第六話 うーちゃん事件
※このお話は作中に挿絵があります。
時はほんの少し遡って、食堂に来る前の事だ。
シャノンの様子を見に部屋へ向かったのだが、部屋をノックして出てきたのは困り果てた侍女であった。
黒のワンピースに白のエプロンを身につけ、飴色の髪をきっちりとおだんごでまとめた侍女は、起きる様子のない主人に手を焼いている様だった。
彼女はカトレア、シャノンとシェリル付きの侍女で、年齢はルーカスより二つ上、双子の姉妹が七歳の時から側に付き添っている。
「ルーカス様、シェリルお嬢様。申し訳ありません、シャノンお嬢様はまだお休み中です。
本日は大事な約束があるから早めに起こして欲しい、とお願いされましたので何度かお声がけしたのですが……全く起きる気配がないのでどうしたものかと」
「ありがとう、カトレア。あとは私とお兄様で何とかしてみるわ。お姉様が起きた時のために身支度の準備をお願いできる?」
「かしこまりました。それでは一度失礼致します」
カトレアは二人に会釈すると、準備のために一旦部屋を後にした。
シェリルが部屋の扉を開け、ルーカスはその後に続いて入室する。
シャノンの部屋は女の子らしく、赤やピンク等の暖色系のパステルカラーで彩られていた。
部屋の広さは客室より少し広めだが、間取りは似た様な設計だ。
正面はテラスへ続く大きな窓。
ベッドが置かれ、右手に身支度のためのドレッサーと、ドレスルームへ続く扉。
寛ぎのスペースとして、冬用の暖房の前にテーブルとソファが配置されている。
部屋の各所に収納のための棚と、観賞用の調度品。
公爵邸の個人部屋の間取りは細部に違いがあるものの、大体はこの様な形であった。
シャノンは——ピンクの布地と白いレースカーテン付きの、装飾にフリルとレースがふんだんにあしらわれた天蓋付きのベッドでぐっすりと眠っている。
「お姉様、朝ですよ。起きてください」
「んー……」
「もう! お兄様と一緒に出勤するのでしょう?」
「……うー……あと、ちょっと……」
シェリルが声を強めて、ベッドの上に眠るシャノンの肩を掴んで揺らすが、シャノンは顔を顰めもぞもぞと動くだけで、起きる気配が感じられなかった。
ルーカスもシャノンを起こすためベッドへ近付いた。
すると足元に白いうさぎのぬいぐるみが転がっているのが目に入り、屈んでひょいと拾い上げる。
大きさは片腕で抱えられるくらい。
左耳に赤とオレンジ色のリボン、ピンクのレース生地のワンピースを着せられており、くるっとした黒い目がとても愛くるしいぬいぐるみだ。
かつてルーカスが妹の誕生日にプレゼントした品である。
因みにシェリルにも同様のぬいぐるみを贈っており、そちらは右耳に赤とピンクのリボンが巻かれている。
手入れが行き届き綺麗な状態で、いまも大切にしてくれているのかと懐かしさを感じながら腕に抱えた。
目覚める様子がなくため息をこぼすシェリルに代わり、ルーカスはベッドの横に少し屈むとシャノンを覗き込んで声を掛ける。
「シャノン、シャノン」
「んん……あと、ごふん……」
「ほら、朝だぞ」
「……うー……うーちゃん?」
目頭を擦り気怠そうに、シャノンの瞼がゆるゆると開く。
すると、ルーカスの抱えたうさぎのぬいぐるみが視界の端に映ったのだろう。
シャノンはぬいぐるみの名前を呟いて開ききらない瞼のまま、うつらうつらとした状態で起き上がる。
そして——突如ルーカスに抱きついた。
「お、お姉様!」
「うーちゃん……」
完全に寝惚けている。
ルーカスをぬいぐると勘違いして抱きしめ、頬擦りしてきた。
「……まったく、俺はぬいぐるみじゃないぞ」
ルーカスはぬいぐるみをベッドへ置くと、抱きついてきたシャノンの背と足に手を回し勢いよく抱き上げた。
シャノンは体が宙に浮き、体勢が変わった事に驚いたのだろう。
パチッと目を開けた。
「きゃ! な、なに?! うーちゃん?!」
「うーちゃんはシャノンを抱き抱えられないと思うぞ?」
口角を上げ、ルーカスは悪戯に微笑む。
シャノンは二度、三度、瞬きした後、目を見開いてまじまじとうーちゃん——否、ルーカスの顔を凝視した。
「え! うそっ、お、お兄様!?」
「おはよう、寝ぼけ姫」
「———!!!?」
シャノンは一気に顔を赤くして、声にならない悲鳴を上げていた。
いつも寝る時にぬいぐるみを抱き枕にしていた記憶があるので、間違えたのだろう、とルーカスは察した。
「うう……あり得ない……! お兄様にこんな……恥ずかしすぎる」
真っ赤になった顔を、シャノンは必死に両手で隠していた。
ぷしゅーと言う効果音が聞こえてきそうだ。
そんな様子が可愛いらしくも可笑しくて。
「くっくく……ははは!」
堪え切れず、吹き出して笑ってしまった。
横でやりとりを見ていたシェリルも、肩を震わせ笑いを堪えている。
が、そう長くは持たないだろう。
後にこの出来事は『うーちゃん事件』として語り継がれる事になるのだが、それはまた別のお話。
——と、そんなやり取りがあり、何とか目を覚ましたシャノンはカトレアに身支度を手伝いてもらい現在に至るのだ。
「一生の不覚だわ……」
「これに懲りたならちゃんと起きてね、お姉様。起こす方も大変なんだから」
「……ベッドが心地良すぎるのがいけないのよ」
「なるほど、ベッドのせいと。ならいっそ寝心地の悪い粗野な物に替えるか、地べたで寝るのはどうかしら?」
「シェリルの意地悪!」
「起きないお姉様が悪いんです!」
喧嘩するほど仲が良いとはよく言ったものだ。
双子の姉妹は口喧嘩を繰り広げ、ルーカスはその様子を微笑ましく見つめていた。
そうこうしているうちに、出来上がった料理が運ばれて来る。
バゲットにバターロールとクロワッサン等の焼きたてのパン。
新鮮な野菜をふんだんに使った色取りの良いサラダ。
オレンジの色味がある黄色の、形の良いオムライス。
赤い野菜とベーコンを煮込んだミネストローネ。
焼いたベーコンやハム、バターでじっくり炒めた鶏肉。
その他、バターやジャムに蜂蜜、付け合わせの副菜やおかずが所狭しと食卓に並んだ。
「二人とも喧嘩はそこまで。冷めないうちに頂こう」
「はい」
「はーい」
三人は握った拳を胸に当て、目を閉じる。
「日々の恵みに感謝を」
ルーカスに続いてシャノンとシェリルも「感謝を」と言葉を続ける。
エターク王国やその他の地域でも幅広く使われている食事の際の挨拶だ。
その起源は恵みをもたらす世界樹と、創造の女神に捧げる祈りが由来であると言われている。
挨拶を終えると各々料理を手に取り、時折会話を交えながら、朝の食卓の時間は賑やかに進んで行った。
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