第4話-①
パーティの夜から数日後、我が家はまたバタバタと慌しかった。これから来客が来るため使用人たちは急いで準備に駆け回る。そろそろ時間だと待機していると時間ぴったりに呼び鈴が鳴り玄関を開ける。
「ようこそいらっしゃいましたボードリエ様。私がご案内いたします」
「よろしく、お嬢さん」
彼女は同性の私から見ても惚れてしまいそうなほどに凛としていて美しかった。
私の先導で付いてくるボードリエ伯爵夫人は私でも知っている有名人だ。数年前に夫を亡くし未亡人になった彼女は世でも珍しい爵位を持っている女性。
普通は爵位を持てるのは男だけ。爵位を継げない妻は実家に出戻るのが普通なのだが、王族と関わりを持つ彼女は特例として夫人でありながら伯爵の権限を持っているのだ。
異端を嫌う貴族たちは彼女を格好の噂の種にしていて、漏れなく両親もよく彼女の良くない話をしているのを耳にしたことがある。
だが彼女は周りの目を気にせず、常に背筋を伸ばして男性と渡り合う。使用人たちの間でも有名らしく、万能使用人ネットワークで聞く彼女は私の憧れの女性だった。
今日初めて初めて彼女に会ったけれど、立ち振る舞いがまるで男性のようだった。周りに流されない彼女が格好良くて、両親にただ従う私にはないものを持っている彼女が羨ましかった。
そんな彼女から今回我が家を訪問したいという手紙が届き、例外なく毛嫌いしている両親は渋い顔をしていた。王家を後ろ盾にもつ彼女を無視できないと判断した父は、渋々了承の返事を出し今日を迎えた。
すでに両親が待機している応接間まで案内してドアをノックして開ける。紅茶を用意しなければと考えていると、夫人は思い出したかのように声を出して私を見る。
「ああ、お嬢さん。申し訳ないけれど飲み物は別の者に運ばせてもらえるかな」
「え? ……畏まりました」
「悪いね」
彼女は手を振って部屋の中に入っていく。今頃彼女の振る舞いに義母は機嫌を悪くしてそうだ。私はキッチンに戻って近くにいた侍女に紅茶を運んでもらうように頼んで待機所に入る。
お客様がいる間は掃除をするわけにもいかないので、同じように手持ち無沙汰で話に花を咲かせている侍女たちの会話には混ざらず、近くにあった椅子を窓辺に置いて外を眺めることにした。
◇◇◇
「シーラ様、シーラお嬢様!」
あれからどれぐらい時間が経ったのか。気持ちの良い日差しに知らぬうちに微睡んでいたところを、私を探す侍女の声に意識が呼び戻された。待機所にいる私を見つけた彼女は、なぜか慌てたように私の手を引いて椅子から立ち上がらせた。
「ど、どうしたの」
「そ、その、旦那様からお嬢様を呼んでこいと言われたんです。急いで応接間に向かってください!」
よく分からないが彼女の気迫に私は急いで応接間に向かい、ドアを恐る恐るノックすると中から父の機嫌の悪い「入れ」という声が聞こえ、私は何度も深呼吸をしてドアを開ける。すると私に両親と夫人の視線が一気に集まって背中に嫌な汗が流れる。
「あ、あの……何か御用でしょうか」
「座れ」
「……はい」
有無を言わさない父の言葉に頷いたものの、座れと言われたが空いているのは義母の隣か夫人の隣しかない。お客様の隣に座るわけにもいかないので、私は義母の隣に間を開けて腰掛けた。
お客様がいなかったら絶対怒鳴られるか扇でぶたれてるかってぐらいに義母の機嫌が悪くて、彼女の機嫌をこれ以上損ねないように身を縮めていると場違いな声色で夫人に話しかけられた。
「すまないねお嬢さん。急に呼ばれて驚いただろう」
「え、あ、その……はい」
どう返事するのが正しいのか分からずに素直に返事をすると夫人は小さく笑う。彼女を見ていると心が安らいでいくのを感じる。夫人は私から父に顔を向けた。
「伯爵、娘さんには私から説明しても?」
「……好きにしろ」
「!?」
お客様に対して父の無礼な物言いにギョッとしてしまったのだけれど、夫人は特に気にすることなく私ににこりと微笑んだ。また胸が暖かくなって、なんだかお母様と過ごしていた頃を思い出した。
「実はね、伯爵に君を養子に迎えたいとお願いに来たんだ」
「……え! わ、私をですか!?」
「うん」
全く予想していなかった言葉に思わず大きな声が出てしまい、隣の義母から扇をギリギリと握りしめる音が聞こえていたけれどそれどころではなかった。夫人は気にすることなく話を進める。
「君も知っているだろうが私は夫に先立たれてしまって子供もいないんだ。一人であの広い屋敷に暮らしていると寂しくてね。貴族から養子を取ろうと考えていたら先日のパーティで君の姿を見て、すごく君が欲しくなってしまったんだ。それで我慢できずに手紙を出した、というわけなんだよ」
「は、はあ……」
夫人はなんてことないみたいに言っているけれど、これってすごく大事ではないのか。養子を取るといったら一族の中からってのが普通だから、別の貴族から養子を取るだなんて聞いたことがない。父を見れば腕を組んで不機嫌そうに眉間に皺を寄せていた。
「伯爵の許可が必要だが、一番は君の気持ちが大事だ。どうかな、私の娘になってくれないだろうか」
「あ、その、私は……」
三人の視線がまた私に集まり答えを待っている。父の考えは分からないけれど、普通はこんな話断られる。だって結婚ならまだしも縁が切れる養子などこちら側に得がないのだ。
この家では私は家族に邪険にされている。普通なら邪魔者が消えて喜ぶところ、私如きが欲されていることが気に食わなくて両親はずっと機嫌が悪いらしい。
このお誘いを断れば私は成人までこの人たちにこき使われ、いやもっとひどい扱いを受けるだろう。そして身ひとつで外に放り出される。義母は私が一人野垂れ死ぬことを望んでいるから、断れという雰囲気が伝わってくる。
誰にも気づかれることなく、幸せになることもない。こんな人生で最後を迎えて私はいいんだろうか。
知らぬうちに俯いていた顔を上げると夫人は優しく微笑んで私の返事を待ってくれている。もしこの人の手を取ったら私の人生は変わるのだろうか。
覚悟は決まった。私は背筋を伸ばして夫人に向き合う。
「あ、あの……」
「うん」
「その話……受けさせてください」
隣からギリっと奥歯を噛み締める音とパキッと扇が割れる音が聞こえた。父はというと重々しくため息を吐く。夫人は嬉しそうに笑って父に顔を向ける。
「本人の意思を尊重すると貴方は言っていたね。これで承諾していただけるね?」
「……好きにしろ」
「ありがとう。それじゃあこの養子縁組の書類と、今後この家は彼女に関わらないという誓約書にサインをお願いするよ」
父が二枚の養子にサインを書くと隣から扇の悲痛な音が更に大きくなる。あの扇は今日で使い物にならなくなるだろう。サインの書かれた書類を確認して頷く夫人は私に顔を向けた。
「シーラといったかな。今日にでも私は屋敷に迎え入れたいのだが、どうかな」
「あ、はい! すぐに準備して参ります」
「ゆっくりで構わないよ。私は馬車に戻っているからご家族との別れを済ませておくといい」
それじゃあ、と夫人は部屋を出ていき、部屋には私と両親だけが残された。会話のない重々しい空気に耐えられず、私は二人に頭を下げて何も言わずに部屋を出た。
それから屋根裏部屋に戻り、少ない荷物を急いでトランクケースに詰めていると、いきなり部屋のドアが勢いよく開いた。驚いて振り返ると、そこには綺麗な顔を歪ませてこちらを睨むレイラが立っていた。
「レイラ……」
「もう少しでお父様に追い出されて惨めに一人で生きていくお姉様が見れると思ったのに……どうせすぐに夫人にも捨てられて野垂れ死ぬんだから!」
「…………」
レイラの言葉が胸に突き刺さる。彼女の言う通り、私の何に彼女は興味を持ったのか分からない。
淑女の作法も何も身についていないと夫人が知れば私はすぐに見放されるかもしれない。そうなれば私は二度と立ち上がることはできないだろう。それでもこの家から離れられるなら例え藁でも縋る。
私は荷物を詰めたトランクを持って立ち上がり何も言わずに彼女の横を通り抜けると、後ろから義妹の罵声が飛んでくるのが聞こえてくる。産まれた時から歪な家で育った彼女も謂わば私と同じ被害者。例え疎まれようとも彼女は私の大事な妹なのだ。
そんなことを考えながら玄関に向かっていると、義母がこちらを睨んでいて体が強張った。レイラの睨みなんて可愛いものだ。私は義母を見ないように頭を下げて前を通り過ぎようとしたのだが。
「今後この家に足を踏み入れることは許しません。二度とその汚らしい顔を私に見せないでちょうだい」
氷のように冷たい声。最後に優しい言葉をかけてもらえるだなんてそんな甘いことは考えていなかったけれど、血の繋がりはなくても一応私も娘なんだけどなと傷ついてしまう。私は最後に義母に向き合って深々と頭を下げる。
「……大変お世話になりました。お元気で」
義母と別れて玄関に着くと使用人たちが見送りにきてくれた。地獄だったこの家で唯一私に優しくしてくれたみんな一人一人挨拶をして屋敷を出ると、出てきたことに気づいた夫人が馬車から出てくる。
「もういいのかい?」
「はい。お待たせしてしまって申し訳ありません」
「大丈夫。それじゃあ行こうか」
「はい」
馬車に夫人が乗り込みその後に続こうとする前に振り返り、私は生まれ育った我が家に感謝を込めて頭を下げて馬車へ乗り込んだ。