『主役という問い』
Ⅰ
あの朝、いずみは光のなかを、静かに歩いていた。
駅へ向かう人波のなかで、誰とも目を合わせず、ただ前を見ていた。
私は、少し離れた場所から、その背中をただ見つめていた。
──春の風が、いずみの髪を揺らし、私の頬をかすめていった。
それは、芽吹きだったのかもしれない。
さびしさの──
Ⅱ
「俺が」と、遥人はよく言った。
風に抗う旗のように、揺れながらも、そこに立ち続けていた。
けれど、その影が私の輪郭を溶かしていくたび、
私は、遥人の「俺が」のなかに、自分の居場所がなくなるのを感じていた。
──沈黙が、ふたりのあいだに、やわらかく積もっていった。
Ⅲ
舞台の中央に立つのは、いつも遥人だった。
彼の声が響くたび、まわりの声はかき消され、
舞台袖の闇に、私のことばは沈んでいった。
誰もが声を譲らず、声は交錯し、
物語は行き場を失い、
ただ、喧騒だけが残された。
Ⅳ
ある日、遥人が言った。
「ことばが尽きたとき、人は本当の自分になるのかもしれない」
私は、答えられなかった。
ことばのない時間を、彼は静かに受け入れていた。
私はまだ、ことばの岸辺にしがみついていた。
Ⅴ
夜の公園で、いずみとすれ違った。
遠くの灯が、彼女の横顔をかすかに照らしていた。
その灯のなかに、私の影が浮かんでいた。
いずみの物語のなかで、私はただの通行人だった。
──脇役であることのやさしさに、
そのとき、私はふと気づいた。
Ⅵ
「俺は、俺が主役だと思っていた」
遥人が、ぽつりとつぶやいた。
私はうなずいた。
けれど、その確信は、いつのまにか問いに変わっていた。
──あの舞台に、私ひとりだったのかもしれない。
それは、舞台と呼ぶには──静かすぎた。
Ⅶ
いずみは、私の声に耳を傾けてくれた。
私もまた、彼女の沈黙に、そっと身をゆだねた。
ことばのない時間が、ふたりのあいだに流れた。
そのとき、物語が、ふたりの沈黙のなかで、静かに脈を打ちはじめた。
主役は、孤独ではなかった。
Ⅷ
舞台の幕が降りたあと、
静かな拍手が、幕の向こうから届いた。
それが誰に向けられたものか、私にはわからなかった。
ただ、舞台の外に立つ遥人の背中が、
その問いに、まだ答えを探しているように見えた。




