第二十三話 揺れる大地と割れる枷
空が陽炎のようにゆらめき、瞬きをした一瞬の内に赤黒く変色していた。
信じられない光景を目の当たりにして、イリアは言葉を失ってしまう。
「何なの……？」
「空が、こんなことって……」
「何だか、不気味です」
異変に気付いた双子の姉妹とリシアが空を見上げて動揺した。
徐々に街の人も空の様子に気付き、ざわめきで周囲が騒がしくなる。
そんな中——。
————。
イリアは声を聞いた。
いや、本当は声とも違う、何かの音。
————。
それは大地の悲鳴。
理由はわからない。
だが、イリアにはそう思えた。
そして音に気を取られていると——。
ドンッ！！
と、別の大きな音と共に、大地が震動した。
イリアは立ち上がり、他の三人も同様に椅子から飛び上がった。
辺りからは「地震！？」と叫ぶ声と、鈴を乱暴に鳴らしたような高音、腹の底から発声したような低音域といった、人々の悲鳴が発せられている。
「ゴゴゴゴ」と、重く底から響く地鳴りと共に、揺れはどんどん強くなっていく。
上へ下へと激しく地面が波打ち、立っている事が出来ない程に。
そのうちに何かが落ちる音、割れる音、泣き叫ぶ声が響いて——ズキンと頭が痛んだ。
（こんな時に——！）
喉元まで出かかって何か思い出せそうな感覚が駆け巡り、痛む頭と体を揺さぶる振動に耐え切れず、イリアはその場に崩れ落ちた。
「イリアさん、大丈夫！？」
シャノンの声がして、背中に温かな手の感触が感じられた。
その後に『マナの光よ——』と、リシアが詠唱している声が耳に入って来て、淡いマナの輝きが舞って、辺りを包み込んだ。
「みなさんこちらへ！」
周囲にいた人を呼ぶシェリルの声がする。
頭痛も、大地の揺れも収まるどころかどんどん強くなって行く。
イリアは両手で頭を抱え、動く事が出来なかった。
（痛い……気持ち悪い……っ）
大地の震動と周囲の様々な音が入り混じって、吐き気を覚える。
『姉さん』
声が、聞こえた。
自分をそう呼んだ、自分と同じ色を持った彼の声。
寂しさを滲ませた青い瞳、悲し気に笑って見せた顔。
彼のそんな姿が思い浮かんだ——瞬間。
パリン！と、頭の中で何かが弾けて割れる音が響く。
喉元に痞えていた何かが堰を切ったように流れ込んで、単語が次々に浮かんだ。
術式、マナ——。
魔獣、ゆりかご——。
盾、枢機卿、女神の使徒——ノエル。
——ルーカス。
どれも断片的な記憶だが映像が流れ込んでくる。
情報の洪水に処理が追い付かず、また頭が割れそうに痛んだ。
「う……ッ」
「大丈夫ですか？」
「顔色が真っ青だわ」
シャノンとシェリルの心配そうな声と、背中をさする優しい手の感触を感じながら、イリアは少しずつ浮かんだ単語と記憶の情報を整理していく。
（術式……はわからない。
大きな何かの魔法陣が見えただけだ）
（マナは世界の中心の、あの大樹が生み出す神秘の源……。
源で……？）
（赤、緑、茶色、子供——。
盾は……私の、私が、助けた……？）
（魔獣——禍々しいオーラの……。
紅い眼、世界を蝕む……に侵された……）
（ゆりかごは、歌。
優しく微笑む……に「覚えていて」と託された、大切な）
（枢機卿は——。ああ、そうか、教団の。
私は……）
そこまで整理して、イリアは朧気ながら思い出した。
自分が何者であるのかを。
（私の名は——イリア。イリア・ラディウス。
アルカディア教団に属する、女神様の僕）
女神の使徒、太陽のレーシュ。
（それが使徒としての私の名前）
ノエル——教皇ノエルは弟だ。
（私に残された、たった一人の家族）
それから——。
（ルーカスさん……違う、ルーカスの事も）
彼と出会ったその瞬間と、共に過ごした日々を思い出した。
全てを思い出せたわけではないが、明瞭となった記憶に頭の中の霧が晴れて行くようだった。
鳴動した大地が静まり返って行く。
リシアの展開した結界魔術と思われる、マナの壁が消えて行き、周囲を見渡せば美しかった王都の街並みは様変わりしていた。
あらゆる物が散乱し、不格好に歪んだ建物や崩れた建物が見え、石材などで整えられた路面もところどころ割れてしまっている。
辺りの人々は皆、恐怖に震えていた。
泣き叫ぶ子供の声、女神様に祈る声。
中には落下した物や崩れた建物に巻き込まれてしまった人の姿も——。
目も当てらない惨状が広がっていた。
シャノン、シェリル、リシアを見れば声を失ってその光景を眺めている。
人々が地震のもたらした現状に打ちひしがれている中、イリアは感じた。
世界の軋む音、歪みが生じる感覚を。
刻まれた聖痕が熱を持ち、宿る神秘が告げる。
まるで女神様が囁きかけているかのように。
「何かが来る」と伝えている。
イリアはまだ痛む頭の痛みに耐えて、立ち上がった。
シャノンとシェリルが「大丈夫なの（ですか）？」と眉根を下げ、こちらを気遣っている。
けれど、痛みに、惨状に嘆いてる暇はない。
もう一つの脅威がすぐ側まで迫っているのだから。
イリアは護身用に帯剣した腰の剣を引き抜くと、王都の外へと繋がり高く聳える堅牢な城門へと切っ先を向けた。
「シャノちゃん、シェリちゃん、構えて。来るよ」
二人が唖然とした表情で「え？」と声を揃えてもらすが、詳しく説明している暇はなかった。
城門をきつく睨むと、門前の人々が慌てふためいている。
——鐘の音が響き渡った。
一度鐘が鳴ったあとに五度続けての連打。
伝播するように、あちこちから鐘の音が響く。
「魔獣だああ！」
「逃げろー！！」
城門の方から叫び声と、甲高い悲鳴が聞こえ、人々が一斉に逃げ惑った。
禍々しいオーラを纏った多数の黒い影が、門の外から中へ勢いよく飛び込んで来る。
恐怖に震え逃げる背中へ食らいつき、引き裂き、血飛沫をまき散らして。
脅威は、新たな惨劇と共にやって来た。
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