第三十六話 抜け落ちた記憶
シャノン、シェリル、リシアの三人にイリアとの出会いと、それにまつわる過去を語った日の夜。
ルーカスはイリアと庭園を訪れた。
誘ったのはルーカスだ。
目を覚ました直後「色々話したい事がある」と言ったイリアと話の続きをするために。
夕食を済ませ満腹だと言うこともあり、イリアはとても上機嫌にレンガの敷き詰められた小道を進んでいる。
ルーカスは彼女の後ろを歩きながら、双子月が照らす庭園を見渡した。
その景観は地震の影響で所々乱れてしまっているが、力強く美しい花々が変わらずに咲いてる様子が見え、最低限の体裁を保っていた。
庭園を含め公爵家邸宅内では、物の落下・破損はあったものの、人や邸宅自体に大きな損害はなかったので被害としては軽微なもので済んだ。
王国内の状況を考えると手放しでは喜べないが、不幸中の幸いだと言えるだろう。
「それで、何から話そうか?」
イリアが立ち止り、月明かりに輝く銀の髪を翻した。
「イリアが話したい事から聞くよ。逆に聞きたい事があるなら、それでも」
ルーカスはイリアの隣に並び立った。
彼女は少し考える素振りを見せ、しばらくして「じゃあ……」と話題を切り出した。
「魔獣を生み出していたアレについて。ルーカスはどこまで知ってるの?」
「あれは門と呼称される現象だ。その実態はまだ解明されていないが、近年増加する魔獣の発生源である、という見方が強いな」
「門……」
口許に手を当て、イリアは考え込んでいる。
教団側が別口で何か情報を掴んでいるのではないか、と言う淡い期待を抱く。
が、記憶が完全ではないとも言っていたし、イリアの様子を見るに望みは薄そうだと、そう思ったのだが——。
「魔獣は瘴気に侵された存在。なら、門はもしかして……」
イリアの口から飛び出た聞き慣れぬ単語に、ルーカスは瞬きを繰り返した。
「……瘴気? なんだそれは?」
反復して問えば、イリアは顔の位置で左手の人差し指を立てて見せた。
「魔獣は禍々しい黒いのオーラを放っているでしょう? あれが瘴気。物質的にはマナと同義なんだけど、瘴気って言うのは——」
そこまで話してイリアは言葉に詰まり、表情を歪めて左手で頭頂部を押さえてしまった。
「瘴気、は……」
言葉を続けようとしているが、出て来ないようだ。
この症状は幾度となく見ているのでわかる。
「良い、無理に思い出そうとするな」
呪詛の影響、記憶阻害に伴う頭痛だろうと察して、ルーカスは首を横に振って制した。
「ごめん、知ってるはずなのに、思い出せなくて……」
イリアは深くため息をついて意気消沈したが、何かあっては事だ。
「また思い出したらでいいさ」
「わかった。ルーカスは聞きたい事、ある?」
イリアはもう一度ため息をつき、頭痛が治まったのか手を下ろした。
聞きたい事は勿論ある。
弟である教皇ノエルの事。
ルキウス様の葬儀以来、連絡が途絶えたこの一年何をしていたのか。
完全ではないと言ったが、どこまで思い出したのか、と言うのも気になった。
後は——イリアの補佐官、〝盾〟であると自称したあいつの事。
「君の盾、あいつはどうしている?」
「あいつ……と言うと」
「フェイヴァ・アルディス」
盾を名乗っておきながら、イリアの一大事にあいつは何をしていたのかと、ルーカスはその人物を思い出していた。
髪はミディアムショートで前髪がサイドに分かれ、はねて癖毛のある黒柿の色。
目元は二重で切れ長、瞳は翡翠のような松葉色——容姿の造形は悪くないが、口は真一文字に引き結ばれ、無表情で口数も少なく愛想のない青年だ。
教団に居た頃、鍛錬に付き合ってもらったのだが、滅法に強く、二本の槍を悠々と操る様には、恐れすら抱いた。
「……フェイヴァ、フェイヴァは、」
イリアは名前を繰り返し呟いた。
だが、これも思い出せないらしく、最終的にはこめかみに手を添え瞼を閉じて、首を横に振った。
「……そうか」
「ごめんね」
「いや、仕方ないさ」
「何だか役立たずだね、私」
イリアが肩と視線を落とし、眉根と口角も下げた。
予想外にピンポイントで抜け落ちている記憶が多いとは感じるが、だからと言ってそんな風に思う訳がない。
「あんな大活躍したんだ、今はゆっくり休めばいい」
「でも、もやもやする。やるべき事も……思い出さないといけないのに」
責任感が強いと言うのも考え物だな、とルーカスは思った。
女神の使徒、教団の魔術兵として生きて来た彼女は、その使命に従順で自らを顧みないところがある。
門の件もそうだ。
危機的状況であった事は確かなのだが、やり方は他にもあっただろう。
道理に外れた事はしないが、一人で背負いこんでしまう事には前から危うさを感じていた。
隣に立つイリアは月明かりに照らされ、元気のない様子を見せている。
すると、風が吹いて銀の髪が舞い上がり。
靡く髪を抑えて、風の動きを追った勿忘草色の瞳が遠くを見つめた。
その姿が儚く見えて。
(いつか……その志と共に、手の届かない場所へ行ってしまいそうだ)
不安がルーカスの胸をよぎった。
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