賢者が辿り着いた真実 Ⅱ
「アドニア嬢。ひとつ確認したいのだけどいいかしら」
逆転の一手によって天国から地獄へ叩き落とされた衝撃で立ち上がれない主を放置し、ダマスキオスの屋敷から出たところで、ユラがアドニアに尋ねたのは自分たちの契約に関するものだった。
「私たちにとって重要なのは取引相手が誰かではない。鉄や燃える石が今まで通り手に入るかどうかということです」
つまり、イノフィタ商会が没落するのは一向に構わないが、鉄や石炭の供給は今までどおりにおこなわなければならないと釘を刺したのである。
もちろんその重要性をアドニアが気づかぬはずはなく、すぐさまそれに対する答えとなるものが戻ってくる。
「それはご心配なく。ユラ様」
「新しく鉄の取引に参入する者は、大海賊の方々への鉄の供給を義務としますので」
「それなら結構です」
「ですが、イノフィタ商会だってマジャーラと鉄と燃える石の売買契約を結んでいるのでしょう」
「それを盾にすればいくらでも対抗策があるように思えるのですが」
「たしかに」
ユラの言葉にアリストは同意するように短い言葉を口にし、それからアドニアに視線を送る。
「余程のことがないかぎり契約書は存在するでしょう」
「ですが、相手はあのマジャーラ。実際のところ契約書など紙切れ同然。そうなると、残りは金となります」
「なるほど」
「……立ち入ったことを聞くようですが、なぜイノフィタ商会はこれまでマジャーラの利権を独占できたのですか?」
そっと忍ばせるようにアリストが問うたもの。
もちろんそれこそが彼の本題。
本来ならそう簡単に切り出せるものではないのだが、このタイミングに限っては不自然さも強引さもない単純な興味本位の質問にしか見えない。
それが功を奏した。
アドニアは事もなげにその謎解きの言葉を口にしたのだ。
「もちろんそれは祖先の努力の賜物です。イノフィタ商会はもともと小さな鉄製品の加工業者で、後にアストラハーニェの燃える石を扱う商人になります。そして、あるときからその扱うものに鉄が加わります」
「それはマジャーラ王国の誕生と重なります。マジャーラとイノフィタ家がどのような繋がりがあるのかは公式には語られていませんが、マジャーラがイノフィタ家を燃える石と鉄を売る相手と指名したのは事実。上下関係はわかりませんが、両者の結びつきが強固だったのは間違いないでしょう」
「ですが、それも過去の話。実際のところ、近年のマジャーラは輸出先を複数にして競わせ、販売価格を上げたいという希望は持っていました。これまでそうならなかったのは買い手側の意向。つまり、アグリニオンの評議会が輸入先の規制をおこなっていたからです。その核はアイアーズ・イノフィタが裏側ぁら手を回した結果」
「もちろんそれはそうすることによって購入価格を抑えられ、鉄に関わる多くの者が利を得られることから国としても十分に理が得られると評議会が判断したからでもあります」
「ですが、それも今日まで。明日からは違った世界になることでしょう」
「なるほど……」
「両者の関係とイノフィタ家の明るい未来についてはわかりました。ですが……」
「……自由競争が始まった場合、高い鉄製品を購入することになるブリターニャを含む多くの国が最終的な被害者となるわけですね」
「いいえ。必ずしもそうとは限らないでしょう」
警戒と非難の色彩が濃いアリストからやってきた問い。
それに対してカラブリタは薄く笑う。
質問者の顔を眺め、自らの言葉に理解しきれていないことを悟った少女はもう一度口を開く。
「アリスト王子に尋ねます。ブリターニャが我が国にから武具を買い入れていた理由は何ですか?」
「まず価格。続いて量ですね」
自らの問いにアリストがそう答えるとカラブリタは頷き、言葉を続ける。
「量という部分はとりあえず置き、価格だけの話をすれば……」
「元々この国から各国に輸出していた鉄製品の価格というのは、多くの利を乗せていたため各国が自国で鉄製品を生産するよりも圧倒的に安かったというわけではなかったのです。ですから、マジャーラからの購入する価格が倍になったから各国の売り渡す鉄製品の価格が倍になるかといえば、そうはならない、というか、できないのです。もちろんそうすることは可能ですが、自国でつくるよりも安いといううま味がなくなれば、各国はすべて自国生産に切り替えます」
「そうなれば、結局加工製品をつくる者たちは品物が売れなくなる、では、どうすべきかといえば、まず、これまでと同じだけの利益を諦める。ですが、それも限度というものがあります」
「銀貨百枚で材料を買って武具をつくり、自国内の材料を使い同じ武具を銀貨二百枚でつくっている国に銀河百五十枚で売っていた業者は材料代が銀貨二百枚になっても銀河二百五十枚で武具を売るわけにはいかない。というより、どんなに高くても二百枚より安く売らなくてならない。ですから、それ相応の価格の材料がなければ商売にならないのです。それはマジャーラから鉄を購入する者も同じ。これまで銀貨五十枚で手に入れていたものを競争相手が現われた結果、銀貨二百枚で鉄を手に入れてもそれを買い入れる者がいなければただ金を損しただけとなります」
「つまり、一見すると売り手に圧倒的に有利に見えても、そうではないということです。売り手が完全に独占状態にあるとき。しかも、買い手はどんな高価でも購入する。などというような特別な条件が重ならないと、売り手が好きな値段をつけて売りつけることができるという商人の理想の状況は起こらないのです」
「ですから、マジャーラの鉄購入が自由競争になってもアリスト王子が危惧されるようなことにはならないのです」
ここまで話をしたところでカラブリタは誰に対してのものかわからぬ笑みを浮かべる。
……中学生でも知っているようなことを自慢気に話してしまった。
……まあ、経験的に知っていても、こちらの世界は市場原理について明文化された資料は存在しないから構わないのだろうが。
……それでも少々恥ずかしいな。
そして、その夜。
先日の揉め事に懲りた勇者一行は自室に酒を持ち込み、ささやかな宴会をおこなっていた。
とりあえず護衛役として同行したものの、出番がなかった三人の剣士は暇つぶしにすでに酒をしこたま飲んでいたこともあり、いつもより高い酒をそれなりに飲むとあっという間に夢の国へと旅立つ。
残ったのはいつもどおりアリストとフィーネ。
その華やかで艶っぽい見た目とは程遠い内容の会話が始まる。
「一応聞きます。今日の戦果はいかがでしたか?」
もちろんフィーネもその場にいたわけだから、凡そのことは把握している。
だが、それは表面的なもの。
目の前の男が本当に手に入れたものが何かまではわからない。
遠くまでつき合わせたのだから、手に入れたものはすべて開陳しなさい。
それがフィーネの言外の要求となる。
「ちなみに、契約書まで取り交わした鉄取引はどうするのですか?」
一瞬後、フィーネは少しだけ言葉を加えると、アリストはこう答えた。
「イノフィタ商会から買い戻しが入ればそれ相応の金額で契約書を売るつもりですが、おそらくそこまでかの御仁はそこまで頭が回らないだろうとのこと。その場合は違約金としてそれなりのものを貰うことになると思います」
「まあ、あれだけの好条件で鉄が手に入ればいうことなしですが、それについてはカラブリタ嬢にお任せしましょう」
「わかりました」
「では、次は本題の方にいきましょうか」
「マジャーラの内情を聞いた感想は?」
「マジャーラが鉄の供給源であることを確定させられただけでも大戦果といえるわけで、マジャーラ王国の成立にアグリニオンの商人が絡んでいたという事実も、その理由が燃える石や鉄だったという情報もなかなか興味深いものでした」
「そうですね。それで……」
「そのような重要情報をあの少女は気前よく喋っていたわけですが、アリストはカラブリタ嬢の言葉を正しいと思いましたか?」
「もちろん」
フィーネからやってきた疑念の言葉をきっぱりと否定したアリストは続けて言葉をつけ加える。
「おそらく私たちにとっては重要情報でも彼女にとってはたいしたものではなかったのでしょう。それは他の方にとっても」
「それから、これは話を聞いたうえで、構築した私の想像なのですが、マジャーラに鉄のつくり方を伝授したのはイノフィタだったと思います。そして、その過程というのは……」
「もともとあの一帯を縄張りとしていた山賊の頭領であるマジャーラ王国の始祖と、彼と繋がっていたイノフィタの祖先が燃える石の大鉱山を発見し、こっそりと掘っていた過程で鉄砂の塊を見つけた」
「もちろんただの山賊でしかないマジャーラには鉄をつくる知識も技術もありません。ですが、もともと鉄の加工業を生業としていたイノフィタはその知識を持っていた。そして、イノフィタがマジャーラにその知識を伝授した」
「だが、せっかく発見した宝の山の存在をアストラハーニェの連中が気づけば必ず奪いにやってくる。そうなる前に支配権を確立しようと、イノフィタの軍資金でマジャーラとその子分どもが独立運動をしてその地を手に入れた。それだけのことをしたのだ。当然見返りは大きい。それがその独占権というのはいかがでしょう」
「……悪くない話ですね」
……まあ、私としてはカラブリタ嬢の初級編「市場原理」の一節の方が興味をそそられるものでしたが。
フィーネは実際に口にしたものとは別の言葉を心の中で囁いた。
彼女の心の声は続く。
……一見すると経験に基づいた話のようですが、この世界にあるのものとは別の知識、というより、こちらには「経済学」という学問は存在していないのですから、あの理路整然とした物言いは、向こうの世界にあるものをベースにしていると言ってもおかしくない。
……あの剛腕ぶりと考え合わせれば、もしかしたら、彼女はその手の仕事に関わっていた者かもしれません。
そう。
その場に立ち会っていながら、ひとことも発することなく、部外者に徹していたフィーネだったが、彼女は彼女なりの情報収集をおこなっており、アリストとは別の成果を手にしていたのである。
……さて……。
……それはさておき……。
「ここに来た目的は達成されたわけですから、ここから移動するわけですが、次はどこに向かうのですか?」
フィーネ自身はこの地にもう少し留まってもいいと思っていたのだが、隣にひっくり返っている三人は当然反対するだろうし、それを抑え込んで留まっていてはまたどこかで問題を起こしそうだから、アリストは移動を決断するものと思っていた。
……順当にいけばマジャーラか、マジャーラ経由でアストラハーニェか。
フィーネは自らの推測を心の中で呟いた。
だが、アリストが口にしたのは……。
「もう少しここに留まりたいと思います。我が国の利益に関わりますからイノフィタ家の結末を見届けたいですし、不思議な国マジャーラについてもう少し情報収集したいですから」
「まあ、暴れ足りないファーブたちは反対するでしょうから、その間、彼らは息抜きの場を提供することにしましょう」
「ジェセリア・ユラにお願いして」