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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

喜劇的な俺の異世界転生

作者: 0


「異世界転生した」

 

 あ……ありのまま、いま起こった事を話すぜ!

 俺こと佐藤(さとう) (れん)が学校帰りの交差点を歩いていたと思ったら、いつのまにかトラックに撥ねられていた。

 な……何を言ってるのかわからねーと思うが俺も何をされたのかわからなかった……。頭がどうにかなりそうだった……。

 白昼夢だとか中二病だとかそんなチャチなもんじゃあ、断じてねぇ。

 

「作り物の世界みたいだ……」

 

 俺はいつの間にか見渡す限り若草色に輝く平原の上に立っていた。

 頭上から降り注ぐ陽の光は温かく、頬を撫でる風が心地よく俺の黒髪を揺らした。目を瞑って大きく息を吸い込むと、都会の排ガスに汚染された空気とは全く違う空気が肺を満たした。


 目を開けて、その場でゆっくりと一回転して周囲を見渡す。

 都会の高層ビルに囲まれた生活しか知らない俺からすれば、どこまでも見通せる景色というのは不思議な感覚。

 

 遠くに山が見える以外は、何もないあゝ素晴らしき大自然。

 人の手による開発が進み過ぎた現代では、ゲームでしか見ることができないような景色。


 背中から大きな突風が吹き抜けた。

 それは瞳に映る世界が、まるで俺にこう語りかけたようだった。


 ――これがこれからお前の生きる世界だ。


 §

 

「厳密には、俺は異世界転生じゃなくて異世界転移か。どっちにしろ――まじかよ。やった! これでもう高校で勉強も運動もしなくていいんだ!」

 

 馴染めない高校生活ともこれでおさらばだ。教室では周りの馬鹿を移されたくなくて、俺はいつも寝ているふりをしていた。

 くだらない部活の話や下ネタでうるさい男子。貧乳派か巨乳派かなんて、よくもそんな話で盛り上がれる。その一方で、先輩や隣のクラスの同級生への恋愛(笑)で盛り上がる女子。


 ほんと周りは馬鹿ばっかりだ。


「世界は変わる。変えられる。あーあ、どうせならこのあとの活躍もクラスの奴らに見せつけてやりたかったな」


 俺がこれからこの異世界を救うところを。俺はお前たちとは違うというところを。

 

 俺をそこらの有象無象の一人のように扱うクラスメート(あいつら)が大嫌いだった。

 

 これは影で馬鹿にしていたに違いないクラスメートへざまぁする絶好の機会だった。

 トラックに轢かれて異世界転生ときたら、ご褒美のチートはお決まりだからだ。

 

 俺は左手を勢いよく前に振り上げると、

「ステータス――オープンッ!!」


 決まった! 俺はそう思った。

 俺が暇つぶしによく使っていたインターネット小説投稿サイト「なろお」では異世界転生×チートは鉄板中の鉄板。

 今ではテンプレと呼ばれるくらい当たり前の導入だった。ファンタジーでランキングに乗ろうと思ったら外せない組み合わせだ。異世界転生という白ご飯の上に、チートという主菜を乗せ、そこに好みの副菜として主人公最強、ハーレム、スローライフが乗せられる。それはもう異世界ファンタジー丼。


 そして、この物語の主人公は――俺!

 どんなチートが使えるんだろうか? 胸が高鳴って仕方がない。それはサンタクロースのプレゼントを心待ちにするクリスマスイブの子どものように。

 

 しかし、いくら待って見ても何も見えない、何も変わらない。


 俺はもう一度、

「ステータスオープン!」


 しかし、やはり何も起こらない。

 おかしいな、呪文が違ったのだろうか?


「ステータスオープン! オープンステータス! えっと、開けステータス! ステータス開け!」


 言葉を変え、体の動きを変えて試してみるが、やはり何も起こらない。

 その後もしばらく手を変え品を変え、ステータスの表示を試みたがどれも徒労に終わった。


「だめだ、ステータスが出ない」

 ちぇっ、と俺は小さく悪態をついた。


 これはあとで出会うだろうギルドやシスターにステータスを見てもらうパターンかもしれない。まぁいいか。それならそれで、あとの楽しみにとっておこう。

 だいたいそこでぶっこわれスキルや、能力値のカンストしていることがわかる。はいはい、お約束お約束。


「にしてもこれからどうしよう」


 どうせなら勇者召喚とかの召喚の儀で呼ばれたかったと思うのは贅沢すぎるだろうか。

 だって、移動するの面倒だし。メタ的な発言をするとどうせ冒険者とか、巡回中の兵士に拾われて町へ行くパターンだ、これ。


「って考えているそばからきたじゃん。おーい! おーーい!」


 俺はこっちに向かってくる御者へと大きく手を振りながら思った。

 ――可愛いこちゃんお願いします! どうせならおっぱい大きいこがいい。教室じゃ言えなかったけど、異世界(いま)なら言える。


「俺は巨乳派だぁーー!」


 やべっ、聞かれたか?


 興奮のあまり考えなしに叫んだ直後、我に返って俺は慌てて口を閉じた。


 どこか慌てた様子で馬のようなナニカに乗って向かってくるのは、俺の予想した通り冒険者っぽい美少女だった。

 少し癖のある肩にかかる金髪に、宝石のようなぱっちりとした翡翠の瞳。緩い服の胸元からは深い谷間が垣間見える。『いかにも冒険してます!』という服装がかわいらしい。そう彼女は、たしかに俺が望んだとおり可愛い少女だった。それも俺の度肝を抜くような。


「うそ……だろ?」


 俺は自分の目に映った光景が信じられなかった。


 馬から降りた彼女が、目の前まで近寄ってくると、その美しさがより際立って理解できた。


 呆然と立ち尽くす俺に、彼女は心配そうに声をかけてくる。

 鼓膜を通る彼女の声も、見た目同様に涼やかで心地が良い。


 だが、今の俺には彼女の言葉は耳に入ってこなかった。


 ただひたすらに彼女という存在に衝撃を受けていた。

 

「3……D……」


 3D。それが俺の転生先の世界。否、世界観(ジゲン)

 夢のようなおとぎ話の世界。俺は文字通り異なる世界観へと転生をはたしたようだった。


 現実に打ちのめされた。今の俺の現実が3Dという事実に打ちのめされた。

 それだけでも十分なのに、さらに追い打ちをかけるような事態が襲い掛かる。


「*******?」

「……ご、ごめん。なんて? も、もう一回言って?」


 首を傾げる俺の言葉に彼女も首を傾げると、

「**? *******?」

「な、なんだ。なんだよこれ……」

 

 彼女の口から発せられた、全く聞いたことがない音の羅列に、さーっと血の気が引く。

 ここにいたって俺はなろおでは当たり前のことが、現実では当たり前ではないことに気がついた。


「うそだろ、おい、うそだろ……ッ!」

 

 俺の異世界転生には、なろおでは当たり前であった言語パックが導入されていなかった。


 俺は自分の口元にひとさし指を当てると、縋るように言葉を吐き出す。

「うそだろ……? 俺の言葉、わかるだろ?」


 ――頼む。お願いだ。

 

 だが、俺の願いに反して目の前の現実は無情なものであった。


 彼女はその整った眉に皺を寄せると、

「***……」

 申し訳なさそうに首を横に振るのであった。


 つまり、俺には彼女の言っていることがわからず、彼女も俺の言っていることがわからなかった。


 異世界の地に立った俺は、意思疎通という点で大きい赤ちゃん状態だった。

 それはこの異世界転生が一筋縄ではいかないことが確定した瞬間であった。


 俺はいるかもわからない神様を恨んだ。


 不幸中の幸いが、冒険者ちゃんはいい子だった。彼女の名前はわからない。

 互いに自分を指差しながら自己紹介をしたが、彼女の言葉の発音は非常に難しかった。何度も挑戦したが、そのたびに眉を顰められて試しに「冒険者ちゃん」と呼んでみたら一番マシな反応が返ってきたので、俺はとりあえず彼女のことは「冒険者ちゃん」と呼ぶことにした。ただ、そもそも彼女が本当に冒険者なのかは今の俺にはわからない。


 冒険者ちゃんはおそろしく面倒見がよかった。

 この世界の住人は男女問わず、みな見た目がいい。彼女もその例の一つで、さらにその外面同様にその内面も綺麗なようだった。


 冒険者ちゃんは言葉もわからない身元不明の俺を家へと連れて帰り、世話を甲斐甲斐しくやいてくれた。


 そんな冒険者ちゃんの下で、俺の異世界引きこもり生活が始まった。

 

 冒険者ちゃん以外誰とも会わない日々。外出もたまに変装して買い出しに付き合うぐらい。どうせ言葉が通じないのでそれでもよかった。

 一度だけ冒険者ちゃん並みにずば抜けて容姿端麗な男女二人組が姿を見せたことがあったが、それぐらいであった。


「**!」

「**、**……」


 彼らもまたあれこれと話しかけてくれたが、やはり俺には彼らが何と言っているのか欠片もわからなかった。それでもなぜか満足げな様子で帰っていった二人がどこか印象的だった。


 基本的に冒険者ちゃんと二人きりの生活。

 俺と冒険者ちゃんとの意思疎通はすべて身振り手振りで行われた。


 冒険者ちゃんは数日に一回、朝にフラッと出かけて日没までに帰ってくる。おそらく冒険者としての仕事だろう。

 その間、俺にはやることがない。いや、彼女がいてもないんだが。


 冒険者ちゃんは美人だ。精巧な彫刻のような美人だ。

 とびきりの美人と二人きりで生活と聞くと、桃色な展開に発展しそうなものである。だが、彼女は劣情を抱くには容姿が整い過ぎていた。

 世の中には彫刻に滾らせる者もいるとは聞く。だが、残念ながら俺はそうではなかった。


 そんな中、俺は絵本にはまった。それぐらいしかやることがなかった。

 絵本はいい。文字がわからなくてもなんとなく楽しめるのだから。

 

 冒険者ちゃんの部屋で見つけた一冊の絵本。

 暇つぶしに手を取ったその本はおもしろかった。暇に飽いていた俺は冒険者ちゃんにもっと読みたいとアピールしたら、次の日から彼女は外出するたびに絵本を持って帰ってくれるようになった。

 

 冒険者ちゃんの家での暮らしや、絵本から学んだこの世界は、あまりにも俺の元いた世界とはかけ離れていた。

 

 例えば、食文化。

 この世界で当たり前のように提供されている謎肉はグロ過ぎた。あれは庶民が食べるものだからなのか、地域柄なのかまではわからない。ただ、素材の味がそのまま味蕾を逆撫でするような衝撃はたまらない。


「まっず……」

 

 冒険者ちゃんの手料理。はじめてその肉を口にしたときは衝撃のあまり、恐る恐る口に入れたソレをその十倍の速さで吐き出すことになった。

 肉がだめなら、魚。と二日目には、魚料理を身振り手振りでリクエストしたが、結果は変わらなかった。


 最初はただ冒険者ちゃんの料理スキルが残念なのかと思い、一度だけ我儘を言って外食してみたが、口に入るグロ肉のグロさの鮮度が上がっただけだった。

 一度、肉料理に代わる前のそれらの姿を見る機会があったが、それは生まれて初めて菜食主義者に心が傾いた瞬間だった。

 

 あとは当たり前のことだが生活習慣。

 特に湯浴みの文化がないことがこんなにも不便なことだとは、元の世界では考えもしなかった。


「きったな……」

 

 冒険者ちゃんたちも別に身を清めないというわけではない。ただそれが沐浴スタイルなのだ。桶に水をためて、桶の水で濡らした布地を使って体や髪を拭く。数日に一度、町に流れている川で入浴。川は入浴施設のような扱いで、いつも裸の男女で溢れていた。フローラルな匂いのシャンプーとボディーソープをお湯で流すことが当たり前の身としては、それらは地味に精神的負荷のかかる生活習慣であった。

 

 なにより一番の違いは、

「魔法だ……」


 この世界には魔法があった。ファンタジー世界でおきまりの。

 冒険者ちゃんが魔法を使う瞬間をみたとき、この世界に降り立ったとき以来、久しぶりに俺の心は躍った。


 俺は意味深に窓の向こうに広がる空を見つめると、

「……わかった。ここからが俺の物語ってわけか」


 これまでは導入パート。きっと俺が魔法チートでこの世界で無双する物語がここから始まるはずだ。

 問題はどうやって魔法を使うかだ。俺が冒険者ちゃんに拾われて一週間。相変わらず俺は彼女たちの言葉がわからないままだった。


 ――はやく世界が変わらないかな。俺はそんなことばかり考えていた。

 

 §

 

 俺がこの世界に転生して一か月の時間が流れた。


 俺は何も変わらず、おおきな赤ん坊だった。

 幸い、今も変わらず冒険者ちゃんに養われる毎日だ。

 

 クソまずい料理と、心休まらない入浴。使えない魔法。

 俺の心は不満でいっぱいだった。にもかかわらず、俺は何も行動を起こさないでいた。


 言葉を学ぶでもなく、体を鍛えるわけもなく、なにか努力をするわけもない。


「働いたら負けだ」

 

 不自由な生活であっても一か月もすれば、そんなことが嘯けるほどの心の余裕も生まれてくる。

 そのうち起きる俺の覚醒イベントまでの辛抱だ。俺はそう信じてやまなかった。あの日までは。


 冒険者ちゃんが死んだ。

 

 冒険者ちゃんの与えてくれる生活に甘え切った俺は、その事実をすぐには理解できなかった。

 いつもは家を出たその日の日没前には帰ってくる彼女。どんなに遅くてもその翌日の夜明けの朝までには帰ってきた彼女。

 

 しかし、ある日の外出を境に彼女が返ってくることはなかった。

 

「おせーな冒険者ちゃん。なにしてんだよ」

 

 冒険者ちゃんが借りていた部屋に数日分の飲食物は置いてあったが、それもすぐに底をついた。

 しかし、彼女との外出で食材を買うことができる場所は知っていたし、部屋の中のお金の保管場所も知っていた。だから、部屋の飲食物がなくなったときは、そのお金を使って外に水と食べ物を買いに行った。


 冒険者ならそんなこともあるかと気にも留めなかった――以前に冒険者ちゃんの紹介で出会った男女二人組が、甘ったれた俺の生活をぶち壊しに現れるまでは。


 ある日、何の前触れもなく俺の前に再び姿を現した彼らは、言葉がわからない俺のために丁寧にも絵図を用いて、身振り手振りで事情を説明してくれた。


 そこまでして俺はようやく理解した。彼女が死んだことを。


 すぐには受け入れがたい事実だった。だが、それが真実だった。


 彼女の庇護をなくした俺にはなにもなかった。


 俺は遅れてここまで報いてくれた彼女を弔いたいと思った。

 

 そして気がついた。俺はここまでしてくれた彼女の名前さえ知らなかったことを。


 そして、俺は打ちのめされた――俺が彼女を自分を引き立てるNPCの一人としか見ていなかった事実に。


 俺は泣いた。この世界の自分の居場所を失ったことに。

 俺は泣いた。ここまで面倒を見てくれていた優しい彼女が死んだことに。

 俺は泣いた。俺は俺自身が嫌いだったクラスメートそのものであったことに気がついたから。


 ――なんてまぬけ! 自分という存在が自分の嫌いな人間であったと思い知らされるなんて。なんて喜劇的な異世界転生だ。

 

 恥も外聞もなく俺は泣き続けた。

 

 ――変わらなければならないのは、世界ではなく俺のほうだった。

 

 §


 冒険者ちゃんたちの家を整理しにきた二人の男女は、行き場のない俺の身元を引き取ってくれた。


 俺はあれよあれよと周囲の建物より図抜けて大きな威厳のある建物へと連れていかれ、そこでスーツ姿の威厳のある男性と対面させられた。

 俺は男女二人組の間へと挟まれるように座り、威厳ある男と向かい合う。目の前の男との話は両脇に座った二人がした。俺にできることと言えば、ただ二人と目の前の威厳ある男の間で視線を動かすことだけであった。

 

 そして最終的に二人の男女は、話の動向がわからないに俺のために絵図を描いてくれた。その絵図によると、その気があるなら目の前の男がここで雇ってくれるというものであった。


 俺はそれを理解するとすぐにその場を立ち上がった。


「俺をここで働かせてくださいッ!!」

 人生の中でこれほど大きな声を出した記憶はなかった。


 目の前の男へと深々と頭を下げて、ぎゅっと目を瞑る。

 俺の言葉は通じないだろう。それは知っている。知っていても言葉を吐かずにはいられなかった。

 

 必要は成功の母とはよく言ったものである。

 俺は変わった。変わらなければならなかった。そうでなければ、俺はわけもわからず転生したこの世界で、わけもわからないままに死ななければならなかったから。なんのためにこの世界へと転生したのかはわからない。だが、それだけはごめんだった。


「**」

 威厳ある男の言葉に俺を顔を上げた。


 その言葉の意味はわからなかった。

 ただ顔を上げた俺の視線の先で男は相変わらず厳めしい顔をしていたが、たしかにはっきりと彼の首が上下に動くのが見えた。


 それは俺の想いが言葉の壁を越えた瞬間だった。


「ありがとうございますッ!」


 俺は言葉が伝わらないとわかっていても言葉を吐き、もう一度深々と頭を下げた。

 熱い涙が俺の視界を奪うとともに、こみ上げる嗚咽をこらえることができなかった。下げた俺の頭から零れ落ちた熱い雫がポトリポトリと散発的に机を濡らす。

 すると、それまで左右に座っていた二人もなぜか盛り上がって、どちらからともなく俺をもみくちゃに揉みしだく。俺の髪はあっという間にぐちゃぐちゃになる。


 ――冒険者ちゃんに繋いでもらった(いのち)はこの世界で生きていく。

 

 §

 

 俺にあてがわれた執務室。

 机に座った俺は机の上の原稿に、繰り返し注意深く目を通していた。


 窓の外から差し込む光が薄暗く、世界が緩やかに、そして確実に夜へと染まりつつあった。

 執務室の隅に設置された照明器具もその本分を果たすべく、かすかな明りをその中に灯し始めていた。


 ふと机の上に置いた小型の鏡に映った自分と目が合った。

 変わらない外面。変わった内面。そこには十年前の甘ったれはすでにいない。俺は確かにこの世界で生きていた。


 言語すらわからなかった自分がよくもここまで。そう思うと少し懐かく思うのは流れた年月ゆえか。

 

 俺がしばし物思いにふけっていると、個室の扉が来訪者の手により勢いよく開け放たれた。

 ノックなんてものはなかった。しかし、逆にそれが顔を上げずとも来訪者が誰かを教えてくれてもいた。

 

「レンー!」

「はいはい」


 飛び込むように勢いよく部屋へと入ってきたのは、最近俺によく懐いてくれている元気娘だ。

 この世界で俺という存在は人目を引き寄せる。なかには嫌悪を示すものもいれば、こうして好意を示してくれるものもいる。


 俺のおざなりな返事に元気娘はその頬を膨らませると、

「はいは一回!」

「はいはい」


 俺が元気娘の言葉を受け流すと、彼女は不満そうに後ろを振り返った。

「ねーさん! にーさん!」

 

 元気娘の背後には新たに二人の入室者の影があった。


 俺が知る限り最も容姿の整った二人。

 

「レンちゃんは選挙演説の準備で忙しいから、ね?」

「よぉ、レン。気張ってるか」


 ニーサンとネーサン。


 冒険者ちゃんが亡くなったあとで、俺を拾い上げてくれた二人だ。

 あれからもあれそれと手を回して、当時の俺を支えてくれた大恩人である。それを言うと調子に乗るのは分かりきっているのでわざわざ口に出したりはしないが。

 

「このクッソ忙しいときになんのようだ」

 

 そうなのだ。俺は絶賛お取り込み中なのだ。いまこの十年間の集大成が花開こうとしている。

 そして、それを彼らもまたそれを知っていた。

 

「忙しいときだからこそよ。今回の魔法協会の支部長選挙、応援しているからね」

「まさかあのときの泣き虫野郎が、いまや”発明王”と呼ばれて、魔法協会支部の支部長選に出るまで成長するなんてな」


 ”発明王”。それはいつからか与えられたこの世界での俺の二つ名。

 本物の発明者を知っている俺からすれば恐縮する二つ名だ。俺はあくまで過去の世界の知識を流用したり、こっちの世界で不等な扱いを受けていた本物の発明家たちに手を差し伸べただけで。


「なんだっけ? 異世界料理の開発。公衆浴場の導入、整備。暗号言語の考案」

「おまけに種族を問わない博愛主義。頭のお堅い貴族主義者以外はもうみんなレンちゃんにメロメロよ」

 

 飯がまずいなら美味しい料理を教えてあげればいい。

 湯浴み文化がないなら、その文化の素晴らしさを伝えればいい。

 通じない言葉は、秘匿性の高い情報への暗号言語として使用すればいい。


「お前のおかげで俺たちも随分と動きやすくなった」

「ねー。これもレンちゃんさまさまよ」

 

 もちろんすぐにはどれもすぐにはうまくいかなかった。

 何度も壁にぶつかった。何度もくじけそうになった。そのたびにニーサンとネーサンの尽力もあって、それらを成し遂げることができた。

 

「茶化すなよ」

「おいおい、次期支部長ともあろうお方が口がわりぃーな」

「おかげさまでな」


 俺は彼らからこの世界の言葉を一から、いやゼロから学んだ。

 彼らには学があった。ただし、冒険者らしく少しばかり品には欠けていた。


 ニーサンとネーサンには感謝してもしきれない。

 支部長への立候補はそんな彼らへの恩返しだ。俺が支部長になれば、そこで活動する冒険者の二人にはいろいろと便宜を図ることができる。

 

「つくづくおかしな存在だぜ、おめーは。それが魔法協会の支部長になるなんて前代未聞だ」

「まだ決まったわけじゃないがな」

「いーや、決まりだね。この支部の冒険者たちからのお前の評判を知っているのか? 謙遜も過ぎればただの嫌味だぞ?」


 自慢じゃないが現場からの評価では、俺が今回の支部長選挙の候補者の中では圧倒的な支持を得ていた。

 なんというか、俺は公平なんだそうだ。どうも容姿や種族に左右されないということが高評価の要因らしい。


 俺からすれば、容姿という点では、この世界の人物はみんなゲームのアバターのようなものだ。

 十年たった今でも俺にとってはニーサンやネーサンですら、人の形をしたアバターに感じてしまう。そのおかげで良くも悪くも、他者へと分け隔てなく距離感を保つことができていた。

 

「支部長候補者の中には現職の副支部長もいるだろ」

「あら? 邪魔になるなら私たちが消してきてもいいのよ? 大丈夫、おねーさんに任せて。こういうの得意なの」

「やめろやめろ。上級冒険者のお前たちが言うと洒落にならん」


 ネーサンの物騒な提案を手を振って否定する。なまじそれだけの力がある分シャレにならない。上級冒険者とは選ばれた実力者たちしか持ちえない肩書であるのだ。

 

 それを聞いていたニーサンは、

「あの阿呆なら大丈夫だ。選挙を控えた時期に協会の後援会幹部の妻との不倫なんて阿呆の極みだ」


 今回の選挙の最有力候補と呼ばれていた現副支部長は、後援会へのやらかしという紐なしバンジーの結果、著しくその評価を落としていた。

 

「それに比べてお前ときたら……。お前を拾ったときから十年の付き合いになるが、浮いた話の一つもない」


 この世界で生きるとは決めた。だが、まだ3Dの存在へと恋をするのには至らない。

 物語のキャラクターは物語だからこそ忌憚なく愛せるのだ。かつて俺いた世界でも別世界の存在に恋愛感情をもった者はいた。だが、彼らは極めて少数派であり、俺はその一人ではなかった。

 加えて、こちらの世界の人族の肌の感覚も、俺が覚えている人肌とは感触が少し違う。仕事で触れ合う分には気にならないが、それが恋人のそれとなるとまた違う。それに前の世界の幼少期に培われた生理的趣向というものもある。その理性を壊すほどの出会いはまだ俺には訪れていなかった。


 だから俺は、

「……いい人がいたらな」 

「かーっ、お前ももう三十だろう? 女の一人や二人いてもいい頃だ」


 ニーサンは大仰に額を抑えて天を仰いだ。


 ネーサンも、

「そうよ。ここにも(わたくし)という独り身のいい女がいるのよ?」

「……俺にはもったいない」


 ネーサンは机の上に臀部を乗せると、

「あら、私こう見えてもモテるのよ……?」

 艶めかしくしなを作った。

 

 それを見たニーサンが、

「ばばあには興味ないってよ」


 ニーサンのその一言で、室内には瞬く間に殺伐とした空気が流れた。

 

「ぶち殺す……ッ!」

「ぶち殺し返す……ッ!」


 突如目の前で繰り広げられる乱闘戦。

 本気ではないとはいえ、上級冒険者同士の乱闘は威力がすごい。あっという間に衝撃波で部屋が散らかっていく。

 

「ばばあって……お前ら姉弟だろ」


 選挙のためにいつもより念入りに片付けていたのに……。


 暴れる二人をよそにハイハイっと机の上に身を乗り出した元気娘は、

「あたし! あたしは!?」

 勢いよく勢いよく挙手を繰り返した。


「……もう十年経ったら考えておく」

「やったーー!」


 快哉をあげる元気娘を見ていると自然と笑みがこぼれる。

 どこの世界でも子供は明るく元気でいることにかぎる。そう考えている自分に気がつくと、俺も大人になったんだな、としみじみ感じる。

 

 いつの間にか喧嘩を辞めていたネーサンは、

「あ、ずるーい。もー、レンちゃんはこの子に甘いんだから」

 

 どういって元気娘の頭を上から押さえつけるようにくしゃっと撫でた。

 

「そういえばさ。ニーサン」

「なんだぁ?」


 じゃれるネーサンと元気娘を横目に、俺はニーサンへと声をかける。

 

「どうして俺を拾ってくれたんだ? 行き場がないとはいえ、言葉もわからなかった俺を」


 かねてから胸につっかえていた疑問。言葉も喋ることができない無力な俺をなぜ二人は拾ってくれたのか。二人だけではない。もし冒険者ちゃんが生きていれば、彼女にこそ聞いてみたかった。


 そう考えたことは一度や二度の話ではない。

 

 知りたかった。冒険者ちゃんの同志だったという二人に。それが冒険者ちゃんと俺のつながりを教えてくれる気がして。


 俺は真剣な眼差しに、ニーサンは照れくさそうに頭をかいた。

 

 ニーサンは、

「だってレン。おまえは俺たちが呼んだんだからな、お前の元いた世界から――平面世界から」

 心底うれしそうに笑っていた。


 その言葉に俺の思考は停止した。


 固まった俺の耳の中をニーサンの声が通り抜ける。

「厳密には俺とアイツと、レンが最初に出会った冒険者の彼女とでだが」


 遅れてその言葉の意味を咀嚼し始める。

 

 誰が? 誰を? なんのために?


 ニーサンの言葉が脳裏をよぎる。

『お前のおかげで俺たちも随分と動きやすくなった』


 ――ニーサンたちが。――俺を。――彼らの利益のために。


 それじゃあ、冒険者ちゃんは? と考えたところで、点と点が繋がった。


 ネーサンの言葉が脳裏をよぎる。

『あら? 邪魔になるなら私たちが消してきてもいいのよ? 大丈夫、おねーさんに任せて。こういうの得意なの』


 ――ネーサンたちが。――冒険者ちゃんを。――殺した。


 繋がった点は線を描く。

 恩人は恩人の仇で、仇の恩人は同時に恩人でもあって――そもそも最初の恩人である冒険者ちゃんが俺を保護したのは、俺が転生者だと知っていたから。そして、彼女もまた俺を利用しようとしていた。だが、彼女たちの間で意見が合わなくなって、同志であったはずのニーサンとネーサンに殺された。


 描かれた線が問いかける。

 ――恩返し? いったい誰が誰に?


 笑顔のニーサンを見て、残りの二人も笑顔を浮かべて近づいてくる。

「なに話しているの二人とも?」

「ふたりともー!」

 

 俺ははたして今どんな顔をしているのだろうか。


 どんな顔を浮かべればいいのだろうか。

 

 俺の異世界転生は喜劇に満ちていた。

 

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