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二千世界  作者: 螺鈿人形
四季めぐり
7/24

魔に逢えば夏の夜は夢

 日差しやわらぎ暦は処暑、あれほど勢力あった蝉時雨もだんだん疎らになってきて、夜は鈴虫がリイリイ鳴きだしている。首都西方は曇りがちだが暑いものは暑いので、このごろ散歩に出るのはもっぱら黄昏、逢魔時である。


 いかにも「魔的」な時間帯だ。じりじり紺青に襲われる夕焼け空は残喘を尽かしつつあるみたいで、うそ寒い空気が混じりだしてなんだか肌寒くもある。駅の方からふらふらやってくる影法師ひとつひとつにも「()(かれ)」と、人か鬼か妖かつい確かめてみたくなる。


「じゃあなァ!」

「またあしたあ!」


 団地そばの公園から叫び声が響いてきた。ブランコがふらふら揺れているだけで、もう誰もいない。こんもり盛られた砂場は濃い朱色に照り映えて、さながら(あぎと)を開いた地獄が淵か。蛇口から赤みを宿した水滴がぽたり、夕風がさああと無数の足跡を吹きさらしてゆく。


「クィキキキキ──」


 ヒグラシが嗤っている。もしかしたら今し方まで大勢にまぎれて遊びほうけていた小鬼かもしれない。地獄の釜の蓋も閉じたんだし早く帰らないと大王様にとっちめられるぜ、と公園から離れかけるや背後を足音がバタバタ駆けぬけた。


「クィキキキキ、キ……」


 見れば砂場の山が平たくなっている。目につくすべてが残光に染まり血潮を噴き出しているようだ。ふわっと吹いた宵の風に追われるように、やはり誰もいない公園を後にした。


 だいぶ奥まった先に墓地があった。数段昇ったところ端から端まで十数歩ほどの手狭な土地に古びた墓石が二列かける五基ずらり、杉の木立に囲まれ暗々として、梵字の褪せて黒ずんだ卒塔婆が数々草むらに倒れている。


 いわゆる無縁仏である。あちこち亀裂と老朽が目立ち、次に震災があれば外壁もろとも崩壊するに違いない。ときどき散歩の足休めにと寄ってきた、うらさびれたところだ。田舎育ちのせいか墓には畏怖あれど恐怖はない。


 しめやかな気を嗅ぎつつ石段を昇る。と、最奥のひときわ苔生した墓石に面する影あり、小柄の男性が佇んでいた。葉々にちらめく街灯の逆光でシルエットばかりの容姿はジャケットに山高帽で両手に杖をついていて、どうやら近所の人ではない。


「お邪魔ですか」

「いえいえ全然、すみません──」


 めずらしい、と思うや影一色が振り向いた。しわがれに八十路を聞き取り、ふらり立ち寄っただけとは言えず妙な挨拶を返して立ちすくんだ。すると山高帽が元どおり墓石を見下ろして、


「久しぶりに墓参りできたんですよ、ちょっと遅れてしまいましたがね」


 仏花や供物はない。寝かされた形で燃えたつ線香の束を挟んで蝋燭が対に灯されている。


「お住まいは、このあたりなのですか」

「はい、学生のころから一人暮らしで」

「ああ、いいですねえ」


 なにがいいのかわからずも、眠気を誘うような快い語り口である。ふと風が吹いて、蝋燭の炎がほろほろ揺れた。みるみる燃えたつ線香の煙が影の足もとに絡みつくように流れた。


「ご両親は、ご健在ですか」

「おかげさまで、二人とも元気にしています」

「それは喜ばしいことです」


 四方の杉がザアザア揺れた。墓地そのものが笑っているようだった。


「ご両親も、わが子が元気にやっているということを知ったら、お喜びになるはずですよ」

「あはは、そうですかね……」


 こちらを向いた山高帽に六畳一間やもめ暮らしを見透かされたような気がして、自然うつむいた。ひゅううと夜気が沈黙を埋める。まっくらな輪郭の奥に微笑があるような気がした。


 じゅっ、と二炷とも芯が蝋溜まりに落ちた。固そうな白煙が細く立った。


「きみ、見込みあるよ」


 囁きが、木々のさざめきにまぎれてぼわぼわ反響した。どこか挑発を噛み含んだような声で、えっと見れば山高帽も、ジャケットも、杖も、線香の火種ごと忽然と消えていた。


 石段を駆け下りて左見右見する。あたりは街灯の蛍光に家宅の暖色、あとは爪痕のように鋭い三日月が薄雲をつれてぼんやり輝くばかりだ。


 寝不足と眼精疲労の生み出したファンタズマ(まぼろし)か、狐の手慰みか、公園から尾けてきた邪鬼の仕業だろうか。なんの「見込み」なのだろう──


 考えつつオンボロマンションに帰ってきた。一階の郵便受けを開けると、チラシの上に葉書が一枚乗っていた。どうやら年賀らしい「20(円)」そして「昭和52年」という時代錯誤の数字に、宛名も差出名も消印もない。あちこち黄ばんでもいる。


 なんだこれ、とチラシをそばの資源ゴミバケツに放り込みつつ裏返した。


「きみ、見込みあるよ。」


 シダがくねるようなミミズがのたうつような、それでいて各所が鋭角に尖ってもいる不気味な筆跡が、まっさらな中央にぬらぬら蛍光灯の下で乾きたてかと黒光りしていた。




人意(いずく)んぞ鬼神の好悪を察し得んや。

(泉鏡花)


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