第三十話 イリアの目覚め
聖歴二十五年 パール月十五日。
エターク王国首都オレオール・グランベル公爵家邸宅。
空の異変、大地震、そして門の出現があった日から二日後の朝。
ルーカスはイリアが滞在する客室を訪れていた。
テラスへと続く大きな窓は換気のために僅かに開けられており、隙間から入りこんだ風が、刺繍の施されたレースカーテンを無音で揺らす。
天蓋の付いた大きなベッドの上には、眠るイリアの姿があった。
——彼女は、あの日から眠り続けていた。
原因は魔術を酷使した事によるマナ欠乏症だ。
昨日まで熱にうなされており、今朝になってようやく熱が引いた。
ルーカスはベッドの横で椅子に座り、眠るイリアを見つめる。
光に反射して輝く長い銀糸、閉じられた瞼には、髪と同じ銀色の長い睫毛が生えており、頬と唇は仄かに朱に色付いている。
規則正しい呼吸を繰り返して、イリアは穏やかな寝顔を見せていた。
(こうしていると、まるであの日に戻ったみたいだな)
魔熊討伐任務の折、イリアを保護し連れ帰って来た時を思い出す。
あの時もこうして、目覚めず眠り続ける姿を見ていた。
(君と、話したい事がある。
だから、早く目を覚ましてくれ——)
ルーカスは自分よりも小さなイリアの手をそっと握り、願いを込めて祈った。
空の異変、大地震、門の出現が重なった一連の騒動は、未曾有の大災害と呼ばれ、人々の記憶に色濃く刻まれた。
地震による被害も少なくはなかったが、魔獣による襲撃が事態をより深刻にさせた。
王都の北西と南東の城門付近に出現した門。
北西で生じた門による魔獣被害は、イリアの奮闘があり最小限に抑えられた。
門が発生した周囲の地形は、大規模殲滅魔と破壊の力の余波により若干の変化を見せてしまったが——致し方のない事だ。
南東の門に関しても、派遣された騎士団が応戦し、魔術師団がマナ機関を用いた門凍結術式で凍結処理に成功、後に駆け付けたルーカスが破壊して事態は収束した。
南東は初動が手薄であったために魔獣による被害が大きかった。
しかし、門の数で言えば北西の方が格段に多く、彼女が居なければ甚大な被害をもたらした事だろう。
王都内へ入り込んだ魔獣の討伐は、探知魔術を駆使して迅速かつ確実に実行された。
(だがそれでも、今回の災害では数多くの死傷者が出た)
今もなお、王都では救助活動続けらている。
復興に取り掛かるには暫くの時間を要するだろう。
首都オレオールだけでなく、王国内の各地で地震による被害と、軽微ながら魔獣の出現が確認されており、被害の報告が上がって来ている。
そして驚くべき事に、この異変は王国だけに留まらず、世界各地で起きていた。
門の出現が確認されたのはエターク王国と、ナビア連合王国のみだが、世界を鳴動させた大地震は各国に大きな爪痕を残し、地震に呼応するかの様に魔獣が出現したという。
(単なる偶然の一致では済まされない話だ)
地震の前に空が赤黒く変色した事も何らかの関係があると考えられ、未曾有の大災害を引き起こした原因の究明に向けて、各国は協力態勢を構築する事となった。
「一体、何が起こっているんだろうな」
ルーカスは眠るイリアに語りかけた。
当然、返事が返って来る事はないのだが、話しかける事で目を覚ますのではないかという期待も少しある。
眠る彼女を見守りながら傍で佇んで、ゆっくりと過ぎ行く手持無沙汰な時間をルーカスは過ごした。
それと言うのも〝破壊の力〟の第二限定解除を行い、その後立て続けに第一限定解除を行って力を使用したため、身体への負担を憂慮されて強制的な休暇を言い渡されたのだ。
皆が対応に追われる中、自分だけ休む訳にはいかないと抗議の声を上げたのだが——。
『皇太子命令だ。休むのも仕事の内だよ?』
と、何度目かわからない皇太子命令が下され、聞き入れてはもらえなかった。
普段はこちらを振り回す癖に、時折こういった気遣いをあの従兄妹は見せる。
自分は対策会議だ何だと休めない状況だというのに。
「全く……困ったものだな」
強制命令を下したゼノンに感謝しつつ、ルーカスは眉尻を下げた。
不意に開いた窓から颯颯と強い風が吹き込んだ。
レースカーテンが揺れて大きく舞い上がる。
その様子を見て、窓を開けたままにしておくのもよくないかと思い、ルーカスは座り込んだ椅子から立ち上がった。
移動する前に、イリアへ視線を落とす。
すると——。
眠るイリアの、伏せられた瞼がピクリと動いた。
ルーカスは僅かな動きを見逃さなかった。
そのまま彼女を眺めていると、緩々と瞼が開かれていく。
合間から柔らかな青色が姿を覗かせ、開き切ると勿忘草色をした瞳の輪郭が露わになった。
彼女の瞳は天を仰ぎ、視線が彷徨っている。
ここが何処であるのか、確認しているのだろう。
「……イリア」
ルーカスは彼女の名を呼んだ。
声に誘われて、視線がルーカスへ向けられる。
数度、瞬きを繰り返した勿忘草色の瞳の中には、ルーカスの姿が映り込んでいた。
イリアはゆったりと優しい笑顔を浮かべて。
「おはよう、ルーカス」
と、言葉を紡いだ。
柔らかで透き通る、心地の良い高音域だ。
イリアが目覚めた。
その事に感謝と嬉しさを噛み締めて、ルーカスも紡ぐ。
「おはよう、イリア」
敬称を付けず自分の名を呼んだ彼女に、目覚めの言葉を。
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