんは少し驚いた顔でこちらを見て、あれ?聞いてないんですか?他の駅だと噂とかにもなってない感じですか?と逆に質問されて困惑する。日常的に線路内に人が侵入する駅なのか?
「しょうがないさんですよ。」
「しょうがないさん?何それ?」
ゆるキャラのようなネーミングに半笑いになると林田くんが詳しく教えてくれた。
宿舎に接している線路内からたまに声が聞こえてくる。
それはいつも同じことを言っているわけではなく、泣いている時もあれば笑っている時も怒っている時もある。
ただ唯一、「しょうがない」と言っている日は必ず午前中に人身事故が起きる。という話らしい。
ありきたりな怪談噺だ。そんな都合良い幽霊がいるわけがない。きっと近所に住む有名な酔っ払いをホラーに仕立てただけだろう。。
話し半分で聞いていると六時を過ぎていた。降車して改札を出ていく人がだんだんと増えて皆、東口へと吸い込まれていく。
きっと駅周辺の商業施設や会社で働く人たちだ。
9時半。何事もなく順調に仕事を終えた。
「しょうがないって言ってるの佐藤さんが聞いたらしいです。」と林田くんが引き継ぎしているのを見てオカルトで人を怖がらせるのが好きな人なのかと思ったが引き継がれてる相手は淡々と「そろそろ通勤ラッシュ終わるからまだマシだね。」と返していた。
「佐藤さん、バス停まで一緒に行きましょうよ。」
更衣室で先に着替えが終わった林田くんが話しかけてきた。
「え、電車で帰るよ。バスだとちょっと時間かかるし。」
「いやいや、止めた方がいいです!どこ行きですか?バスの方が安全ですから!」
「大学病院方面だけど…。」
「なんだ、僕も同じバスです。一緒に帰りましょうよ。」
半ば強引に誘われて一緒に帰ることになり、渋々バス停に行くと丁度、大学病院方面行きのバスが来た。
乗り込んで林田くんと会話をしているとしばらくしてから彼は徐にスマホを取り出し、画面を見せてきた。
『踏切内で走行中の列車に男性が接触、男性は心肺停止 全線運転見合せ』と速報が出ている。
「ほら、電車乗らなくて良かったですね。」と彼はスマホをポケットにしまった。
「え?たまたまでしょ?」私が疑っていると
「佐藤さん、昨日仮眠室で寝てる間、終電まで電車うるさかったですか?」
「え?そういえば全然うるさくなかったな。」
「線路に接しててもほとんど聞こえないんですよ。窓も壁もかなり防音されてると思います。」
林田くんが話を続ける。
「何を言ってるか分かるくらい、人の声が聞こえると思いますか?」
私はその瞬間、背筋が冷たくなりブワ、と鳥肌が立った。
彼は話題を変えて何気ない雑談を続けていたがその後の話は全く頭に入ってこなかった。




