第9話
「シーラ、そろそろお茶会デビューをしてみないかい?」
食堂でいつものようにアナベラさんと朝食を食べていた時にそんなことを聞かれたのはお休み期間があと二日で終わる時だった。
前触れもなく唐突な問いかけに意識が持っていたれ、フォークに乗せていたプチトマトがお皿の上に転がる。
「お、お茶会ですか……?」
「そう。休みが明けたらまた忙しい日々が続くだろう? シーラの体調が大丈夫なら明日の午後に予定を入れたいと思ってるんだけれど、どうかな」
「あ、明日……体調は休ませていただいたので回復していますが……大丈夫でしょうか……」
「私から見ても合格点だよ。充分君は立派な淑女だ。だがどれだけ頭に叩き込んでも実践できなければ意味がない。大丈夫、私とエリックの信頼がある相手だから秘密は漏れることはないよ」
「…………」
私の不安要素をちゃんとアナベラさんは理解してくれてしっかりと整えてくれている。初めてのお茶会に不安がものすごくて今から緊張してしまっているけれど、ずっと逃げるわけにもいかない。淑女にお茶会は必須なのだ。ここで頑張らないと今までの頑張りが無駄になる。
「……分かりました。よろしくお願いします」
「シーラならそう言ってくれると思ったよ。大丈夫、君はここに来たばかりの何も知らない頃よりものすごく成長している」
「……ありがとうございますアナベラさん」
嬉しい言葉に自然と頬が緩んだ。
それからリリーにドレスを見立ててもらい、失礼のないようにマナー本を再度頭に叩き込み、前日の夜は緊張でなかなか寝付くことができなかった。
朝食はいつもより食も通らず、リリーに心配されながら何度も脳内で何度も学んだことを思い出しているとついにその時がきた。
応接間のソファに座って何度も深呼吸をしていると来訪を知らせるチャイムが鳴って口から心臓が出るかと思った。
すぐに部屋がノックされ「は、はい!」と吃りながら立ち上がって返事をすると、ドアが開かれ現れた女性の美しい微笑みに見惚れてしまった。
「ご機嫌よう。この度はご招待いただきありがとうございます」
「ご、ご機嫌よう。こちらこそ来ていただいてありがとうございます……あ、お、おかけください」
「ありがとうございます」
辿々しい私に彼女は嫌な顔をせず向かいに座るのを見て私も座り、目の前にリリーが紅茶を置いてくれる。お茶菓子のクッキーは前にエリック様がお土産で持ってきてくれた美味しいものを用意したから大丈夫。
彼女が紅茶を一口飲んだのを見て私もカップを口に運びながら彼女を盗み見る。腰まである艶のある黒髪が揺れて伏せられていた紫色の瞳がこちらを射抜きドキッとする。ふと、どこかで見たことあるような既視感を覚えた。
彼女はにこりと微笑んで「美味しいですわ」と言ってくれて彼女の口に合ったようで胸を撫で下ろす。彼女のカップがテーブルに置かれたので私も慌てて彼女に合わせる。
「改めて、フランシスカ・ブランジェと申します。この度はお招きいただきありがとうございます」
「は、初めまして! シーラ・キャ……ボードリエです」
「あら、わたくし達初めましてじゃないんですのよ?」
「……え?」
くすくすと口元に指を添えて楽しそうに笑うフランシスカ様。こんな綺麗な人に会えば忘れるはずがないけれど……。ハテナを浮かべる私に彼女はまたふふっと美しく笑う。
「ひとつき、ふたつき程前でしょうか。シーラ様、王族の遠縁のパーティにご出席されていたでしょう?」
「え、は、はい……」
フランシスカ様の言葉にドキリとする。それは私の人生が変わるきっかけのパーティのことだ。その時はまだキャロラインの家にいてレイラの代わりに参加したのだけれど……。
「その時にわたくしシーラ様とお話しさせていただきましたの」
「話……あっ!」
あのパーティで会話した相手はエリック様と主催の男と、その前に話しかけてくれた令嬢三人組。あの時は緊張していたし色々あって忘れていたけれど、確かにフランシスカ様は話しかけてくれた彼女だった。私の顔から血の気が引いて慌てて頭を下げる。
「も、申し訳ありません! 話しかけてくださった方を忘れるだなんて……!」
「まあ、頭を上げてくださいシーラ様」
「で、でも……」
「わたくし気にしておりませんから。ね?」
優しい言葉に恐る恐る顔を上げると彼女はその言葉通り怒っているようには見えなくて胸を撫で下ろす。義母や義妹だったら間違いなく怒鳴られて叩かれていた。時間が経ってもあの恐怖は消えてくれないらしい。
「シーラ様はあの日が初めてのパーティだったのでしょう? 緊張するのは仕方のないことですわ。わたくしも初めての時は誰と喋ったか覚えていませんもの」
「あ、ありがとうございますフランシスカ様……」
彼女の優しい言葉に泣きそうになる。もしかしたら彼女は天使……いや女神様かもしれないと思うほどに慈悲深い方だった。初めてのお茶会の相手が彼女で良かったと、心の底からそう思った。
「それにしても、叔父様からこのお茶会の話を伺った時は驚きました。突然婚約者できたかと思えば彼女とお茶をしてくれなんて言うものですから」
「…………叔父様?」
首を傾げると彼女も同じように首を傾げた。お互いの頭にハテナが飛んでいると後ろからリリーが寄ってきて耳打ちしてきた。
「――お嬢様。フランシスカ様はブランジェ公爵様の姪御様でいらっしゃいます。そして国王陛下の御息女様でございます」
「…………え? え!?」
リリーの言葉に驚いて思わず立ち上がって彼女を見下ろす形になる。この国の頂点の方に対して失礼すぎると慌てて座り直し、癖のように頭を下げようとして既で止まる。先ほど彼女は困った顔をしていたことを思い出したからだ。
なんで最初に彼女の名前を聞いた時に気づかなかったんだろうか。フランシスカ・ブランジェとエリック・ブランジェ。どちらも王族の苗字じゃないか。エリック様の姪ってだけでも驚くのにお姫様だなんて……!
「知らなかったとはいえ今までの無礼をお許しください王女殿下……!」
「気にしないでシーラ様。それにお友達なのだから名前で呼んで?」
「おとも、だち……?」
「ええ。わたくし達はもうお友達よ?」
にこりと微笑んくれる彼女にじわりと涙が滲む。今まで家に閉じ込められてきたから友人なんてできたことがなかった。
初めてのお友達が王女様だなんて烏滸がましいにも程があるけれどすごく嬉しくて、涙を流しながらお礼を言うとフランシスカ様がハンカチを差し出してくれた。ありがたくお借りするとすごく良い匂いがした。
「それにしても悪いのはアナベラ様と叔父様だわ。ただでさえ初めてのお茶会で緊張するというのに私の素性を知らせないだなんて」
「あ……でも、たぶん私のためだと思います。お姫様だと知ったら見てもいられない惨状になっていたと思うので……」
「シーラ様がそう言うのならいいですけど……でもわたくしは少し文句を言いたい気分ですわ」
ぷうと可愛らしく唇を尖らせる彼女は先程までとは違い年相応な顔をしたので愛らしくて思わず笑ってしまって「笑うなんてひどいですわシーラ様」と矛先がこちらに向いてしまって笑いながら謝った。これが友達なんだなあと嬉しくなる。
それからすっかり緊張がほぐれて楽しく話に花を咲かせていると「そういえば」と何かを思い出したようにフランシスカ様は声を出した。
「シーラ様のご令妹様のレイラ様のことなのですが」
ドクンと心臓が嫌な音を立てる。彼女はあのパーティの夜のことを知っている。何を言われるのかと思わず身構えてしまう。
「レイラが、どうかしましたか?」
「大したことではないのですけれど、わたくしとレイラ様は同じ学院に通っていた学友で何度かお茶会にお誘いしたのですがいつも断られてしまっていて……」
寂しそうに笑うフランシスカ様。レイラはあの両親を見て育ったからかプライドが高く人を見下すところがある。そのため友人は自分より爵位が低い人を侍らせていた。
フランシスカ様は王女様でレイラより高い身分の方。媚び諂いたくないレイラは彼女に近づきたくなかったのだろうけれど、まさか王女殿下のお誘いを断っていただなんて……。
「……妹に代わり謝罪いたします。申し訳ありませんフランシスカ様」
「嫌だ、謝ってほしくて話したわけじゃないのよ。シーラ様と楽しくお話しできたから彼女ともお茶会ができたらと思ったの。いつか三人でお茶会できたら嬉しいわ」
「……そうですね」
彼女は我が家の事情を知らないだろうからしょうがないのだろうけど、それは実現することはないだろう。レイラが私と同じ席に座るなんて想像できないもの。そんなことを考えているとドアが開いてエリック様が入ってきた。
「エリック様!」
「楽しそうだね。良かったよ」
駆け寄るとエリック様は自分のことのように嬉しそうに笑って頭を撫でてくれた。彼は気にしていないみたいだけどフランシスカ様の前だから恥ずかしいです……。
「叔父様、シーラ様にわたくしのことをちゃんと教えておいてください。彼女が困惑していましたわ」
「それは悪かった。だがお前がお姫様だって前もって知ってたらシーラはお前の茶会には出席できないとか言っていたぞ? そうしたらお友達にはなれなかっただろうな」
「……それは確かに困りますね」
「だろう? 私に感謝してほしいほどだ」
「それはそうとして素直に感謝しきれませんわ。それでご用件は?」
「私自らお迎えだ。兄上に呼ばれてただろう」
「もうそんな時間なのですね……シーラ様、またわたくしとお話ししてくださいますか?」
「も、勿論です」
「嬉しい」
フランシスカ様は私の手を両手で握って天使のように嬉しそうに美しく笑うので思わずどきりとしてしまった。だってエリック様と同じ髪と瞳の色なんですもの。ときめくなといのは無理な話だ。
彼女を先に馬車に向かわせたエリック様は私に向き合う。
「今日は楽しかったか?」
「はい。初めてお友達ができてすごく嬉しいです」
「そうか。彼女に頼んで良かった。だが――」
エリック様は私の頬にかかる髪を耳にかけてで指でなぞるように触る。さっき頭を撫でてくれた時とは違う触り方に背筋が粟だって、フランシスカ様とは違う胸の高鳴りを感じた。
「私以上に親しくなるのはダメだ」
「……どうしてですか?」
「例え同性でも嫉妬してしまうからだよ」
分かったか?といつもより低い声で問われて力強く頷くと、彼は小さく笑っていつものように頭を撫でて部屋を出ていった。
彼が触れたところと顔が熱くて、暫くその熱は引かなかった。