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愛情

作者:
掲載日:2026/03/20

耳に残る騒々しい虫の鳴き声。

ジリジリと昼から照りつける太陽。

何かと嫌になる季節だな。自転車から降り、俺はただそこへと歩いて向かった。

だが着いた瞬間異界に迷い込んだように、音も暑さも消えた。人の気配が全くしなくなる。お盆なのに墓参りをする人がいない。俺はタカシの墓に水をかけた。今日で5歳のタカシが亡くなってから10年。俺は髪を伸ばし、茶髪にまで変えた。

なのにあの日から一歩も進めてない。



「マコトにーちゃん」

夏の公園のベンチ。タカシが駄々をこねるから仕方なく、遊びに来た場所。ベンチから立ちたい。なのに短い髪を風に靡かせながら、タカシは無邪気に隣に座り微笑みかけてきた。急に立ち上がり公園の出口へ走り出した。道路の近くに出るとふと振り返り、

「お腹すいたから帰ろ?」

次は屈託のない笑みをむけてきた。まだベンチに座って暑さにバテているおれに。純粋すぎて眩しい笑顔。

眩しすぎる。

「すぐ行くからまっとけよー」

ため息混じりな返事をした。

するとどこからともなく、車の走行音が聞こえた。エンジン音が一瞬で近づいてくる。タカシが危ない。連れ戻そうと立った瞬間。

大きなブレーキ音。周りの人の悲鳴。

宙を舞う小さな体。

肉が道路と車で擦り切れる音。


「ボトッ」


足元に何か当たる。ぬるい液体を垂らす塊。

見下ろしてしまった。


‥タカシの首。


サンダルの足に生温かい液体がつく。足が固まる。虚な目が俺の体を硬直させている。強張った表情、ちぎれている髪。

さっきまで生きていたものとは思えないほどに冷たい。警察が来るまで俺はずっと立ち尽くしていた。

足が動かない。目も逸らせない。

なのに血溜まりに映る笑み。


忘れてはいけない罪。

「ごめんなタカシ‥、ごめん。ほんとにごめん」

気づくと墓に縋るように泣き崩れていた。

「絶対に許さない」

突如として背後で声が聞こえる。聞き間違えるわけがない。

【もう聞けなくなったあの声。】

後ろを振り向く。声の原因は近くの森の中へ走り去っていた。一瞬見えた背格好、あの頃のあいつだ。ありえない。確かめなければ。

もしあいつなら、また愛情を奪い去られる。

それだけは止める。


【殺さなきゃ。】


嫌な胸騒ぎが俺を止める。それでも俺は森に足を踏み入れた。

夏なのに森の中は無音だ。蝉の鳴き声もせず、木々が揺れる音もしない。追いかけてきたはずのあいつの足音が後ろからする。背筋が凍る。振り向けない。木々や草をかき分けまっすぐ進む。途中に草で手が切れても、足が気に刺さっても気にしない。ただ進むだけ。奥へ進んでいくと植物がどんどん減っていった。木々に囲まれている古民家が現れた。廃墟で大きくは無い。不自然に周りの草は枯れ、異質さを際立たせてる。蜘蛛の巣や蔦が壁や窓に這っている。半開きの玄関。そこだけは小綺麗だ。扉の先は、何も見えない暗闇。ふと2階の窓から視線を感じた。窓を見る。なにもいない。悪寒が背筋に走る。足がすくむ。

「おいでよ。僕のために。はやく。」

玄関から声が聞こえた。あいつの声だ。ほんとにあいつか確かめなければいけない。

意を決し、暗闇に足を進めた。


中は外から見た時より明るい。一歩先までは見える。だがやはり廃墟だ。天井のライトは壊れていて、木の床にランタンや蝋燭などの火が揺れる。隣の靴箱には一足。あの時俺が履いていたサンダル。なぜ今ここに?周りをまた確認する。靴箱の横に今にも腐り落ちそうな小机。その上に枯れた花瓶。左、前、右に扉があり、2階への階段もある。靴を脱ぎ右の扉を開けようとする。開かない。ドアノブが固まって動かない。左の扉を開けようと手をかけたが、鍵がついてる。誘導されてるように、前の扉へしか進めなかった。その扉は古びれていて力強く押してようやく開いた。勢いよく壁にぶつかってしまった。

【音がしない。】

部屋の中はさっきの場所と違い真っ暗だ。手探りで進むしかない。壁に沿って慎重に歩く。途中角を曲がると机や椅子のようなものにぶつかった。皿のような物が滑り落ちるのを感じる。けど音がしない。

「だれかいるかー?」

返事なんて来ないだろうと思いながら試しに言ってみた。その瞬間。床が軋む。冷たい息風が背中を包む。肩を叩かれた。異様に冷たい手。まるで死体のようだ。振り向こうとしたら、頭を掴まれ前に固定される。掴んでる手を振り払おうと手で叩いてもすり抜ける。ほんとに人じゃない。体が凍ったようになる。突如部屋の隅の床にろうそくが現れ、火が揺れ出した。そして俺の頭を掴み体を持ち上げ、蝋燭の手前まで投げた。また頭を掴まられるのを警戒し、腕で頭を抑え膝を折り曲げうずくまる。だが突如として気配が消える。安堵し一旦体を起こし座り込む。

ふと蝋燭を見ると、近くには写真があった。男女が二人で笑って並び、その間に肩に手をかけられてる男の子。そしてその3人とは一線を引いて立っている俺。そう、家族写真。本当は撮るはずがなかった物。両親はタカシだけに手を触れている。そんなことをタカシは気づいてたのに蔑まず、俺のことを兄と慕ってきた。いつでもマコトにーちゃんと呼んで頼ってきた。嬉しかった。家族に必要とされているのがたまらなかった。と同時に疎ましかった。俺にはあいつの存在が眩しすぎた。そして、あいつがいるせいで俺は愛されない。

【俺はあの時タカシを見捨てた。】

音には気づいてた。けど動かなかった。もしタカシがいなくなれば、俺はまた愛される。血迷ってしまった。声をかければ助けられたのに。俺のせいでタカシは死んだ。

あの時の光景は今でも思い出せる。けど不思議と後悔してない。申し訳ないと思っている。だが俺は愛されるようになった。

【なんでここに写真がある?】

確か2枚あったはず。一枚は実家に飾ってある。もう一枚は‥

頭が真っ白になる。

「これはあの時のタカシが持っていた‥」

タカシは唯一の家族写真だからとそれを持ち歩いてた。汗が止まらない。本当にタカシかもしれない。絶対に俺を恨んでいる。逃げるしかない。本能がそう告げた。蝋燭を取り、さっきの衝撃のせいもありふらつきながら進む。扉を手にかけ、出ようとすると異変に気づいた。

【手の感覚がない。】

いや、手の感覚だけじゃない。蝋燭の微かな炎の温もり。草でできた切り傷の痛み。冷や汗の冷たさ。触れてるのに、なにも伝わらない。

そして、異変に気づいたせいか、それのおかげか。自覚した。もう一つの違和感。この家に入った時からの。

【耳が聞こえなくなっていたこと。】

皿を落としても、扉を開けても、床が軋んでもなにも聞こえなかった。気づかないようにしていた違和感。感じるはずのない汗が手から出る。改めて扉に手をかけた。突如視界が暗くなる。触覚がなくなったせいで何もわからない。手を振りかざし抵抗するが、状況は変わらない。かすかに、暗闇の隙間から見えたのは。

タカシの顔だった。


視界が明るくなる。どこかの部屋にいるようだ。見覚えがある。座り込み、見渡す。壁の隅に小さい布団。そして隣に子供用の机。上にはクレヨンで書かれた絵。机の下には玩具箱。床にはキャラクター物の文房具や服。子供が使うような部屋。見ないようにした壁。壁一面に、さっきの家族写真。ここはタカシの部屋だ。汗が流れる。何も、わからない。そして部屋にあるものがない。ここから逃げるための物。

扉。

逃げられない。呼吸が荒くなる。

扉があるはず場所を見ていると、後ろから気配がした。こんなところにいるのは一人しかいない。深呼吸をし、恐る恐る振り返る。

布団の上にいるのはあの時の姿。

タカシだ。

手をこちらに振り顔は笑っているが、目は笑ってない。吸い込まれるような目の奥に、底知れない暗闇。するとタカシは、口を開き何かを言った。

「なにをいってるんだ?」

タカシは言葉を聞き慌てて、俺の視界を塞ぎ何かをした。

「ごめんごめん。僕のせいで聞こえんないんだよね。忘れちゃってたよ」

終始笑顔だ。何も変わらない無邪気さ。

「なにをしたんだよ。僕のせいってなんだよ。おまえは生きてるのか?今まで何してた?」

しゃべりながら胸ぐらを掴もうとしたが、急に体が震え始める。気づくと人とは思えない目つきで睨んでいた。そして一瞬目を瞑った隙にタカシは目の前に現れた。

「そんなことよりさ、僕に謝ることがあるんじゃない?なんで僕のことを見捨てたの?なんで平気でパパとママに愛されてんの?僕のことは思い出さなかったの?ねぇねぇねぇねぇなんでなの?」

答えれない。おまえが邪魔な存在だっただからなんて。

「ごめん。忘れてたわけじゃないんだよ。俺はしっかり覚えていた。今日だってちゃんと墓参りに来ただろ?」

「そんなのが何になるって言うんだよ。兄としてやってはいけないことをした。弟の僕を見捨てたんだ。しかも僕は何もしてない。自己満で墓の前に縋っていたときは、吐き気がしたよ。」

何も言えない。胸が抉られる。

「さっきの質問に答えてあげる。僕は死んだよ。

あんたのことをずっと憎んでいた。今日やっとそれを晴らせる」

「許してくれ。頼む。俺が悪かった。お願いだ。やっと手に入れたんだ。奪わないでくれ。頼む‥」

「無理だよにーちゃん【

祈りの言葉を聞き入れてもらえなかった。容赦なくタカシは近づき、俺の視界は暗くなった。


目を開くと、いつもより世界が低い。体は軽い。立ち上がり周りを見回した。最初の古民家だ。何故か、玄関の前に座っていた。扉を開けた。すると玄関の先には人が居た。森の中からこちらに来ているようだ。手を振っている。髪色は茶髪で髪は後ろに結べるくらいに長い。そして身長は俺と一緒。

「ごめんにーちゃん。体もらっちゃった」

タカシの顔。そしてあの無邪気な笑みでそう言ってきた。


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