第14話
「おかえりなさいませ閣下」
「ああ、ただいま」
ボードリエの邸宅から帰宅すると護衛騎士のニコルが出迎えてくれる。彼を連れてそのまま書斎に入って愛用の椅子に腰掛けて息を吐き出す。
シーラの体調が悪いとアナベラから連絡が入って原因に心当たりがあった。それは彼女と姪のフランシスカが友人たちとお茶会をした日の夜のことだった。
珍しく彼女が私の元を訪れて、お茶会でシーラに対して失言をしてしまったと落ち込んでいたのだ。
彼女の話を聞いてすぐに体調を崩したというシーラ。きっと彼女のことだから一人で抱え込んで私には悩みを自ら話すことはないだろうと踏んで、私はボードリエの邸へ赴いた。
長年心の中にいたシーラの母親のことを彼女に話して和解することができて、そして私のシーラに対する想いを伝えることができた。その時の彼女は顔を真っ赤にして戸惑っている顔が可愛くてしょうがなかった。
ずっと彼女の愛らしい顔を見ていなかったが彼女にも落ち着く時間が必要だと思って自分の邸に帰ってきた。明日にでも彼女に会いに行けるように、とりあえず放り出した仕事を終わらせなければ。
積み上がった書類に手を出すとタイミングよくニコルがコーヒーを持ってきてくれた。
「助かる」
「あまり無理をなさいませんよう。閣下が不在の間にお手紙が届いております」
「手紙?」
彼から封筒を受け取って裏返せば封蝋の家紋に眉を顰める。それはシーラの前の家、キャロライン伯爵からだった。
ニコルからペーパーナイフを受け取って封を開け、中身を確認すれば聞きたいことがあるから我が家に来たいということ内容だった。
十中八九シーラと私の婚約の話だろう。こいつはアナベラと結んだ契約を忘れているのだろうか。まあいい機会だ。そろそろこの家とシーラを完全に絶ってしまおう。
私は二通の手紙を書いてニコラにそれを託す。一つは伯爵の返事、もう一つは国王である兄上へ。明日、王城の応接間を貸してもらうためだ。この家はいずれシーラが住む場所だ。ここにあの家の者を入れたくはない。
「城には早急に届けてくれ」
「畏まりました」
彼は頭を下げて部屋を出て行った。最初の目的とは変わってしまったが明日までには目の前の仕事を終わらせなければならない。気持ちを切り替えるためにコーヒーを飲むと豆の良い匂いが鼻を通り抜けた。
◇◇◇
次の日、城で伯爵を待っていると時間より遅れて目の前に伯爵の馬車が止まった。
「申し訳ない閣下。馬車の調子がどうも悪くて遅れてしまいました」
「大丈夫だ。行こうか」
微塵も悪いと思っていない男に呆れながら城の中へ向かう。元々遅れて私を待たせようという魂胆だったのは見え見えだ。この性根の腐った男があの愛らしいシーラと血が繋がっていると思ったら反吐がでる。
私たちは城の応接間に入って対面でソファに座る。
「わざわざこんな場所を用意していただかなくても、閣下のお屋敷で十分だったんですがね」
「申し訳ない、今は邸宅の中はバタバタしているんだ。――妻を迎える準備というのは何かと物入りでね」
伯爵の片眉がピクリと動いたのを見逃さず、口角を上げて足を組む。さて……始めようか。
「伯爵。話とはなんだろうか」
「……先日、貴族院から通達がありまして。閣下は婚約をされたようですね。おめでとうございます」
「ああ。素晴らしい相手に出会えたから腰を据えることにしたんだ」
「……その相手に娘のシーラの名が記載されていたのですが」
「ああ、シーラは私の婚約者だ。だが伯爵、間違えるな。シーラ・ボードリエはアナベラ・ボードリエの娘だ。貴公の娘ではない」
「っ!」
目を細めると伯爵は息を呑み、悔しそうに顔を歪めた。
「閣下、どういうつもりか」
「なんのことかな」
「ボードリエを差し向けたことですよ。あの家に養子にさせてすぐに婚約を結んだ。元からそうするつもりであの女と手を組んだのでしょう」
王家ということも忘れて睨んでくる伯爵に私は口角を上げる。あれだけ毛嫌いしていたというのに、本当この男らしい。シーラをこんな男から切り離して正解だった。
「そうだと言ったら?」
「この婚約話が広まって私は良い笑い者だ! 王族との繋がりを捨てた愚か者だとな!」
「はっ。そんなにこの名が欲しいか」
「当たり前だろう! 王族の親戚となれば私はもっと上の立場にいける! 事業をもっと広げられる!」
「――黒の国とかか?」
「!?」
口にした瞬間、伯爵の顔から血の気が引いた。本当愚かな男だ。私が何も知らないと本気で思っていたのか。
「な、なにを……」
「私が妻の家の身辺調査をしないと思ったか」
「っ、く……」
拳を握りしめて立ち尽くす男に、私は持っていた書類をテーブルに放り投げる。男はそれを手に取って捲ると、そこに書かれていた文字を見て息を呑んだ。
「領民の税金徴収を増額しておきながら陛下への報告をせず横領、賭博、裏金エトセトラ。埃は叩けば出てくるとはまさにこのことだな。シーラとその母親を世間から隠すように軟禁、母親死去後は娘を使用人として働かせ親としての責務を放棄、本妻とその娘によるシーラへの暴行。同じ貴族として恥ずかしい」
「ぐ、ぐぅ……!」
伯爵は自身の悪事が書かれた書類をグシャリと握りしめる。それは写し。本来の紙は厳重に保管しているから破かれても燃やされても問題ない。
「これだけだったら爵位剥奪で済んだのだがな……この国が人身売買を禁止していることは当然知っているな」
せっかく用意した書類がバサバサと伯爵の足元に落ち、男にそれを拾う余裕はなく体が震えている。
「しかもまさか取引先が黒の国だとは、さすがの私も驚いた」
ダーブリア国、通称『黒の国』。独裁国家のその国は一年中分厚い雲が多い被さっており、陽が当たらず昼間であろうと常に夜のように薄暗い。住民全員が黒い服を着ており、まるでその名の通りの国だ。
この国には王族と貴族、平民という名の奴隷が暮らしている。入るのは簡単、出るには貴族にとっても大金を叩いて通行書を手に入れるしかない。
下級貴族でも難しい大金を奴隷が払えるわけがない。一度入れば一生出ることができない国そのものが監獄。死ぬまで貴族たちの為に生き、食事もまともに与え貰えず家畜のように扱われる地獄の場所。
そんな恐ろしいところにこの男は攫ってきた人を放り込んで黒の国から金を貰っているのだ。金を手に入れたこいつは、彼らがその後どんな扱いをされているかなど興味ないのだろう。本当ゴミムシのような男だ。
「ああ。このことは勿論すでに陛下には報告済みだ」
タイミングよく部屋がノックされ伯爵の体が面白いように跳ねた。連れてきていた護衛騎士のニコルが入ってきて私に書簡を渡す。
「噂をすればなんとやら。陛下より貴公の処遇の通知のようだ」
「!! お、お許しください閣下……!」
「おや。さっきまでの威勢はどうされた? どうも貴公は読める状態ではないようだから私が読み上げよう」
私は大きく息を吸い込み、縋ってくる馬鹿の耳にちゃんと届くように書かれた文字を読み上げる。
「キャロライン伯爵。此度の貴公の悪業には目に余る。よって今この時を持って貴公の伯爵位を剥奪。並びに一族諸共国外追放、金輪際我が国の地に足を踏むことを固く禁ず」
「そ、そんな……!」
読み上げ終えると伯爵は膝から崩れ落ちてその場に項垂れる。部屋の外から待機していた近衛騎士たちが入ってくると伯爵を捕えて連れ出していく。今頃伯爵夫人と娘も捕えられているだろう。
ようやく害虫を駆除することができた。だがまだ私の仕事は終わっていない。これからが大事な仕事だ。
◇◇◇
伯爵の件はニコルに任せてその足でシーラの元へと向かった。急な訪問はいつもの如くだが、今日の私の様子がいつもと違うことに彼女は気付いたらしい。
応接間に二人きりにしてもらい、キャロラインの処遇を伝えるとシーラは口元を手で覆って驚愕の表情を浮かべた。
「そんな……お父様が……」
「今頃あの家は国外へ放り出されているだろうな。首を切り落とされなかっただけマシだろう」
「……あの、エリック様」
「ん?」
「私は……どうなるんでしょうか。知らなかったとはいえあの家の娘です」
シーラは眉を下げて不安そうにこちらを見てくる。義妹であるレイラも一緒に追放されたということは自分も対象だと思っているのだろう。私は小さく微笑んで彼女の頭を撫でる。
「大丈夫。君はもうボードリエの娘だ。あの家とは関係ないよ」
「でも……」
「この話をしたら君は絶対気に病むとは思っていたが、いずれどこかで耳に入ると思ったから直接話しておこうと思ったんだ。誰が何を言おうと君が処罰されることはない。君が巻き込まれないようにアナベラに君を養子にしてもらったのだから」
「……え?」
初耳と目をぱちくちさせる彼女が本当可愛くて頬が緩んでしまう。私は彼女の小さい手を取って握る。出会ったことは家事をしていたことで荒れていたが、今は撫でれば滑めらかでずっと触っていたい。侍女たちの仕事の賜物だな。
「私は君の手を離すつもりはない」
「それは……母への罪滅ぼしからですか……?」
シーラは見上げていた目を伏せた。やはりあの話は彼女の胸に突き刺さっているらしい。それを取り除いてあげられるの自分だけだ。
「確かに彼女への罪滅ぼしと恩返しで君を助けねばと思った」
「…………」
「でも私は確かに君に言ったはずだよ、シーラ」
「え?」
「私は君に惹かれているんだ。みすみす好いた女を手放す男がどこにいる?」
「っ!」
シーラの落ち込んでいた顔が赤くなって目が左右に泳いでいる。本当に可愛らしくて愛らしい。この子が自分の婚約者なのだと自慢して回りたい。
「シーラ、君のことは絶対私が守る。だから君も私の手を離さないでくれ」
「……はい、エリック様」
握っていた手を彼女からも握り返してくれて、嬉しさのあまり彼女の額にキスをするとシーラの顔がトマトのように真っ赤になって可愛かった。