第6話
「うん、テストは合格だね。次の段階に進もうか」
「はい」
この家に引き取られてから三週間余り。教育係から出されたテストでなんとか合格点に届いてアナベラさんから次に進む許可をいただけて胸を撫で下ろす。
あと半年もあるが、あと半年しかないともいえる。あの家から引き離してくれた二人に応えるためにももっと頑張らないと……。
膝の上に置いていた手をぐっと握りしめると頭にアナベラさんの手が乗り、顔を上げると彼女は微笑んでいた。
「今日はもう終わりにしようか」
「え、でも……」
「お腹が空いてしまったんだ。付き合ってくれ」
「はい……」
そう言われては断ることができず、私たちは居間に移動してリリーが用意してくれたスイーツに舌鼓を打つ。
ふと視線を感じれば、向かいに座っているアナベラさんは紅茶を飲みながら微笑ましく私を見ていることに気づいて恥ずかしくなる。
「あ、あの、お聞きしてもよろしいですか?」
「ん? なんでもどうぞ」
「その……どうしてアナベラさんは養子を取ろうと思われたんですか?」
私はずっと気になっていたことを聞くと彼女は驚いた顔をする。彼女が養子を探していたと何度か聞いたけれど、元々なぜ探すことにしたのか知りたかった。
「……気になる?」
「はい……私を養子にした理由は前に聞きましたけど、そもそも養子を取ることにしたのは聞いたことながなかったなと……あ、でも別に無理にとは」
「構わないよ。娘に隠し事するのはダメだからね……少し長くなるけどいいかな」
「はい」
頷くとアナベラさんは微笑して、リリーに新しい紅茶を用意してもらう。それは先ほどとは違う種類みたいで、アナベラさんはその紅茶を一口飲んで懐かしむように目を細めた。
「まずはそうだな……私の話をしようか。私はね、この国の生まれの人間じゃないんだよ」
「えっ」
「隣国の貴族の家に産まれたんだけど、実家はまさに貴族って感じでプライドが高くて常に人を見下しているような家だった。女は男を敬え、女は家のために生きろ。父の言葉が全てで逆らうことも許されなかった。知っての通りこんな性格だろう? 好きなこともできなくて家にいるときはずっと息ができなかった」
アナベラさんは思い出すのも辛そうに顔を歪めるので胸が締め付けられる。アナベラさんも同じように家のこと苦しんでいたんだ。それなのにこんなにも明るくて前向きで。私とは全然違う。
「しかも父親は気に食わないことがあれば母に手を出すようなクズでね。政略結婚で好きでもない男と結婚した母はいつも泣いていた。自分も母親みたいになるのだろうか。そんなふうに思っていた時、父は私の結婚相手を見つけてきた。爵位は上だが女好きで不穏な噂が絶えない三十も上の男だった。上位貴族と繋がりを持つためなら娘がどうなろうとどうでもいいという父に私は我慢できなくなって十五の時に家を飛び出した。この国に入る荷馬車に潜り込んだものは良いものの、知人もいない知らない国で行き場のない私を拾ってくれたのが当時の伯爵夫人、夫の母親だったんだ」
アナベラさんは当時を思い出したのか楽しそうに喉の奥で笑って紅茶をまた口に運ぶ。香りを楽しむその表情に、もしかしたらこの紅茶は彼女の思い出の物なのかもしれない。
「義母は私以上に変わっていて、私みたいに他国から入ってきた人や孤児を使用人として雇って面倒を見るのが好きな人だったんだ。私もメイドとして雇われてそこで旦那と出会った。彼は……クロードは伯爵家の一人息子だったんだが体が弱くて外に遊びにいくこともできなかった。私はそんな彼の遊び相手に選ばれたんだ。家の外に出れない彼は私の話をいつも楽しそうに聞いていた。ああ、エリックとはそこで出会ったんだよ。二人は幼馴染みだったんだ」
「幼馴染み……!」
アナベラさんとエリック様の気心しれた様子から仲が良いんだなと思っていたけれど、そんな前からの知り合いなのだと知って納得した。
「当時は王子って立場なのにあいつは頻繁に城を抜け出して彼に会いに来てたんだ。それから三人で過ごすことが多くなって、私たちが成人した年だったかな。私はクロードに突然プロポーズされたんだよ」
「ぷ、プロポーズですか!?」
「びっくりするだろう? 婚約しているわけでもないし、私はただの侍女だったからね。彼はずっと私のことが好きだったと言ってきたけど私は断ったんだ」
「どうしてですか……?」
「私は他国の貴族とはいえ密入国しているし、それに……私は両親の姿を見てきた。良い家庭を築ける自信がなかったんだ。ただ彼が本当に頑固で諦めが悪いやつでね。何度断っても毎日のようにプロポーズしてくるんだ。体が弱くなかったら思い切り叩いてたね」
ははは、と笑うアナベラさんに私はただ苦笑いするしかない。例え仕える相手でも容赦しようとないところが彼女らしかった。
「それで夫人に相談したんだ。自分は彼には不釣り合いだがら説得してくれと。だがあの息子の母親だ。『面白いわ。貴方が娘になってくれたらわたくしも嬉しい』なんて言うもんだから私は頭を抱えたよ。それから毎日告白をされているうちに知らぬうちに絆されていて、私は彼のプロポーズを受け入れた。実家で色々詰め込まれていたおかげで伯爵夫人になっても困ることはなかった。体のことがあったから子供は作れなかったけれど彼と過ごす日々は私にとって幸せだったんだ」
アナベラさんは懐かしむように部屋の中を見渡す。きっと旦那様との思い出がここにたくさんあるのだろう。
「だがそれから数年経った頃、彼は一日のほとんどをベッドの上で過ごしていた。日々衰弱していく彼を私はただ見ていることしかできなかったのが悔しかったよ。そしてクロードは『君と出会えて幸せだった』。そう言って義母と私、エリックに見守られながら息を引き取ったんだ」
アナベラさんは私の顔を見て苦笑し、ハンカチを差し出す。そこで私が泣いていたのだと気づいてそのハンカチを借りて涙を拭う。大事な人を失くす辛さは私にも分かる。お母様のことを思い出すだけで今でも辛くなる。
「未亡人になった私は実家に戻れるはずもなく、エリックの提案で爵位を引き継いでただ広いこの家で過ごしていたんだ。義母には家のことは気にせず新しい相手を見つけても構わないと言われたんだがそんな気はなかった。ただ、彼との思い出が詰まったこの家で一人寂しく終わるのは嫌だし、彼もそう思うだろうと思った私は養子を取ることにしたんだ」
「そうだったんですね……でもそれなら爵位を継げる男の人を養子にした方が良かったのでは……」
「周りはそうしろって言ってたんだけどね。ただ私は自分が死んだ後のこの家はどうでも良かったんだ。私は私と過ごしてくれる子が欲しかった。娘なら重荷を背負わせる必要もないし、娘と買い物をするのは母親の夢だろう?」
パチン、とウインクを飛ばす彼女に私も頬を緩ませる。まだその夢は叶えられていないけれど、いつか彼女と街に出て一緒にお買い物を楽しめる日がくるだろうか?
「でもまさかエリックから『結婚した相手がいるがその家が面倒くさいから彼女を養子にしてくれ』と言われるとは思わなかったよ」
「そ、そうなんですか?」
「ああ。私はこいつは結婚しないんだろうなと思っていたから本当に驚いた。まあ他に目ぼしい相手もいなかったし、君の母親になれたことに彼には感謝しているよ」
「アナベラさん……」
「あんな奴だけど、どうかよろしく頼むよ」
「……はい」
私はまた込み上げてくる涙を堪えてアナベラさんにしっかりと頷くと彼女は嬉しそうに微笑んだ。こんな素敵な人と縁を結んでくれたエリック様には本当感謝しかない。そんな彼の隣に並んで歩けるようにもっと頑張らないと。
「それと、この話はあいつには内緒だよ。仲良くお茶会をしていたと知ればヤキモチを焼かれてしまうからね」
「……ふふ。はい、分かりました」
茶目っ気なそんな言葉に笑い、私たちは親子のお茶会を楽しんだ。