『幕間 不穏の影⑥』
聖歴二十五年 パール月十七日。
ナビア連合王国より南。
ホド連邦共和国の北東に位置する大陸、火山地帯手前の町マルス、その町はずれにある神殿。
鉄分を多く含んだ土が周囲を赤茶に染める光景の中、神秘的な外観と白の色彩が相まって異質さすら感じる神殿に巡礼団は立ち寄っていた。
神殿を訪れたのには理由がある。
昨日、聖地巡礼の目的地である、この大陸の西側の火山地帯のルビー神殿へ赴き、巡礼を終えて戻って来たのだが、マルスへ着くなりノエルが倒れてしまったからだ。
活発な活動を繰り返す火の山は危険と猛烈な暑さが邪魔をして、ルビー神殿への道は行きも帰りも険しかった。
その影響だろうと誰もが思った。
聖騎士団長アイゼンは倒れたノエルを背負って運び、一行は神殿へと滞在することになった。
用意された客室にアイゼンの手によって運び込まれたノエルは今頃、【審判】の神秘を宿した治癒術の専門家であるシンが診察と治療を行っている事だろう。
アインは他の女神の使徒達と共に、応接室あるいは談話室として使われる部屋へ案内され集まっていた。
部屋の内装や家具はあからさまに豪勢ではないが、よく見れば贅が凝らされたとわかる物が揃えられている。
外に面した白い壁には高い窓が等間隔で並び、部屋の中央には白い石材で作られたローテーブルと、白の枠組みに鮮やかな濃い紅の座面と背もたれのソファが、対面と一人用でいくつか置かれていた。
アインはソファへ浅く座ると、身を乗り出してローテーブルに地図を広げ、着席した二人の女神の使徒と共に眺めた。
そして、地図に描かれたとある場所を指差し、数える。
「ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ。次でようやく折り返し地点ね」
アインが数えたのは聖地巡礼で訪れた神殿の数だ。
巡る神殿は全部で十か所存在し、巡礼を済ませた場所はこれまでに四つある。
エターク王国領地ラツィエルのターコイズ神殿。
王都オレオールと北西の港町ミトラの中間にあるアダマス神殿。
ナビア連合王国首都ザフィエルよりほんの少し北の森にあるパール神殿。
そして今いる大陸の火山地帯にあるルビー神殿。
「……長い道のりだな。女神を是としない魔神の心棒者——エクリプス教徒が蔓延るアディシェス帝国内もこれからだし、不安だな。どんな妨害があったものか知れたものじゃない」
そう溢したのはアインの正面に座った【魔術師】の神秘を宿す使徒ベートだ。
白地に黒のラインと赤のマントが映えるローブを着たベートは、水晶のような銀の瞳を細めて地図を覗き込んでおり、重力に従って真朱色の長髪が横顔に垂れると、耳にかける仕草をした。
その手には十色の魔輝石が輝く杖を携えている。
「ま、今回に関しては根回し済みなので大丈夫ですよ。いざとなったら瞬間移動の魔術で行けばいいですし。ね?」
「簡単に言うが、そう何度も使える代物じゃない。オレを殺す気か?」
瞬間移動の魔術の行使には莫大なマナを必要とする。
そのため【魔術師】の神秘を持ち、魔術の造詣に深い彼であっても、乱用出来るものではなかった。
過度な魔術の行使はマナ欠乏症を引き起こし、下手をすれば生命活動に支障をきたして死に至ることもある。
それはアインも承知の上で発言した。
彼の反応を見るために。
思った通り、いい感じに感情を顔へ出して、綺麗な顔を歪めてこちらを睨むベートに、アインは思わず口元が緩んだ。
「あっは! 女神の代理人のために死ねるなら本望でしょう?」
「だとしても、本能に従い無駄に命を浪費するつもりは毛頭ないぞ」
「ふぅん。まあ、私も同意見だけどね? 自分の意志と関係なく振り回されるなんて、まっぴらだもの」
ベートの言う本能とは——女神の祝福を受けて神秘と聖痕を授かり使徒となった者に芽生える、ある感情の事だ。
女神の使徒は総じて、力を齎した主である女神とその代理人である人物に、忠誠と敬愛の念を抱いてしまう。
個々で気持ちの大きさに差が見られ、盲目的になる者もいれば、歯牙にかけない者もいる。
——が、根底には必ず存在する感情で、時として抗えず引っ掻き回される事もあるため、厄介だった。
アインは宿す神秘が異質な名称であるためか、もしくは信心深い方でなかったためか。
湧き上がる正の感情に、不快感を感じずにはいられなかった。
(……ほんっと、気持ち悪い。まるで呪いね)
大きな声では言えないので、地図を見るために乗り出していた体をソファの背面に押し付けながら、心の中で独りごちた。
すると——隣に座ったツァディーが「ねえ、ディアナちゃん」と、星色のウェーブがかった艶めく長い髪と、紫黄水晶の大きな瞳を揺らしてアインを見た。
ディアナ——それはアインの名の一つだった。
「なぁに? ステラ」
名を呼ばれたディアナは、【星】のツァディーの本当の名を呼び返した。
するとステラはうつむいて、淡い藤色のワンピースを握りしめると、あどけない可愛らしい顔に悲しみを映した。
「聖地巡礼……本当に、このまま進めて……いいのかな?」
「それはステラの方がよーく視えてるんじゃない?」
「……わかんない。この力は、万能じゃない」
ステラが右の手のひらを胸の高さに持ち上げると、手の中に漆黒の球体が生まれた。
その中では無数の光が忙しなく瞬きを繰り返している。
それは星詠み——と呼ばれる、【星】の神秘が与える、使徒としての力だ。
未来を視ることが出来るらしい。
「……星は破滅を……示している。数多の星を犠牲にしても、太陽を捧げても……」
ステラの言葉と共に、手の中の天球が弾けて消えた。
〝破滅〟を表している事が見て取れた。
すると——部屋の入口の方から「だが、もはや猶予はないのだ」と、低い音域ではあるが女性のものとわかる声が聞こえてきた。
声の主は【正義】の神秘を宿した使徒であり、聖騎士の女性ラメドだ。
壁を背に佇んでいた彼女の藍玉の瞳がこちらへ向いており、歩き出す姿が見えた。
纏った白銀の鎧が、ガシャッと金属の擦れ合う音を響かせる。
後頭部で一つにまとめて垂らされた長い蜂蜜色の金髪を靡かせて、ラメドはやって来た。
「この事態を招いた責は、この星に生きるすべての者にある。知らぬとはいえ、犠牲の上に成り立つ恩恵を安穏と享受してきたのだ。その代価は痛みを伴うとしても、払ってもらわねば」
抑揚のない声で淡々と告げた彼女は、美しくも冷淡な印象を受ける容姿をしている。
ラメドの言う事は間違っていない、とディアナは思った。
「とは言え、一番の大罪人は、守り人を称する腐りきった偽善者たちですけどね。なーんにも知らず、そのツケを払わされる人々はとっても憐れね」
「せめてあと一年、早くわかっていればな……」
「嘆いても仕方あるまい。今は正しいと思った道を進むしかないのだ」
「そのためには犠牲も致し方なしだな」
「はい……わかって、います……」
ベートとラメドの言葉にステラは頷いていたが、表情は晴れない。
だが、ディアナには苦痛に歪んだステラの顔がとても綺麗に見えて、思わずくすくすと笑いがもれてしまった。
絶望は甘美で、そして耽美だ。
(ふふふ。こんなだから【悪魔】なんて呼ばれる神秘が宿るのね)
ディアナは自分の異常性をしっかりと認識していた。
およそ女神の使徒としては、似つかわしくない思考だ。
そんな事を考えていると、コンコンと、何かを叩く音がした。
続いて扉の開閉音が響いて、ディアナが部屋の入口へと視線を動かすと、白い扉の後ろから純白の祭服を着た、青年が入室した。
海を思わせる青髪を持ち、優し気な橄欖石の瞳は、正面から見て左側だけ長い前髪に隠されていた。
彼はノエルの診察と治療を行っているはずの使徒シン。
きっと診察が終わったのだろう。
「あ、ノエル様は大丈夫そうですかー?」
「うん、疲れが出たんだろう。一日ゆっくり休めば問題ないよ。あの方は気が付くなり『休んでられない。先を急がないと』の一点張りで、聖騎士長が手を焼いていたけどね」
先を急ぐ理由は知れている。
ノエルは宝石のためならば、あらゆる事をやってのけ、犠牲も厭わない。
だから、自分の体の不調を理由に立ち止まりたくはないのだろう。
「ノエル様らしい」とディアナは笑った。
そうは言っても聖地巡礼は、彼が要なのだから無理をしてもらっては困る。
「焦りは禁物ですねぇ」
「元より丈夫な方ではなかったからな」
「今は回復に専念してもらおう」
ラメド、ベートが口々に言って、ステラはこくこくと首を縦に振っていた。
思いがけず時間が空くこととなったが、ちょうどいいかもしれない——そうディアナは思った。
(やることはたーくさんあるもの。時間は有効活用しないと)
聖地巡礼も大事だが、ディアナには課せられた使命がある。
(——ノエル様を導かないと、ね)
そうしてディアナはまたくすりと笑うのだった。
第一部 第三章
「動き出す歯車」
終幕。
次章
第一部 第四章
「隠された世界の真実」
救援に向かう船上でイリアとの関係に変化が……?
そして、訪れたナビアの地でルーカスは知る。
残酷な運命を——。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
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