火壁の真実
「しかも、あの様子では思いつきではあるまい。間違いなくやってくる前に準備していたものだな」
「こんなことを考えつき準備してくるとは、相手はなかなかの将のようだ。これはもう少し慎重に戦う必要がありそうだ」
突然現れた火の壁を眺めながらベルナードは感嘆の言葉を口にした。
ただし、現れた炎の壁について正しいのはその言葉の半分のみとなる。
まず、正しい方から。
のちに、魔族、人間双方から「火壁」と呼ばれるこの策は、ベルナードの指摘通り、この場の思いつきなどではなく、ウルアラーが戦場で披露するために事前に準備をしてきたものである。
ついでにいえば、この「火壁」は、この戦い以降退却戦などで度々登場する戦術のひとつとなり、その改良技も多数産み出される。
そして、そのひとつによって戦場の高い位置を占めたほうが圧倒的有利というこの世界における戦いの常識は大きく崩れることになる。
少しだけ横道に逸れたが、話を戻し、続いてベルナードの言葉の間違っている部分であるが、それはこの策の発案者をウルアラーとしているところである。
では、発案者は誰かということになるわけなのだが、もちろんそれは「枯れぬ知恵の泉を持つ者」アルディーシャ・グワラニーとなる。
前日。
急遽編成されたティールングル遠征部隊の指揮官に任じられたウルアラーは、クペル城に滞在していたグワラニーを訪ねていた。
御多分に漏れずウルアラーはグワラニーが嫌いだった。
だが、その才は認めずにはいられない。
特にその策の多彩さは。
そして、それは自らが持っていないものであることも自覚していた。
その自らにはないグワラニーの才を利用したい。
それがウルアラーがやってきた理由となる。
そう。
多くの同僚を率いる立場になったウルアラーだったが、実は嬉しさとともにある種の恐ろしさを感じていたのである。
……これは敵中に孤立した中での戦い。
……つまり、私が判断を誤った瞬間全軍が終わる。
……しかも……。
……誰も口にしなかったが、転移可能がティールングル一か所だけというのはどうも怪しい。
……罠であると考えた方がいいくらいに。
……セリテナーリオがあっさりと囮役を引き受けたのもそれを感じたからということだって考えられる。
……だが、今さら下りるというわけにはいかない。
……どうしたらいい?
出立までの短い時間の中で、思いついたのはグワラニーを訪ねることだった。
……皆が生き残るためだ。止むを得ない。
もちろんウルアラーの来訪はグワラニーにとっても十分に驚きべき出来事であったが、ティールングルのみに転移が可能だった件や、ウルアラーがティールングル遠征軍の司令官に任じられたという話を聞いたところから、やってきた理由はある程度の推測は立てられた。
そして、それに対するグワラニーの対応といえば……。
魔術師団や指揮官の貸し出しについては断固拒否。
ただし、助言依頼は応じる。
資材提供も応じる。
それが基本方針であった。
そして、結果は二番目のもの。
もちろん対応は予定通り。
「……ウルアラー将軍の疑念はもっともなことです」
ウルアラーが不安に苛まれるその胸のうちを隠すことなく吐露したことに少々の戸惑いはあったものの、その相談内容をすべて把握したグワラニーはまずは無難な言葉を返し、それからウルアラーを本題へ誘い込むために手を差し伸べる。
「それで、将軍は具体的にどのようなことをお望みなのか?」
誰が聞いても上の者が下の者へ問う言葉。
もちろん現在の地位、それから置かれた立場を考えればグワラニーの物言いは、そうおかしなものではなかったのだが、普段のウルアラーなら「生意気な」と怒鳴り声のひとつも上げるところでもある。
だが、目の前に出立の刻限が迫る今のウルアラーには言い方を気にしている余裕はない。何事もなかったかのようにそれに答える。
「助言が欲しいものはふたつ。ひとつは、ティールングルに転移直後に大軍に襲われたときの対応だ」
「それから、もうひとつはミュランジ城まで辿り着き攻撃を始めた後に敵の援軍が背後に現れた時におこなう良策」
「……なるほど」
……驚いた。
グワラニーは心の中で呟く。
……問題点の絞り込みが非常に的確だ。
……それこそが今回の遠征軍に潜む問題なのだから。
……突撃馬鹿のケイマーダの同類かと思っていたが、意外にまともなのだな。
……それとも、指揮官に任命された突然目覚めたか。
……まあ、いい。
薄く笑みを浮かべたグワラニーが口を開く。
「残念ながら前者が起こった場合については、どうにもならないというのが結論です」
「将軍のおっしゃる通り、ティールングルのみ転移が可能というのが罠だった場合、当然敵は周辺に伏兵を忍ばせている。そして、その数は十万より少ないことはない。私がフランベーニュの将軍で手元に余剰戦力があるのなら、十万を絶対に仕留められる数を用意する」
「……つまり、五十万」
ウルアラーの口から出た五十万とは、魔族が常々口にするキルレシオである五対一に基づいたものであり、実態からいえば、四十万人というところだろう。
……まあ、四十万でも五十万でも、こちらの数が三万弱となれば、結果はそう変わらない。
グワラニーは表面上には現れない黒い笑みを浮かべ直す。
「……まあ、そこまでいかなくてもそれに近い敵に囲まれていると考えるべきでしょう。なにしろ敵はわざわざこちらがやってくるように転移避けの穴を開けておいたのだ。万が一にも失敗はできない」
「ということで、それだけの数の敵に囲まれては将軍たちがいくら勇猛でもどうにもなりますまい。一兵でも多く道連れにするつもりで戦うしかありません」
グワラニーはそこで言葉を切る。
だが、これには続きはあった。
心の中でその辛辣な言葉が語られる。
……そもそも、そのような博打のようなものに手を出さなければ状況ならば、さっさと負けを認めて撤退すべきなのだ。
……相手もいる勝負事であれば、どれだけ強くても負けるときは負ける。
……そのときに、潔く負けを認めて引くか、負けを取り返そうと無理をして、さらに傷口を広げるか。
……それが、その者の将としての器であるわけなのだが……。
……こいつらはあきらかな後者。
……つまり、滅びてもやむを得ない者。
……だが、せっかく教えを乞いにきたのだ。
……駄賃代わりに足掻く方法くらいは教えてやるべきだろうな。
むろん心の中で盛大に披露したその嘲りの感情は表面上のどこにも出すことなく、グワラニーは言葉を続ける。
「ですが……」
「攻城戦が始まった段階、具体的には城に取りつき攻撃を始まったところで背後に敵が現れたという事態であれば、それなりの策はあります」
「……聞かせてもらおう」
一瞬の躊躇の後にやってきたそれは、どうにか体面を保とうとして失敗したもの。
ウルアラーの縋りつくようなその言葉に、グワラニーは小さく頷き、それから続きの話を始める。
「実際のところ、ティールングルからミュランジまで一戦もせずに済むということはありますまい。当然多くの兵を失っている」
「そのような状況で背後から敵の援軍が現れてもすでに城攻めするだけで手一杯。予備兵力などないだろうから背後の敵に対してすぐに対応することはできない」
「そうなるな。それで、その場合はどうすればよいか?」
「とりあえず、あらたな敵とはすぐに戦わずに済むような手立てを講じる」
それが簡単にできるのなら苦労はない。
ウルアラーが口に出かかったその言葉を押しとどめたのは、そこまで言ったからにはグワラニーは当然策があると察したからだ。
「どのように?」
ウルアラーからの短い催促の言葉に応じ、グワラニーが口にしたもの。
それが「火壁の策」だった。
「……炎の壁をつくり、敵の進撃を阻む?」
その概要を聞かされてもすぐには理解できなかったウルアラーが聞き直すと、自らの中では十分な説明のつもりだったグワラニーもそれに気づき、少しだけ言葉を追加する。
「もちろんそれはこれまでも撤退戦において最後尾においた魔術師の火球で敵の進撃速度を落とすことは常套手段としておこなわれていましたが、それは対抗魔法で簡単に帳消しにできます。ですが……」
「それを魔法ではない方法でおこなう。具体的には油を撒いたうえで火をつける。その場所が草原など燃える場所ならなおさらよい。そこに相手が自軍より高い場所にいるという条件が加われば最高です」
「もちろん燃えるものがなくなればそこまでですので、何日もというわけにはいきませんが、こちらの態勢を整えるくらいの時間稼ぎはできるでしょう」
「そして、これはミュランジまでの道中で追撃されたときや、前方の敵を分断するときにも使えるものです」
「いかがでしょうか?」
「……火壁の策。なるほど悪くないな」
「もし、よろしければ、油や薪を無料で提供しますが」
「ありがたい。喜んで頂戴する」
グワラニーが授け、覚醒したらしいウルアラーが実体化したその策。