第十九話 記憶にない愚行
次にルーカスが目を開けた時、眼前に広がったのは見慣れた天蓋だった。
さらりとした布の感触、体が横たわっているのは反発性のある——ベッドの上だとわかった。
ずきんと頭痛がして、手で頭を押さえる。
酒場で団員達と酒の席を囲んでいたはずなのだが、途中で抗えない眠気に瞼を閉じてしまい——、その後に何があったか、思い出せなかった。
この感覚は覚えがある。
(……だからエールは吞まないでいたのに)
ハーシェルの笑顔に隠された悪戯心には気付いていた。
だと言うのに、酒の味がしなかったばっかりに「油断した」とルーカスは自らの浅はかさを悔いた。
(十中八九、原因は酒だ)
ダメなのだ、酒は。
料理の香り付けや隠し味程度なら大丈夫なのだが——情けない事に、摂取すると発熱し、猛烈な眠気に襲われる。
人によっては酒で理性を失う者もいるようだが、幸いと言えばいいのかそう言った事はなく。
ただ眠ってしまうだけなのだが、厄介な事この上ない。
ルーカスはため息をこぼして、横たわる体を起こした。
ベッドから見える窓の空には薄い桃色、紫色にも見える朝焼けの色が広がっていた。
もうすぐ夜明け、今日も職務がある。
(まずは帰宅してそのままの、この状態をどうにかしないとな……)
ルーカスは色んな意味で痛む頭を抱えながら、湯浴みや着替えなど、出勤のための準備を進めるのだった。
そうして身支度を終え、朝食を摂るために食堂へと足を運んだルーカスはその扉前の廊下でイリア、シェリル、リシアとばったり顔を合わせた。
三人ともきっちり身なりが整っている。
イリアは銀の髪を三つ編みアレンジで右側に纏め、羽織って白のショールの合間から水色のワンピースが覗いていた。
シェリルはふわふわのウェーブがかった長い桃色の髪を、珍しくアップスタイルにしており、几帳面な彼女らしく皺のない軍服を着ている。
リシアもいつもの服装、純白の祭服を着こなしており、時たま頭頂部で跳ねている事のある、亜麻色のショートヘアは寝ぐせもなくまとまりを見せていた。
——シャノンの姿は見えず、きっとまだ寝ているのだろうなと思った。
「おはよう、三人とも」
「おはようございます、お兄様」
「団長さん、おはようございます!」
シェリルとリシアから元気な挨拶が返ってきた。
イリアからは返事がなく、疑問に思って視線を送ると心なしか疲れた様子だ。
目の下にはうっすらと隈があり、一瞬目が合ったのだが——何故か勿忘草色の瞳はパッと逸らされてしまった。
俯いて顔を真っ赤に染めて「あ、の、その、」と口籠っている。
(具合でも悪いのか?)
「イリア? 何か——」
「わ、わたし! 忘れ物をしたので取ってきます!」
「あ、イリアさん!」
声を掛けようとしたら、勢いよく来た道を振り返って走り去ってしまった。
その後をあわあわとリシアが追いかけて行く。
(あんなに慌てて、どうしたんだ?)
わけがわからず、ルーカスは目を丸くした。
「よっぽど大事な物を忘れて来たのか……?」
その場に残ったシェリルへ顔を傾け問い掛けると、困惑した表情を浮かべていた。
「あの、お兄様……覚えていらっしゃらないのですか?」
「え?」
「その様子だと本当に覚えていらっしゃらないのですね……」
いつになく呆れた表情で、シェリルはため息をこぼし瞼を閉じた。
そうして瞼を開くとこちらを見上げ、大きなくりっとした紅の瞳に憐憫の色を滲ませて「ご説明いたします」と言葉を紡いだ。
「お兄様、昨晩誤って飲酒なさったでしょう? それで眠ってしまわれたみたいで、ロベルトさんが邸宅へ送って下さったんです」
ハーシェルが果実水と偽った飲み物のせいだ。
瞼を閉じてしまった後は記憶がなく、邸宅までどうやって帰ったのかと疑問に思っていたが、ロベルトが送ってくれたらしい。
ルーカスは首を縦に振って相槌を打った。
「帰宅したところに私達も居合わせたのですが——……目を覚ましたお兄様が、イリアさんを見るなりとてもいい笑顔を浮かべて、その……」
目を覚ました覚えは——記憶にない。
上目使いにチラリとこちらを窺い、言い淀むシェリルに嫌な予感しかしない。
冷汗が頬を伝い、ごくりと息を飲んで紡がれる言葉を待った。
薄桃に色付いた唇が、ゆっくりと言の葉を作って行く——。
「……可愛いって仰りながら、抱きしめたんです。イリアさんを」
うっすらと頬を染めて、シェリルはとんでもない事を口走った。
——理解が追い付かない。
聞き間違えではないだろうかと耳を疑った。
「シェリル、もう一度聞いていいか? ……誰が? 俺が? 何をしたって?」
「はい。お兄様が、イリアさんを抱きしめました」
シェリルはハッキリと言い切った。
「イリアを抱きしめた」と。
嘘偽りのない、真っ直ぐな瞳が向けられており、頭を鈍器で殴られたような気分だ。
(……ない。
全く以て身に覚えがない)
意識が途切れる直前にイリアの事を考えていた覚えはある。
教皇ノエルとのこともあり、彼女が心配で気掛かりで、だがそれだけ——いや、ハーシェルの言葉に同意して、可愛いと思った記憶もある。
(イリアを、俺が……?
——抱きしめた?)
記憶にない情景を想像して——全身の熱が駆け巡り、急激に頬に集まるのを感じた。
ルーカスは咄嗟に右手で顔を覆い隠した。
彼女のあの態度は——己の愚行が招いた結果だった。
酒の熱に浮かされて仕出かした想定外の出来事。
自覚のあるなしに関わらず、イリアに対して不実な振る舞いをしてしまった事に、ルーカスは深い自責の念を抱かずにはいられなかった。
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