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『主役という問い』

掲載日:2025/11/23


あの朝、いずみは光のなかを、静かに歩いていた。

駅へ向かう人波のなかで、誰とも目を合わせず、ただ前を見ていた。

私は、少し離れた場所から、その背中をただ見つめていた。


──春の風が、いずみの髪を揺らし、私の頬をかすめていった。

それは、芽吹きだったのかもしれない。

さびしさの──




「俺が」と、遥人はよく言った。


風に抗う旗のように、揺れながらも、そこに立ち続けていた。

けれど、その影が私の輪郭を溶かしていくたび、

私は、遥人の「俺が」のなかに、自分の居場所がなくなるのを感じていた。


──沈黙が、ふたりのあいだに、やわらかく積もっていった。




舞台の中央に立つのは、いつも遥人だった。

彼の声が響くたび、まわりの声はかき消され、

舞台袖の闇に、私のことばは沈んでいった。

誰もが声を譲らず、声は交錯し、

物語は行き場を失い、

ただ、喧騒だけが残された。




ある日、遥人が言った。


「ことばが尽きたとき、人は本当の自分になるのかもしれない」


私は、答えられなかった。

ことばのない時間を、彼は静かに受け入れていた。

私はまだ、ことばの岸辺にしがみついていた。




夜の公園で、いずみとすれ違った。

遠くの灯が、彼女の横顔をかすかに照らしていた。

その灯のなかに、私の影が浮かんでいた。


いずみの物語のなかで、私はただの通行人だった。

──脇役であることのやさしさに、

そのとき、私はふと気づいた。




「俺は、俺が主役だと思っていた」


遥人が、ぽつりとつぶやいた。

私はうなずいた。

けれど、その確信は、いつのまにか問いに変わっていた。


──あの舞台に、私ひとりだったのかもしれない。

それは、舞台と呼ぶには──静かすぎた。




いずみは、私の声に耳を傾けてくれた。


私もまた、彼女の沈黙に、そっと身をゆだねた。

ことばのない時間が、ふたりのあいだに流れた。


そのとき、物語が、ふたりの沈黙のなかで、静かに脈を打ちはじめた。

主役は、孤独ではなかった。




舞台の幕が降りたあと、

静かな拍手が、幕の向こうから届いた。

それが誰に向けられたものか、私にはわからなかった。


ただ、舞台の外に立つ遥人の背中が、

その問いに、まだ答えを探しているように見えた。





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