第三十一話 変わるもの、変わらないもの
目覚めたイリアが、掛けられた麻の布を退けて身じろぎ、ゆっくりと体を起こす動作をした。
ルーカスは彼女の手を取って背を支え、その手伝いをする。
起き上がり「ありがとう」と告げるイリアに頷いて、ルーカスは椅子へ腰を落ち着かせた。
「私、どれくらい眠ってた?」
「あれから二日だ」
「そっか。ごめんね、心配かけたよね」
申し訳なさそうに目を細めて、イリアは笑った。
マナ欠乏症の症状は落ち着いたが、あれだけの力を長時間使って倒れたのだから、心配するのは当然だ。
「当たり前だろ。けど、目が覚めたならそれでいいさ」
「ん、色々とありがとう。記憶がなかった私を助けてくれたことも、感謝してる」
「いいんだ。俺もイリアには助けられたから」
砕けた口調で微笑むイリアにルーカスは懐かしさを感じていた。
記憶を無くした彼女は常に畏まっていて、こんな風に気楽に話す事はなかったように思う。
「……記憶は戻ったのか?」
共に戦った時から感じていた疑問を投げかけると——イリアは「うん」と頷いた。
ルーカスは彼女を縛っていた枷が取り払われた事に安堵した。
そして記憶が戻ったのであれば、今度こそイリアの身に起きた事を聞く事が出来る。
神聖国に渦巻く陰謀も、きっと明らかになるだろう。
ルーカスはそう思ったが、イリアは何故か浮かない顔で言葉を続けた。
「でも、完全じゃない。真っ白に埋め尽くされて思い出せない部分もあって」
銀糸を揺らして彼女は首を横に振った。
呪詛の枷はまだ存在しているらしい。
それでも、何かしらの手掛かりは掴めるかもしれない。
「何があったか、思い出せる事はあるか? やるべき事があるとも言っていたが……」
「やるべき事……。あの子に、ノエルに会って……」
そこまで話して、イリアは片目を瞑り、こめかみを抑えた。
痛みを堪えるかのように顔が歪んでいる。
呪詛の影響だろう。
執念深く彼女を苦しめるそれをルーカスは忌々しく思った。
「ダメ、そこら辺の記憶は曖昧で」
「……そうか。教皇聖下は、実の弟……なんだな?」
二人の顔立ちはよく似ている。
教皇ノエルの話と態度から二人が姉弟である事実は疑いようがなかったが、念のための確認だ。
イリアは俯いて、ほんの少し寂し気な表情を浮かべた。
「うん。あの子は私のたった一人の家族。弟がいるって知ったのは、ルキウス様が亡くなる直前なの。息を引き取る間際に、教えてくれた」
「あのお方が……」
ルキウス聖下が、亡くなる前にノエルが弟である事をイリアに明かした。
と言うのがルーカスは引っ掛かった。
次期教皇は、教皇が存命のうちに相応しい者へと【法王】の神秘が転移する事で選出される。
教皇ノエルの場合も例外ではない。
(確か……五年前には決まっていたはずだ)
自分が教団から王国へ戻った時期に、次期教皇選出の告示があったとルーカスは記憶していた。
だと言うのに、ルキウス聖下が亡くなる直前まで、イリアは次期教皇が家族である事を知らされていなかったと言う。
その事実から推察できるのは、イリアとノエルの関係は意図的に秘されていたという事。
では、誰がそのような事を目論んだのか。
これも教皇ノエルが「色々と事情がある」と語った事の一つなのかもしれないな——と、ルーカスは考えを巡らせた。
「……あのね、ルーカス」
イリアの声が響き、ルーカスはハッとする。
気付かぬうちに思考の沼にはまり、イリアとの対話を忘れてしまっていた。
「悪い。考え込んでた」
そう伝えれば、イリアは首を横に振って「大丈夫」と言った。
だがその割には、頬を染めて何やら落ち着かない様子だ。
上目使いに勿忘草色の瞳がこちらを見つめる。
「えっとね、色々話したい事はあるんだけど、その……」
「どうした?」
イリアはそわそわと手を動かして、何かを伝えようとしているのだが——。
言いづらいのか、中々言葉を発しようとしなかった。
「何か重大な話でもあるのだろうか?」と、ルーカスは体を強張らせて彼女の言葉を待つ。
暫くそのような状態が続き、意を決したイリアが両手をぎゅっと握り、呟いた。
「……おなか、すいた。ごはん……」
予想外の答えに、ルーカスは気が抜けた。
「ふっ……はは! ごめん、そうだよな」
「わ、笑わなくてもいいじゃない……!」
思わず笑いがもれてしまった。
何事かと思って身構えていたが、これは盲点だった。
二日ぶりに目覚めたのだから、お腹が空いていて当然だ。
そして、過去の記憶を遡って、彼女のある情景が浮かんで——また笑ってしまう。
思い出したのは、目を輝かせご飯を美味しそうに頬張るイリアの姿。
「そう言えばイリアは食いしん坊だったな。忘れてたよ。記憶のない君は、別人みたいなところがあったからさ」
「ちが……っ! 食べるのは好きだけど、なんでそんな覚え方!?」
イリアは顔を真っ赤にして、叫んだ。
食べるのが好きな事は否定しないらしい。
その様子が可愛くもあり、おかしくも見えて、ルーカスは緩んだ頬が戻らなかった。
「まずは食事にして、話はそれからだな。シャノン、シェリル、リシアも心配していたんだ。元気な顔を見せよう」
彼女は赤くなった頬を膨らませて、じとっとした目を向けて来た。
「食いしん坊」と揶揄った事がよほど気に障ったのだろう。
しかしその表情も、食堂で料理の並んだテーブルを目した途端、歓喜へと変わるのだから、面白いものだった。
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