平民と消えた悪役令嬢〜人々は“地獄だ”と言ったけれど
「レオン君、君を迎えに来た。
私の名はテオ・ハミルトン。隣国の侯爵だ。
全く…。こんなに質素な家だとは。
姉上も平民と結婚するなんて狂気の沙汰だな。」
ある日、海辺の小さな丸太小屋に豪華な馬車が停まった。
僕が一人でここに暮らし始めて半年程経過した春の日だった。
よく磨かれた革靴。
高級そうな香水の匂い。
白く働いた事がなさそうな指。
――一目で貴族だとわかるような男性だった。
日焼けして節くれだった父の手とは大違いだ。
「はあ…。こんにちは。」
「…驚いた。
君は姉上にそっくりの美しい顔をしているな。
姉上は、君の母親は実は侯爵令嬢だったんだ。
さあ、ハミルトン家に行こう。
侯爵家なら、君の魔法の才能を思う存分伸ばす事が出来る。」
その言葉に僕は目を見開く。
「…僕の魔法を学ぶための学費を出してくれるのですか?」
「…もちろんだ。」
その言葉に僕は頷く。
「わかりました。準備をしますので、少しだけお待ち下さい。あと学費の件、念の為きちんと契約書を頂いてもいいですか?」
「ああ。」
――僕の父と母の話をしよう。
僕の母は隣国の侯爵令嬢だったらしい。
そして、かつて隣国の王太子の婚約者だった。
◇◇
「ねえ。アルノルト様ったら、またララ様と一緒にいるわ。」
「ルイーゼ様もお可哀想に。」
「…でも侯爵令嬢なのに男爵令嬢に寵愛を奪われるなんて、よっぽど魅力がないのかしら。」
クスクス…。クスクス…。
18年前。僕の母ルイーゼは当時、隣国アダムス王国の王立学園で憐れみの視線を向けられていた。
侯爵令嬢である母を差し置いて、男爵令嬢に夢中になる王太子。
「ルイーゼ!お前との婚約は近いうちに破棄する!
だが、側妃にはしてやる。可愛いララの代わりにせいぜい働くんだな。」
すると、彼にしなだれかかりながら男爵令嬢がぷくっと頬を膨らます。
「ララ達は貴女がいるせいですぐに一緒になれないんですよ?!可哀想だと思いません?」
家同士の婚約である。王太子の一存でそんな事出来るはずがない。
わかっていても毎日そんな事を言われれば、誰だって心が消耗していくに決まっている。
――次第に母は、男爵令嬢と王太子の恋路を邪魔する悪役扱いをされるようになっていった。
そして、いつしか母は『悪役令嬢』と呼ばれるようになった。
「ルイーゼ様!アルノルト様の足りない部分は貴女が全て補わなければなりません!
したがって貴女には二人分の仕事をして頂く必要があるのです。」
厳しい王妃教育に、家の利益しか考えない侯爵家。
「アルノルト様の寵愛をたかが男爵令嬢に奪われるなど!何のために高いドレスを用意して着飾っていると思っているんだ。」
母は毎日真っ白な顔をして淡々とやるべきことをこなしていたらしい。だが、彼女の心はもう限界だった。
――ある日、耐えきれなくなり邸を抜け出した母は港にいた。
そして、涙を流しながらじっと波を見つめていた。
港には沢山の船が停泊していた。
「っ、おいっ、お前!何をしてるんだ!
若いんだからおかしな事を考えるな!」
そう言って、母を慌てて引き戻したのが漁師をしていた父、ハルトだった。
「っ、違いますっ!
確かに死にたいくらいつらいですが、死のうだなんて思っておりませんわ。」
「いや、あんなに海の近くによってったら、落ちるぞ?もっと気をつけろ。」
助けるのに必死だった父は最初は母の顔などよく見ていなかったらしい。
だが、ふと我に返って母を見た瞬間、一目惚れしてしまったそうだ。
まあ確かに母は若い頃、この港町でも有名な美人だった。
それに当時侯爵令嬢として着飾っていたのなら父がそうなってしまうのも仕方のない話である。
「――あー…その。そうか。
急に乱暴に引き戻して悪かった。
ところで君はなんで泣いていたんだ?」
父は照れくさそうに頬を掻きながら、母に尋ねた。
「いいんですわ。…だって、助けてくれようとして下さったんだもの。
…色々と家の重圧や、他の方を寵愛する婚約者を見ていたら、つらくなってしまったんです。」
そう言って母は弱々しく笑った。
「んー…じゃあそんな奴やめて、他の大事にしてくれそうな奴と結婚すればいいんじゃないか?」
「…それが家同士の契約なので、なかなか難しいのです。」
二人は海辺を見ながら他愛もない話をした。
「いやー、しかし、お貴族様ってぇのも大変だな。
…まあ、辛い事もあるかもしんないけどよ。
もしまたここに来たら話くらいは聞いてやるよ。」
そう言ってその日、二人は別れたのだった。
◇◇
――それから二人はこっそり何度も落ち合って、他愛もない話をした。
母は辛い日常の中で父に会う時だけ唯一心から笑えるようになっていった。
父は一目惚れした母に弱みを見せられて、何度も会って話を聞いているうちに強く母に惹かれていった。
二人が恋に落ちるのはあっという間だった。
だが、奇しくも母が卒業パーティーを迎える日、父は漁で遠くまで行かなければならなくなった。
「…学校を卒業したら、君も結婚か。
その…、俺とはもうこんな風には会えなくなるな。」
パーティーの数日前。そう言って父は寂しそうに笑った。
その言葉を母は俯きながら聞いていたそうだ。
――そして、パーティー当日。
母が王宮で着替え終わって会場に向かっていると、王太子と側近達の話し声が聞こえてきたそうだ。
「アルノルト様。本当にやるのですか?」
「ああ、大丈夫だ。きちんとルイーゼがララを虐めたという証拠はある。…捏造だがな。」
「そしたら侯爵家もさすがにそこまで強く出れませんもんね。」
確かに『婚約を破棄する』と王太子はいつも言っていた。
だが、まさか虐めの証拠を捏造してまで実行してくると思っていなかった母は青ざめた。
(逃げなくちゃ!!
このままでは多くの人の前で断罪されてしまうわ!)
彼女はドレスをはためかせながら必死で会場から抜け出した。
――そして、その足で必死で港に向かったのだった。
「ねえ!逃げて来たの。
お願いハルト!私も連れて行って!」
ドレスをはためかせながら叫ぶ母に父は心底驚いたらしい。
「ルイーゼ!君っ、どうしたんだよ?!
パーティーに行ったんじゃなかったのか?!
――本当は連れて行ってやりたいけど、貴族の君が俺と一緒に行っても地獄を見るだけだ!」
父は何とか母を説得しようとしたらしい。
だが、彼女は笑いながら首を振った。
「じゃあなんで貴方と一緒にいる時だけ、私は心があたたかくなるの?
…いつもは感情のない人形のようなのに。」
その言葉に父は驚いて目を見開く。
「――ねえ。貴方の事が好きなの。
っ、私はもうっ、貴方の前でしか笑う事ができない。お願いっ、連れて行ってよ。」
そう言って泣きじゃくる母のことを父は呆然としながら見つめていたがやがて真剣な顔になった。
「…っ、知らないからな。
じゃあ、本当に覚悟が出来ているなら来い。
…連れて行ってやる。」
その言葉に母は目を見開いた後、まるで天使のように笑った。
「うんっ!!」
――こうして王子の婚約者だった侯爵令嬢は卒業パーティーの夜、忽然と姿を消したのだった。
◇◇
母が消えた後、アダムス王国では様々な噂が飛び交ったらしい。
「バカね。ルイーゼ様。
どうやら平民と逃げたと言う説が濃厚らしいわよ。」
「まあ、愚かね。貴族令嬢が平民となんて上手くやっていける筈がないじゃない。」
「うふふ、身分の低い令嬢に立場を奪われて国外に逃げるなんて…。本当に、悪役令嬢っていう言葉がぴったりね。」
どうやら、逃げる前も後も、結局母は『悪役令嬢』と呼ばれてしまう運命だったらしい。
ちなみに、王太子妃になったララ・バルゼットは対照的に、平民女性達の憧れの存在になったらしい。
「まあ、男爵令嬢という低い身分から寵愛を受けて王太子妃になるなんて!まるで御伽話のようね。」
「私もお姫様になりたいー。」
「いいなぁ。美味しいものをいっぱい食べているんだろうなぁ。」
◇◇
――その頃母は無事に海を渡り、隣国で父と暮らし始めた。
はじめは戸惑っていた母も、地頭が良かったのですぐに仕事を覚えた。
そしてテキパキと魚を干したり家事をしたりしていたそうだ。
「ハルトは良い嫁をもらったねぇ。
とびきり美人な上に働き者だ。」
「いいなぁ。お前、どこで捕まえて来たんだよ?」
母はアダムス王国にいた頃とは違い快活に笑い、いつも楽しそうに働いていたようだ。
そして三年後、僕が生まれるとさらに幸せそうに笑うようになったそうだ。
家族は仲が良く、父が休みの日は三人で外出をしたり、誰かの誕生日にはケーキをみんなで作ってお祝いした。
母はよく、うっとりとしながら昔の父との馴れ初めを僕に話していた。
父も照れくさそうにしながら、その話を僕と一緒にいつも聞いていた。
貴族令嬢の時と違って荒れた手をしていたけれど、母はとても幸せそうだった。
◇◇
「レオン。ここが君の部屋だ。
――好きなように使うといい。」
僕はハミルトン侯爵に話しかけられてハッとする。
「ありがとうございます…。豪華な部屋ですね。」
ふかふかのベッドに一流の調度品。
どれも高価そうなものばかりだ。
「ああ。平民の暮らしは貧しくて地獄のようだったろ?ここではそんな思いさせないからなっ!
全く、姉上も平民と逃げるなんて狂気の沙汰だ。
15歳の君を遺して、不幸になってしまうなんて。」
そう言ってハミルトン侯爵は眉尻を下げた。
僕はどう反応してよいかわからなくて曖昧に笑う。
(なんだか言っている事がよくわからないけど、とりあえず部屋のお礼を言っておこう。)
「ありがとうございます。」
「そうだ!君に正式にこの家に住んでもらうにあたって王宮に挨拶に行こうと思う。
王であられるアルノルト様には姫がいてなっ!
君のその美丈夫ぶりだったらきっと気に入ってもらえると思う。」
(ん?なんで姫に会わなきゃいけないんだ…?)
ご機嫌な侯爵に馬車に乗せられて、僕は王宮に連れて行かれるのだった。
◇◇
王宮に着くと、侍女だと思われる方々が何やら噂話をしていた。
「ねえねえ、ララ様、会談でマナーがなっていないって相手の国を激怒させたらしいわよ?」
「ふふっ、だって身分も低いのに寵愛だけで王太子妃におさまったんでしょ?
…外交なんてできるわけがないじゃない。」
「昔の婚約者だったルイーゼ様と違って頭も悪いものね。」
(ふーん…、母さんから婚約者を奪った例の王妃様はあんまり幸せじゃなさそうだな。)
そんな事を思いながらハミルトン侯爵と共に謁見室に入っていく。
すると、疲れた顔のアルノルト陛下と、娘だと思われる同い年くらいの女の子が座っていた。
「おおっ!其方がルイーゼのご子息か?!
ルイーゼはその…残念だったな。
半年間もその歳で一人で暮らすことになろうとは、さぞかし孤独だっただろう。よくぞ耐えたものだ。」
そう言って陛下は寂しそうに笑った。
(ん?なんでこの人母さんのこと呼び捨てにしてんの?元カノだから?)
僕の頭の中に疑問符が浮かびまくる。
「お父様ー!!この子、すっごい美丈夫じゃないっ!ルル、この子がいいなー。」
(ん?なんだ?『この子がいい』ってまるで市場で野菜を選ぶかのごとく言われたんだが…。
何の話だ?)
「わかったわかった。パパが話をまとめておいてやるから任せなさい。
――それにしても、テオ。
ルイーゼの大切な置き土産を!!
…よく見つけてきてくれたな。」
そう言ってアルノルト様は涙ぐみ出した。
(…ん?何言ってんだ、このおじさん。)
「とりあえず、正式な申し込みは書類をもって交わそう。今度こそハミルトン家と王家の縁を繋ごう。」
(…縁を繋ぐ?なんの話だろう…)
そんな事を思いながら僕はハミルトン侯爵と邸に戻るのだった。
その日、夕食を食べていると、ハミルトン夫人に言われた。
「それにしても、レオン。大変だったわね。
まさか、半年間も一人で暮らしていたなんて…。」
彼女は涙ぐんでいた。
「はあ。まあ、大変でしたけど近所の人が助けてくれるんで。」
言いながら僕はステーキを頬張る。
(うまっ!この肉超うまいっ!!)
「しかし、姉上は平民と駆け落ちなど、地獄のような生活だっただろうな。」
その言葉に僕はキョトンとする。
「…そうですかね?めっちゃ幸せそうでしたけど。」
その言葉に二人は目を見開く。
「で、でも!!こんなに若くして亡くなってしまったんでしょ?!貴族として優雅に暮らしていたらそんな事もなかったのでしょうに。」
そう言われて僕は目を丸くする。
「え、えーっと。さっきから思ってたんですけど、もしかして僕の両親のことを、皆さん死んだと思ってません?」
「あ、ああ。そうだろ?半年間もまだ15歳の君を遺していなくなるなど…。これからお義父様と呼びなさい。まだ書類の手続きは終わっていないがな。」
僕は思わずステーキで噎せそうになった。
「え、僕の両親、めっちゃ生きてますよ?ピンピンしてます!!」
「「…は?」」
――その時だった。
「すみません!テオ様!お嬢様が!!
ルイーゼお嬢様がいらっしゃいました!!」
家令のその言葉に思わずハミルトン侯爵が声を上げる。
「は?!なんだと?!」
◇◇
「やっほー!!!テオ!久しぶりっ!!
レオンの学費出してくれるんだって!?
ありがとーん!!」
玄関先にはマグロを抱えて仁王立ちした母がいた。
「母さんっ!よかった!マグロ漁から無事戻って来たんだね!」
「うんっ!あんたの置き手紙見たらテオがお金出してくれるって言うからお礼にマグロ持って来たー!!」
そんな母を見てハミルトン侯爵は白目を剥いている。
「ね、姉さん?!お亡くなりになったんじゃないんですか?!」
「ううん、漁で出かけてただけだよ?!
レオンー!!お留守番ありがとうね!!」
そう言って彼女は僕の頭をわしゃわしゃと撫でた。
「ちょっと母さん!やめてよ!頭が魚臭くなっちゃうよ!!」
ハミルトン侯爵と夫人は、ぽかんと口を開けたまま固まっている。
――人々は、平民と消えた母のことを『地獄に落ちた』と笑ったらしい。
けれど僕から見れば、漁から戻って朗らかに笑う両親の顔は、王宮で見た誰よりも幸せそうだった。
(とりあえず侯爵家で学費を出して貰えるなんてめっちゃありがたいっ!サイン、もらっといて良かったー。
まあ僕は『地獄に落ちた悪役令嬢』の息子だけど。
好きな事をしながら自分の道を歩いていこうっと。)
そんなことを考えながら、僕は魚臭くなった前髪を押さえてくすりと笑うのだった。
fin.
Zeddの「Clarity」から着想して書きました。本当は父母が亡くなっている設定だったのですが、あまりに可哀想で耐えられず、急遽マグロ漁に行っていただくことにしました。
シリアスなつもりが気づけばギャグに転がっていきましたが、楽しんでいただけたら嬉しいです。




