バイト先の先輩。門川菜々美の場合
高校生の僕は、人生初めてのアルバイトに挑戦した。よく学校の帰り道、遠回りをして寄るコンビニのバイト募集中の張り紙を見て僕は応募した。
なんでここで働こうと思ったかというと、業務内容や時給が理由ではない。たまに見かける店員さんに一目惚れをして、彼女と一緒に働きたいと思ったからだ。
門川菜々美先輩。今は客と店員の関係ではなく、バイトの先輩後輩の関係になった。
先輩は脚が長く高身長で、僕より少し背が高い。
ややつり目がちな瞳はハッキリとした雰囲気があり、始めは少し圧があって怖かったが今ではカッコいいと思うようになった。
そこら辺の男子よりもカッコいい先輩だが、出るところは出ていて締まっているところは締まっているメリハリのある女性的な身体つきをしている。
そして、業務中は黒く綺麗な長髪を一つに結んでいるが、バイト終わりにその髪を解き、自転車に乗って振り返ると「お疲れ、小林くん」と言って、夜の街に走っていく。
あの姿が本当にカッコよく、さらに惚れていった。
けれども、僕には先輩に告白する勇気がなかった。
時々、大学生の先輩から学生生活の話を聞くけど、とても楽しそうだし充実していそうだし、もしかしたらもう彼氏もいるかもしれない。第一、高校生の僕じゃ相手にされないんじゃないか。
そんな不安が悶々とするなか今日もバイトが終わり、コンビニから出たときにはもう日は落ちて空は真っ暗だった。僕は自分の自転車に向かっていた、その途中。
「お疲れ、小林くん」
後ろから先輩に声をかけられる。
「お疲れさまです先輩。あの、今日はありがとうございました」
「ん? あぁ、レジ対応のね」
お客さんが大勢来て、僕がレジを捌ききれなかったとき、門川先輩がフォローに入ってくれた。
「いつもいつも助けてくれて、ありがとうございます」
「いいって、私がやりたいからやってるだけだし」
先輩は僕に近づいてから歯を見せて笑う。
そういう仕草一つ一つが僕の心臓を高鳴らせる。
もしかして、先輩が優しくしてくれるのは気があるからなんじゃ。そう期待をしてしまう。
でも、大学生の先輩からしたら僕なんて子どもで、そんな気持ちなんてない気がする。
けれども、ここで勇気を出さなかったら、一生このままだ。
それに、きっと後悔をする。
高まった気持ちをきっかけに、僕は自転車の鍵を開けた先輩に向かう。
「せっ――先輩!」
無理やり声を出して先輩を引き留めた。
「ん? なあに?」
解いた髪を靡かせ、先輩は普段と変わらず微笑んでいた。
「だ、大事な、話が……あります」
先輩の目を見て言ったあと、深呼吸をする。そして頭を下げる。
「ずっと、前から……! 門川先輩のことが好きでした!」
自分の勇気を無駄にしないように、頭を下げて、僕の想いを先輩にこれでもかとぶつけた。
車が一台そばを通り過ぎて、再び夜の街へと消えていく。
「そっか……」
先輩はどこか安心したような、穏やかな吐息を出した。
「私たち、やっぱり両思いだったんだね」
「えっ、それって……」
「うん……私も好きだよ」
先輩がまぶたを閉じて笑うと、つり目が柔らかな曲線を描く。
「小林くんがまだお客さんだった時から、私はずっと見ていたよ。それで、一緒に働きだしてからはもっと君のことが好きになっちゃった」
毛先をいじりつつ先輩は頬を染める。
「小林くんが熱心に仕事してるとこはカッコいいし……。君、真面目だからミスしたら本気で落ち込んじゃうでしょ。そういうとこは思わず慰めたくなっちゃうくらいかわいくて。……私、小林くんと一緒にいたくて、シフトが君と被るようにしてた」
「そ、そうだったんですか」
僕も同じように先輩となるべく一緒になれるようにしていたが、まさか先輩もしていたとは。
「そう、一分でも一秒でも長く小林くんを見ていたくて……」
先輩はそこで区切ると、僕に笑顔を向けてこう言った。
「だからさ、今から私たち一緒に暮らさない?」
「えぇ!?」
突然の申し出に僕は口を大きく開けて叫んでしまった。
「いや……僕まだ高校生ですし、親と一緒に暮らしてるんですけど」
「私が挨拶に行くよ。小林くんちってどこ?」
「今から行く気ですか!? もう夜ですよ?」
「うん。早く伝えたいからね。でも、流石に小林くんのご両親に迷惑はかけられないから、今のは半分冗談だよ」
「半分……?」
「だから明日、私が小林くんちに行くから住所教えて」
僕の中の第六感が囁いてくる。危険だと。
普通、付き合ってすぐに同棲を提案してくるだろうか。いやない。そんなの聞いたことない。
もしかして……先輩ってまずい人なのか……?
「教えてくれないの?」
先輩のつり目がキラリと光ったような気がした。
いつもはカッコいいその目が、今は僕の背中にぞわりと悪寒を走らせる。
「……小林くんはいつも自転車でバイトに来てるよね。ということは、電車を使わない程度の距離。で、そこの道を左に行って帰るからあっち方面で。あと、エレベーターがあるって前話してたからマンション住みで。ペット飼いたくても飼えないって言ってたからペット禁止のところで――」
「住所特定しようとしてます?」
「両思いだし、彼氏の住んでるところを知っててもおかしくないよね?」
先輩は首を傾げ微笑む。
「……あ、僕、ちょっと急用が……。すみません先輩、また今度!」
「えっ、ちょっと? 小林くん⁉」
恐怖に負けた僕は、サドルを跨いで急いでペダルをこぎ、そこの道を右に曲がった。
翌日、10時過ぎに目が覚めた。何もない休日でも、普段ならもう少し早く起きているが、昨日は夜遅くまで起きていたからこんな時間になってしまった。
なにも夜更かししたくて遅くまで起きていたわけではない。昨日、強引に先輩から逃げるようにして帰ってしまい、その罪悪感から中々寝付けなかった。
自分から告白しておいて何をしてるんだ……。先輩の連絡先は知らないし、次先輩とシフトが被るのは5日後だ。
どうしよう……と考えているとそのまま日付は越えて丑三つ時が過ぎ、いつの間にか寝て気がついたときには日が昇っていた。
朝食を食べていないのでお腹が空いた。とりあえず何か食べてから考えようと思って体を起こす。
「小林くん、おはよー」
「あ、おはようござい……」
すぐ横の人物を見て一瞬で目が覚める。
「門川先輩っ⁉ え? なんでここにいるんですか⁉ ここっ……! 僕の家……僕の部屋……」
「来ちゃった……♡」
笑みを浮かべながらベッドの真横で椅子に座っていたのは門川先輩だった。
「そんなに怖がらないでよー。……あ、大丈夫、無断で入ったりはしてないよ。ちゃんと小林くんのお母さん……いや、お義母さんに許可を得て入ってるから」
「どっちにしろ怖いんですけど……。ていうか、母さんと先輩って面識ないはずですよね? なんで入れてるんですか……?」
「インターホンを鳴らしてさ、私がバイト先の先輩で小林くんちに遊びに来たついでに忘れ物を届けにきたって言ったら喜んで入れてくれたよ」
だから朝、母さん彼女が来るとか言って僕を叩き起こそうとしたんだ。僕は半分夢の中で、眠かったから頑固にベットで寝ていたけど。
「ところで小林くん……」
先輩は声音を変えて僕を見据える。
「なんで昨日逃げたの?」
「え、いや……それは……」
目の奥に光がなくなり、つり目が僕を突き刺す。怖くて冷や汗をかいてしまう。
「私はこんなに君のことが大好きなのに……ねぇ、なんで? どうして?」
問い詰めながら先輩はベットに上がって迫ってくる。
近づく先輩を避けようとするが当然逃げ場はなく、自然と僕はベッドの上で横になってしまう。
囲って逃げられないように先輩は手を僕の肩のすぐ横に、膝は僕の太ももを挟むようにしてついて四つん這いになった。
そして先輩の艶やかな黒髪が重力にならって垂れて僕の腕をくすぐる。
「私ね、ずっと小林くんと一緒になることを夢見てた。どうやって君に近づこうかなって毎日考えてた。だからね、君から告白されて嬉しかったんだよ」
「すみません先輩……。僕、先輩の気持ちを受け止めきれないって思っちゃって、怖くなって、不安になって……」
言うと、先輩は目元が柔らかくなる。
「そっかそっか。不安になっちゃったのか。ほんと君は真面目で良い子だね。……やっぱりかわいいなぁ」
さらに恍惚とした笑みを浮かべて僕を見つめてくる。
「小林くんはね、私のそばにいるだけでいいんだよ。何も怖がる必要なんてない。だから一生一緒にいてね?」
「あ、はいっ……」
圧が強く、僕はのどに引っかかりを覚えながら頷いた。
「そういえばさっきお義母さんが、今日は19時まで両親共に家には戻らないって言ってたんだよね」
言い終えると先輩の目の色が変わった。すると先輩は肘をつき、僕の顔を手で挟む。顔がぐっと近づき少し動けば先輩の唇に触れてしまいそうだ。そして接近すると同時に先輩の大きな胸が体に押しつけられる。
「せ、先輩……? なにを……? い、一応、僕、高校生なんで……」
「小林くんは、私にこうされるのは嫌?」
やんわりと断ろうとすると、先輩は悲しそうな目でこちらを見つめてくる。そうやって気持ちに訴えられてしまえば、素直な言葉を言わざるを得ない。
「嫌ってわけじゃないです……。むしろ、その……いいって言いますか……」
そう言うと先輩はにっこりと笑う。
「じゃあ問題ないね。だって愛の前では法なんて関係ないんだから」
「え? 先輩……? それ、どういう意味――」
「いっぱい幸せになろうね。小林くん」