嘘に隠れた愛/形となった愛
「ねえ、今日さ、帰り寄り道しない?」
放課後の廊下で、そう声をかけてきたのは、クラスメイトの**雪**だった。
色素の薄い髪と静かな瞳。
目立つタイプじゃないけど、何となく目を引く子。
私、**花音**とは席が近かったせいで、最近よく話すようになった。
「いいよ、どこ行くの?」
「駅前の公園。……ちょっと、話したいことがあって」
その時は、特別な意味なんてなかった。
“ちょっとした相談”だと思ってた。
公園に着いた頃、空は淡く茜色に染まりはじめていた。
「ここ、来たの久しぶりかも。小学生のとき、よく自転車で来てた」
「うん、静かでいい場所だよね」
春風に揺れる制服の裾。
並んでベンチに座った私たちのあいだに、少しだけ沈黙が落ちた。
そして雪が、
ぽつりと、小さく、でもはっきりと呟いた。
「……私、貴女のことが好き」
風の音が、一瞬止んだ気がした。
「……え?」
「花音のこと、ずっと好きだったの」
「…………」
沈黙。
頭が真っ白になった。
次の瞬間、喉からつい反射的に出た言葉は――
「あ〜〜……そっか! 今日、エイプリルフールだもんね!」
「え?」
「もうびっくりしたよ〜!
本気かと思った! ほんと、心臓止まるかと思ったって!」
笑いながら、私はごまかすように手を振った。
でも。
雪の顔が、笑っていなかった。
「……そうだよね。今日は、嘘をついても許される日、だもんね」
「え、……あ、ごめん? え、でも、ちが――」
「あのね、花音」
雪の声が、すごく優しかった。
「うん、エイプリルフールだよ。嘘だよ。
……だから、忘れて。明日からは、普通に戻るから」
「ちょ、ちょっと待って、私、別に――」
「いいの。ありがとう。
笑ってくれて、ちょっと救われたから」
その言葉を残して、雪は立ち上がった。
夕焼けに背中を照らされて、
まるで泣いているみたいに見えたけど、私は追いかけられなかった。
次の日。
雪はいつも通り、私の隣の席に座っていた。
「おはよ、花音」
「……おはよ」
「今日の体育、だるいね〜」
「うん、だるいね」
会話は変わらない。
でも、何かが決定的に変わっていた。
それは、“伝えてしまった側”の諦めと、
“受け取ってしまった側”の戸惑いだった。
教室のざわめきの中、私はそっと雪の横顔を盗み見た。
淡い光の下、彼女は静かに笑っていた。
まるで、昨日なんてなかったみたいに。
でも私は知っている。
あれは“嘘”なんかじゃなかった。
あの声も、視線も、沈黙も。
全部、本物だった。
だけど、私はそれを“嘘”にしてしまった。
あのあと、家で何度も思い返した。
“ほんとは、私も好きだったかもしれない”って。
雪のことを、特別に思ってたかもしれないって。
でも、あの一瞬で返せなかったことが、
きっとすべてだった。
私は「嘘だよね」って言ってしまった。
それが答えだった。
言い直す時間は、過ぎてしまった。
夕暮れ、帰り道。
雪と別れてから、私はぽつりと呟いた。
「ねえ、雪」
聞こえるわけもない、空に向けて。
「私ね、昨日の“嘘”……
本当だったら、ちょっとだけ、うれしかったんだよ」
その言葉は、風に溶けて、どこにも届かない。
だけど、私の胸の中には、
たしかに“何か”が残ったままだった。
春の終わり。
誰もが騒がしくなる季節。
私はまだ、
“あの嘘の中にあった愛”を忘れられずにいた。
そして今日も、雪は何も言わずに、
隣で静かに笑っている。
あれから、季節はふたつ過ぎた。
雪との関係は――何も変わらないままだった。
隣の席に座り、同じ教科書を広げて、
たまに笑い合って、会話をして。
本当に、何もなかったかのように。
だけど、私の胸の中には、ずっと引っかかったままだった。
「あの時、“嘘だよ”なんて言わなければ」
春の夕暮れ、あのベンチで。
あの言葉の重さを、もっと真剣に受け止めていたら。
でも私は怖かった。
あの場で「本当なの?」と聞くのが。
万が一、本当に嘘だったら、壊れる気がして。
……なのに結局、“壊した”のは私だった。
六月、梅雨。
今日もまた、しとしとと雨が降っていた。
授業が終わった後、雪がぽつりと声をかけてきた。
「ねえ、傘……持ってないよね?」
「え、あ……うん」
「私の、入る?」
「……うん」
並んで入った傘の下。
それは、あの春の日ぶりの距離感だった。
ドキドキして、でも懐かしくて、ちょっと苦しくて。
「……なんかさ」
歩きながら、雪が口を開いた。
「この雨、春に降ってくれたらよかったのにね」
「え?」
「嘘とかじゃなくて、ほんとに泣きたいときってあるでしょ?
でもそういう時に限って、空って晴れてたりする」
私は言葉に詰まった。
雪は、まだ覚えていた。
あの日のことを、
ちゃんと、ずっと、覚えていた。
「雪……」
私が呼ぶと、彼女は顔を傾けた。
「ん?」
「……あの時、ごめんね。私、嘘だって決めつけて」
「……ううん。あれは、私の言い方が悪かったし」
「ちがうよ。雪の気持ち、本当だったって、今ならわかる。
私……バカだった。本当は、うれしかったのに」
雨音だけが傘の外で鳴っていた。
「いま、言っても遅いかもしれないけど――
私も、ずっと雪のことが好きだった」
その瞬間、雪の瞳が少しだけ見開かれた。
「……ほんと?」
「うん。嘘じゃない。今日はエイプリルフールじゃないし」
「でも、今日も雨だよ?」
「だから、濡れてもいい。伝えたかったの」
私は傘をそっと置いて、雨に打たれながら、彼女を見つめた。
雪はほんの少しだけ震えたあと、
私の腕を掴んで、ぎゅっと抱きしめてくれた。
「……ばか」
「うん。ばかだよ」
「でも、私もずっと待ってた。
花音が、あの“嘘”を取り戻してくれるのを」
「ごめん、時間かかって」
「でも今なら――本当に、嬉しい」
そう言って、彼女は私の頬にそっとキスをくれた。
それは、四月一日ではなく、
六月の、本物の雨の中で交わされた、**本当の“好き”**だった。
次の日から、私たちは“特別”になった。
手を繋いで帰って、
部活帰りには飲み物を買って、
どちらからともなく「会いたい」と言うようになった。
教室の中では変わらないふたり。
でも、机の下では、そっと指が重なっている。
「あの時、“嘘だ”って言ったの、ちょっとだけ後悔してる?」
「……うーん、ちょっとだけ」
「ちょっとだけ?」
「だって、結局こうして結ばれたから。
嘘の中に隠してたけど、それでも本物だったから。
あの日も、今日も」
雪は笑って、私の手をぎゅっと握った。
「“好き”って言ってくれて、ありがとう。あの日も、今日も、ずっと」
その言葉は、雨音よりも優しく、
春の風よりもあたたかく、
そして、嘘よりもずっと、確かな愛だった。




