戦いの狭間で
ミュランジ城攻防戦の初戦となる「第一次モレイアン川夜戦」が終わって最初の朝を迎えた魔族軍が陣を敷く東岸。
総司令官アドリアン・ポリティラは各部隊の正確な残存兵力の報告を受けて愕然とする。
アルタミア部隊七千三百六十二。
ケイマーダ部隊二千二百七十六。
ウルアラー部隊七千五百二十三。
ゴイアス部隊七千九百四十八
オリンダ部隊五千百十一。
マテイロス部隊三千八百九十二。
セリテナーリ部隊六千五百九。
フリーア部隊千七百六十八。
シャプラー部隊五百九十二。
「私の直属五千を合わせてもすでに五万を大幅に切っているのか……」
魔術師団が展開する強力な防御魔法下の会議。
河岸に広がる各部隊を見渡せる小高い丘。
そこに本陣を敷いたポリティラは各部隊の長を集めたところで、まず戦力の確認し、それによって出てきたものがその数字だった。
もちろん指揮官を失ったシャプラー隊の処遇を含めて軍の再編成は迅速におこなわなければならないのだが、それよりも先におこなうべきことは昨晩の渡河作戦の詳細報告だった。
「私には渡河を開始するまでは予定通りだったように見えたのだが、どこに問題があって失敗したのか?」
ポリティラの問いに答えたのは、最左翼に位置し多くの行方不明者を出したフリーア隊の長ドゥアルテ・フリーアだった。
「問題点はふたつある」
「ひとつは奴らの準備を甘く見たこと。障害物はミュランジ城前面にしかないと我々は予想していたわけだが……」
そこまで口にしたフリーアは、実際は単独の提案者であるポリティラに視線をやる。
言いたいことは山ほどある。
顔全体でそれを表現してから、言葉を続ける。
「……実際は渡河場所としての条件が良くない我々の持ち場の先まで沈んでいた。川上はどうなっていたかは知らないが、少なくても川下に関しては素通りできる場所はなかった」
「それからもうひとつ。それは、もちろん我々の行動が察知されていたことだ」
「不思議なことに」
あの様子では川に入る前から察知されていたのは間違いない。
人間よりも夜目が利く自分たちでさえ、無礼な言葉がやってくるまで相手に気づかなかったのだ。
フランベーニュ人が気づくはずがない。
つまり、言外にルールを破り、火を使った者がいたのではないのかということを示しているこの言葉は、当然先ほどの件も含めて責任を取るべき者を見つけ出したいという意志が滲だしているものだった。
ただし、フリーアが指摘したふたつ目については多くの将が思っていたことでもある。
だが……。
「フリーアの言いたいことはわかる」
「そのおかげで我々の部隊もひどい目に遭ったのだからな。だが、今考えるべきはどうやって対岸に渡るかだ」
「まあ、ここで罵り合いを始め、敵の笑いものになりたいというのなら私は止めないが」
すぐにでも始まりそうな犯人捜しをその言葉で瞬殺したのは意外にも突撃馬鹿ことエンネスト・ケイマーダだった。
さすがに単細胞動物の見本にそこまで言われて、さらに犯人捜しに興じる気もならず、フリーアを含む全員が同意をするようにその言葉に頷くと、ケイマーダはさらに言葉を重ねる。
「ところで、フリーアのところには障害物があったそうだが、おまえのところはどうだったのが?ジョキアン」
ケイマーダが指名したのは生き残ったシャプラー隊所属の兵で最高位となる騎士長の地位にあるカトラマニ・ジョキアンだった。
ジョキアンは居並ぶ将軍たちの前で緊張を隠せない。
だが、時間をたっぷりと使って心の安寧を取り戻しから、語られ始めたものには恐ろしい事実が含まれていた。
「……つまり、障害物についてはおまえの隊の前にも施されていたのだな?」
「はい。そして……」
「例の油に関しては少なくても樽五つ分の油が我が隊の前に撒かれました。その直後、火球がやってきて、我々は川に飛び込む以外にありませんでした」
「樽?」
「ええ。大型の樽です」
思わず聞き返した自らの問いにジョキアンがそう答えると、ポリティラは一同の顔を見やる。
「他の部隊も樽が投げ込まれたのか?」
やってきた答えはノー。
そして、その代わりとなるものが、大量の土器だったことが判明する。
「……だが、そうなると、奴らは相当な準備をしていたことになるな」
「そして、先ほどのフリーアの言葉どおり、奴らが渡河を開始する以前に我々を発見していたとは余程の事情がないかぎり考えられない。そのうえであの状況がどうやったら起きるかと考えれば、我々が夜間に渡河をおこなうことを見越して、毎晩準備をしてあの場所に潜んでいたということに辿り着く。そして、戦闘が始まった以上、わざわざ障害物が判別しにくく、戦う前に兵を失う可能性の高い夜間に行動する必要はもうないと考える」
次は昼間の渡河を決行する。
それがポリティラの言葉の意味するところだった。
一瞬後、ポリティラの口が再び動く。
「それを踏まえて、軍の再編成と配置をおこなう」
それから、少しだけ時間が過ぎた同じ場所。
ポリティラは川に沿って並ぶ自軍を眺める。
川上から順に、アルタミア隊七千三百六十二人、ケイマーダ隊三千七百七十六人、オリンダ隊五千六百十一人、セリテナーリ隊七千九人、ゴイアス隊七千九百四十八人、マテイロス隊四千八百九十二人、フリーア隊三千三百六十人、ウルアラー隊七千五百二十三人。
指揮官を失い兵数も約六百人弱にまで減らしていたシャプラー隊を同じ大きく数を減らしていたフリーア隊に統合する。
さらにいくつかの隊に自隊の兵を振り分けて増員させていた。
……直属が五百にまで減ったが、本陣から動けないのだから仕方あるまい。
寂しくなった本陣の現状を強引に納得させるようにポリティラはそう呟く。
……とにかく今は前線で戦う兵が必要なのだ。
ポリティラが口を開く。
「残念ながら、昨晩の渡河は失敗し、多くの兵が失われた。それを踏まえて、諸君に問う」
「ミュランジ城をどのように落とすべきか?」
「というよりも、どうやってあの忌々しい川を渡ればいいのか?良い案があれば言ってくれ」
ポリティラはその川を背に、再編成と配置をおこなうために一旦散会し、再集合した将軍たちにそう問うた。
だが、良案と言っても、昼間の渡河はほぼ決定済み。
つまり、問題となるのはその方法だった。
「こうなれば、小細工なしの力攻めしかないだろう」
そう主張したのはベルネディーノ・ウルアラーだった。
「相当前から準備していたと見えて、かなりの障害物があるのは昨晩でわかった。それでも……」
「少なくても昼間のほうが障害物のありかは確認できる。そして、もうひとつ。改めて確認したが、あの様子では障害物は川の東側だけにある。ということは、その区域さえ突破できればよいのだ」
「簡単に言ってくれる」
「威勢が良いのは結構だが、具体的にどうするのだ?まさかそこまでは考えてもしないまま、力攻めなどとほざいていたのか?」
「なんだと」
ウルアラーは問うてきたアディマール・ゴイアスを睨みつけるが、ゴイアスは同じくらいの強い視線で睨み返してウルアラーを黙らせると、言葉を続ける。
「どうやらウルアラーの頭の中には策がないようだから代わりに提示する。つまり、方法は一点突破か、もう一度一斉渡河。そのどちらでやるのかということだ」
「私としては、いまだに判明していない敵の総数を確認するためにも一斉渡河すべきだと思うが、一点突破策を推薦したいがその先陣を務める勇気はない者ばかりというのなら、我々がその役を務めてもいい」
ゴイアスが示した二案はそれぞれに優れた点がある。
後者については彼の言葉で示されたもののほかに、敵を分散させれば、穴が開く可能性がある。
一方の前者については、強烈な抵抗はあるものの、そこを突破できれば障害物が並ぶエリアの内側に拠点は確保できるという利点がある。
そして、もうひとつ、一点突破策には彼らの現状を鑑みれば選択せざるを得ない点が含まれていた。
船の数が絞れる。
当然ではあるが、魔族軍は昨晩多くの船を失っていた。
具体的な数字を言えば予備を含めて七千九百五十艘の川船をワイバーンから購入していた彼らだったが、昨晩失ったのはそのうちの三千六百七十二艘。
もちろん多くの兵を失っていたものの、再編成の状況から算出すると、渡河に必要な船が四百七十五艘足りず、このままで戦うとなれば、一割以上の兵が船に乗れずに陸上で待つという事態になってしまうのだ。
その足りない四百七十五艘をどう振り分けるのか?
平等に負担させるのが一番なのだが、その平等というのも単純に部隊数で割って六十艘ずつ削るのか、それとも、各隊の必要数の二割を削るのかという問題が出る。
今はどうにか秩序を保っているが、不満が爆発し一挙に崩壊する。
この問題はそのような危険を含んでいた。
その点、一点突破は先行する部隊に手厚く船を配分する大義名分が立つ。
特別なカリスマ性のある軍司令官であるわけではないポリティラが揉め事を避けられる一点突破に傾くのはごく自然の成り行きである。
「……聞いてのとおりだ。昼間に渡河をおこなうことには異義はないと思うが、ゴイアスが示した二案。諸君はどちらが良いと思うか?私としては……」
「しばらくお待ちを」
ポリティラの、それを提案しようとした言葉を遮るように、強引に割り込む声が全員の耳に届く。
全員の目がその人物に向いたところで、その男の口が再び開き言葉続ける、
「それを決定する前に、私からひとつ提案がある」
「……これは本来であればやりたくはないのであるが……」
「ここはグワラニーの持つ船を譲り受けるべきだ」
そう切り出したのはセリテナーリオ。
彼が続いて口にしたのはその利点だった。
「総司令官が奴の申し出を断ったのは知っている。そして、それはあの時点では間違っていないと思う。だが、状況は変わった。司令官が頭を下げるだけで必要な五百艘の船が手に入る。司令官の責務だと思ってやっていただきたい」
セリテナーリオの言葉に場はざわつく。
……間違ってはいない。
……というよりも、正しい。
……だが……。
心の声の続きを示すように多くの視線がひとりに向かう。
その男が口を開く。
「だが、守銭奴の奴のことだ。我らの足元を見て高値をつけてくるのではないか?」
それはここにいる者たちの更なる負担となる。
よって、答えは否。
それが言外にその男アドリアン・ポリティラが主張したものであった。
だが……。
「そうであっても……」
正論を纏った本音で抵抗するポリティラの言葉を否定するセリテナーリオはそこで一度切り、全員の顔を眺め、それからその言葉を続ける。
「そうであってもやはりやるべき。勝利を確実に手に入れるために」
「なにしろ、たしかにここで攻略を止めてしまえば、我々は酷い目に遭っただけ何も得られないということになるが、失敗すれば、さらに大きなものを失う。それを避けるためにより成功を得られるための準備をしなければならない。渡河を目論む現在の我々でいえば、満足すべき数の船を手に入れること。そのために必要なものなら更なる出費もやむを得ないと考える」
……セリテナーリオの言葉は正しい。
……とにかくすでに大金を投げ入れているのだ。
……それを取り戻すためには勝利をもぎ取るしかない。
……ここで追加の金を惜しみ、勝つ確率を下げるわけにはいかないのだ。
……それに、グワラニーに頭を下げるのは自分ではないのだ。
ほぼ同じ意味の心の声が多数飛び交ったところで、アドン・オリンダが発言を求める。
「……奴が抱える船さえ手に入れば、一斉攻撃をする場合に留守番をつくらずに済む。一割もの兵を遊ばせる余裕は我々にはないだろう」
「そのとおりだ。だが……」
呟いたオリンダの言葉に異義を唱える、と言うより問題点を指摘するため、言葉を差し込んだのは、ブニファシオ・マテイロスだった。
「そうは言っても今は戦闘中だ。各々王都に戻って金を工面する暇はない」
……たしかに。
再び流れる大量の心の声に応える解決策を提示したのはアルタミア。
「あまり見栄えはよくないし、グワラニーに借りをつくるなど御免被りたいところではあるが、我々が動けない以上、ここは『どんなことがあろうが必ず支払う』という念書を付けた借用書を書いておくしかあるまい」
「ああ。そして、ありがたいことに奴の子分が我々の後ろにいる。まずはあれに話をし、借金交渉の橋渡し役をさせたらいいだろう」
アルタミアの言葉に続いたウルアラーは恨めしそうに後方に設えられた臨時のものとは思えぬ立派な小屋を眺めた。
「では、確認する。グワラニーが抱える川船を言い値で買い取ることに異義はないな」
むろんポリティラは確認の言葉に反対の声はない。
……仕方がない。
心の中でそう呟き、心の平穏を整えると、その言葉を吐き出す。
「私はこの軍の司令官だ。勝利のために動く」
……それにしても……。
先ほどウルアラーが目をやったその小屋というには立派な建物をポリティラは睨みつける。
……たしかにそう言ったのは私だが、本当に見物にやってくるとは思わなかったぞ。グワラニー。
……しかも、わざわざあんなものまでつくり上げて。
そこまでは感情を抑え込んでいたポリティラだったが、最後の最後に感情の籠った言葉が口から漏れ出す。
「……本当にどこまでも忌々しい奴だ」
さて、一晩で多くの兵と船を失ったミュランジ城攻略軍が船の入手先とした男であるアルディーシャ・グワラニーであるが、実を言えば、彼はポリティラたちが考えているよりもずっと近くまでやってきていた。
「……それにしても随分と派手に負けたものだな。ポリティラたちは」
戦闘が開始されたという報告を聞いて側近たちとともにその場に姿を現わすと、ワイバーンから手に入れた別の世界からのものとハッキリとわかる双眼鏡で状況を確認した、ポリティラたちに悪徳商人と決めつけられたその男は、黒い笑いとともに、いかにもという言葉を呟いた。
「しかも、あの様子では兵以上に船が失われています。再攻勢に出たくても足りないでしょうでしょうね。船が」
男の言葉に続いたのは、その男の最側近アントゥール・バイアだった。
「船が足りないままで彼らは攻勢に出るつもりなのでしょうか?」
「さあな」
バイアの黒味を帯びた問いに、その悪徳商人はそれに負けないくらいの黒い笑みを見せながら素っ気なく答える。
バイアが言外に指摘したとおり、本来であれば足りない船の調達をおこなうべき。
しかも、それが手っ取り早くおこなえる味方がいる。
すぐに手に入れるための行動をおこなうはず。
だが……。
「私からの申し出をあれだけ盛大に断ったのだ。私に頭を下げたくないというのがポリティラの本音なのだろう……」
「だが、あれだけの規模の集団を指揮するのだ。奴も馬鹿ではない。勝利のためには絶対に必要な船がすぐに近くにあれば手に入れようと動く。それに……」
「ゴイアスやセリテナーリオですか?」
自らの言葉を引き継ぐようにふたり分の名を口にした側近の男に悪徳商人は頷く。
「そのとおり。下げるのが自分ではなく他人の頭ならいくらでも下げさせるように動くだろうな。もっとも……」
「積極的に動くのはより行動的なセリテナーリオだけで、ゴイアスはセリテナーリオが動いた瞬間、部外者を決め込み、果実が落ちてくるのを待っているだけだろうが」
「……まあ、ポリティラをそそのかすのが誰であっても奴らには時間がない。今日中に船の譲渡を申し入れるためにここにやってくる。それに対する我々の対応であるが、それを決める際の問題となるのは奴らのサイフには金貨どころか銅貨一枚もないことだ。もちろんそれを逆用して『これは後払い』という形の貸しをつくることができるわけなのだが……」
「とりあえず、それも含めて譲渡をおこなうための最も重要な点。つまり、奴らにいくらで船を売るべきか?これについてあなたの意見を聞かせてもらいましょうか?」
いかにも悪徳商人らしいともいえなくもないその言葉。
意見を求める言葉とともに動かした男の視線の先にいたのは、その場にいるふたりの女性だった。
もちろん彼が視線で指名したのはその年長者の方。
その女性が口を開く。
「彼らが勝つか負けるか。グワラニー様がそれをどう考えているのか。それによって答えは変わってくると思います」
「ほう」
「それによってどう変わってくるかも教えてもらえますか。アリシアさん」
その言葉を興味深そうに受け取った男の問いに女性が答える。
先ほどまでの笑みが消えた表情で。
「たとえば、彼らが首尾よくミュランジ城を奪取できるとグワラニー様が考えているのでしたら、一艘あたり金貨一枚。いや、二枚でもいいでしょう。独力でミュランジ城を落としたと言いたい彼らは、こちらがどれだけ厚意を示してもグワラニー様の手助けなどなかったことにするでしょう。そういうことであれば、それくらいのものを頂いても罰は当たらないということになります。ですが……」
「彼らにはミュランジ城を奪取は無理だ。そう考えているのであれば、すべてを銀貨一枚で譲ることにしても多いのかもしれません」
「なぜなら、その時は彼らの多くは戦死または自死でこの世の住人ではなくなっている可能性が高いのですから。つまり、船の代金であるその負債を背負うのは遺族。たとえ正当なものであっても恨みを買うことになります」
「それに敗戦の場合、グワラニー様が彼らに過剰な負担を強いたことが敗因のひとつなどと罪を擦り付けられることも考えられます。敗北に関わりを持たないようにするためには船は無償提供が望ましいと思われます」
「なるほど」
短い言葉で応えたその男は思う。
……さすが。
……これだけの見識を持ち、さらにここまで奥の奥まで深読みができる者はこの世界と言わなくてもそうはいない。
男は満足さを滲ませた笑みを浮かべながら、視線を動かす。
その先にいるには彼の最側近である年長の男だった。
「バイア。アリシアさんの意見をどう思う?」
「むろん同意です。もともとタダ同然で手に入れているもの。くれてやっても損はないでしょう。まあ、奴らの困った顔が見られないというところは非常に残念なところではありますが」
……まあ、そうなるな。
即答の見本のような側近の男の言葉に心の中でそう応じる。
「わかった。ふたりが同じ意見であるのなら、そうしようか。ただし……」
「こちらの思惑が透けて見えぬよう少々の偽装は必要だろうが」
やがて、前線から来訪者に来たことを告げる声が聞こえ、三人はもうひとりの女性と護衛の男ともにやってきた男と面会するため部屋を出た。
それからしばらくしたミュランジ城攻略軍本陣。
そこでポリティラはグワラニーとの川船五百艘の譲渡交渉の結果を伝える。
むろんその結果だけをみれば喜ばしいものである。
なにしろグワラニーはすべての川船をミュランジ城攻略部隊へ譲渡することを了承しただけではなく、懸案だったその買い取り費用が不要であることを言葉にしたのだから。
だが、何かあるのではないか。
そう疑わざるを得ない。
なぜなら、この戦いの前にあった申し出の際にグワラニーが要求したのは、一艘あたり銀貨五十枚。
合計で銀貨二万五千枚。
すなわち、金貨二百五十枚という大金だったのだから。
「あの金に汚いグワラニーが大金を出して買い入れた船をタダで我々に引き渡しをするとは考えられない」
「もしかしてその船は使い物にならないのではないか」
「ありえるな。それは」
その場にいる者たちは口々にその疑念を言葉にした。
ポリティラはしばらくその罵詈雑言の嵐を眺めていたのだが、それが一段落したところで口を開く。
「五百艘の船の代金は不要。そして、船も問題のないもの。奴はそれを偽りではないと保証した。ただし、代金は不要だが無償ではない。というのは、グワラニーがその対価としてひとつの条件を出してきた」
「その条件とは?」
「ミュランジ城攻略が成功した際には第一功を自分にせよ」
第一功の要求。
つまり、船をくれてやる代わりにミュランジ城の陥落した一番の功績を自分に寄こせということである。
もちろんそれを聞いて諸将が黙っているはずがなく、再びの怒号が飛び交うわけだが、さすがに今回はその矛先はポリティラにも向かう。
「それで、総司令官はグワラニーの言い分を黙って了承してきたのか?」
「相手の言い分を聞いて帰ってくるだけならただの伝令でも務まるぞ」
「……慌てるな」
怒気を含んだ物言いで食ってかかるケイマーダとウルアラー。
短く、そして小さなその言葉とは裏腹に、やってきたものとほぼ同量の熱量を含んだ視線でふたりの言葉を払いのけると、ポリティラは続きとなるものを口にする。
「もちろん私は一滴の血も流さぬ者が第一功になどなれるはずがないとあの無礼者に言ってやった」
「だが、気に入らないからと言って船を譲る話を潰すわけにはいかん。第一功や第二功、そして第三功は戦いによるものであるべきだが、船の無料で譲渡することはその価値が十分にあることを認め、第四功として遇すると言ったところ、奴も渋々ながらそれで承知した。むろん皆の中はたとえ第四のものであっても奴に功を与えるという私の決定には不満はあるだろう。それは承知しているし、私自身もそう思うが、金を払わず必要な川船が手に入るのだ。そこは納得してもらいたい」
……状況が状況だ。
……納得せざるを得ない。
全員が承知した。
五百艘の船を手に入れられる算段がついたことで、ミュランジ城攻略部隊の大勢は再度の一斉渡河へと大勢は傾く。
ただし、問題がそれ以外には何もないというわけではない。
「本当に貧相なあの武器で戦うのか?」
マテイロスの口から漏れ出した不満たっぷりの言葉がその問題と、その深刻さを示していた。
実は昨晩の戦いで、多くの魔族兵が本来の武器を失っていた。
沈没を免れるためとはいえ、渡河の成功後に使用するために積み込んでいた武器と甲冑を自ら川に投棄していたのだのだが、結果として、そこで失った武器は全体の七割に上った。
もちろん王都の武器庫から予備の武器を大量に持ち込んでいたため、再装備は可能である。
ただし、それらは舟いくさ用にふさわしいものとして選び出した軽い剣であり、普段使用しているものとはその破壊力が雲泥の差であった。
「だが、そうは言っても人間たちはそれを使用して戦っているのだ。我々が奴らとの戦いで不利になるというわけではないだろう」
「まあ、今度は確実に早い段階で剣を振るう機会はあるわけだが……」
フリーアの言葉に続いてアルタミアが口にした微妙な言葉。
一見すると、マテイロスの意見に同意するように思えるがまったく違う。
川の流れによって不安定な場所で重い剣や戦斧を正確に振り回すのは困難。
少なくても、陸上と同じようにはいかない。
下手をすれば、バランスを崩し川に転落しかねない。
「それがわかっていながらわざわざ武器を持ち換えている理由を忘れたのか?」
当然のようにやってきたアルタミアの言葉は十分な正当性を含んでいたのだが、マテイロスも簡単には引き下がらない。
少しだけ表情を変えると、再び口を開く。
「そうは言っても、対岸に渡ってもそれを使うのだぞ」
「そんなことはわかっている」
「そうならぬよう昨晩は各船に普段の武具を積み込んだのだ。だが、結果があれだ。一回目は仕方がないと思えるが、さすがに二回目は学ばない者として嘲笑される。マテイロスが重い甲冑を着込んで特大戦斧を持って船に乗り込むというのなら止めないが、どうなっても知らんし、目の前におまえが流れて来ても私の隊は絶対に助けない」
なおも自らの主張を変えぬマテイロスに痺れを切らしたアルタミアがそう言い放った瞬間、一方の我慢の堤防が決壊する。
「いいだろう。では、我が隊はすべてそうさせてもらう。そして、どこかの腰抜けのぶざまな戦い方との違いを見せてやる」
もうこうなれば止まらない。
相手もすぐさまお返しの言葉を繰り出す。
「おもしろい。その代わり再び武器を川に落としたら今後おまえの隊は全員手ぶらで戦ってもらう」
「こちらこそおもちゃの剣を持ったおまえの隊が敵に追い回され泣きながら助けを求めても一切関りを持たないからそう思え」
「やめろ」
「渡河中は軽装備。これは決定事項だ。そして、前回の戦いで多くの武器を失って数に余裕がない。沈没の危険性がある船に渡河後に使う武器は積み込まない」
「だが、マテイロスの懸念もわからぬわけでもない。奴らの防衛線を突破したところで、私の兵が皆の武具を届けることにしよう。これなら、文句はあるまい」
ポリティラの取り成しによって敵前での衝突はどうにか避けられ、その後はどうにか秩序を保った会議の結果、翌日に渡河作戦を再開することが決定された。