第十三話 早朝の密談
イリアと夜の祭典に出掛けた翌日の早朝。
東の空が白み始めた頃、ルーカスは教皇ノエルが滞在する貴賓室へ向かっていた。
「話がある」と、内密に呼び出しがあったのだ。
訪れた王城の貴賓室の一室、部屋の前に二人の人影が見えた。
一人は鍛え抜かれた肉体の上に白銀の鎧を纏い、白銀の剣を携えた壮年の男性。
瑠璃色の瞳に短髪金髪でオールバックの髪型、顎に髭を生やしたその人物は聖騎士団長アイゼンだ。
そしてもう一人は白の聖外套と仮面を付けた——女神の使徒。
フードは被っておらず、蜂蜜のように艶のある金髪が後頭部の高い位置で結いまとめられ、腰まで垂れている。
聖外套の下からはアイゼンと同じく白銀の鎧が顔を覗かせ、胸部は女性特有の膨らみがあった。
腰には白銀の剣を帯剣している。
ルーカスはこの使徒が誰であるのか知っていた。
（彼女は【正義】の神秘を宿す女神の使徒。
アイゼン聖騎士長の副官、聖騎士としても知られるラメドだな）
ルーカスは二人の方へと足を進める。
すると、接近に気付いたラメドが部屋の扉を静かに叩いた。
ほどなくして、中からノック音が返ってくる。
ラメドに「お入りください」と促され、ルーカスは緊張して僅かに汗ばむ手を扉の取っ手へ掛けた。
（鬼が出るか、蛇が出るか。
教皇ノエルと対面だ）
息を呑み、背に二人の視線を感じながら扉を開き——入室する。
部屋は、皇太子であるゼノンの部屋と比べても見劣りしない広さと内装、そして金あるいはそれに代わる、上品で絢爛な家具や調度品が取り揃えられていた。
教皇ノエルは——部屋のちょうど真ん中付近に置かれた、ローテーブルへ面した純白のソファに座していた。
その後ろに白の聖外套にフードと仮面を付けた四人の使徒を従えている。
彼らの容姿は伺えないが、背格好はよく見て取れた。
ルーカスは一通り眺めて、中央に座す教皇ノエルへと目線を向けた。
彼は——銀の髪、青い瞳……彼女と同じ色を持った美しい青年だ。
まるで極寒の氷河を思わせる冷たさを帯びた彼の瞳が、こちらへ向いていた。
「呼び出して悪いね。よく来てくれた」
歓迎しているとは言い難い、抑揚のない声で告げられる。
昨日の式典で見せた穏やかな雰囲気から一変して、足を組んで手を組み合わせ、冷たく高圧的な態度だ。
気を抜けば気圧されてしまいそうな威圧感を感じた。
「まずは楽にして座りなよ」と反対側のソファを示され、言葉に従って腰を落ち着かせる。
——そして、ルーカスは早々に話題を切り出す事にした。
「ご用件はなんでしょうか」
「わかっているだろう？ 彼女の事だよ」
相手も直球だ。
ルーカスは昨晩の出来事、帰り際、急に走り出したイリアの姿を思い返した。
イリアとはぐれてしまったルーカスは必死に彼女の姿を探した。
そうして見つけた先で、彼女は今目の前にいる教皇ノエルと共にいた。
——イリアは言った。
自分を抱きしめ去って行った彼が、自分を姉さんと呼んだのだと。
銀の髪、青の瞳。
二人は同じ色を持っている。
どこにでもある、ありふれた色。
その根源は、世界を創った〝女神の特徴〟だ。
女神は自分に似せて人を創造したと言われており、名残でこの色を持つ人が多いのだとか。
なので珍しくもない組合せだが——二人の容姿は確かに、顔の造形や目元など節々で似通っていた。
（まさかイリアと教皇聖下が……）
彼の姿形を確認しながら、動揺を悟られないよう拳を握る。
しかし彼は目敏く、わずかな動作も見逃してくれなかった。
「その様子だと、察しているようだね」
ノエルが薄ら笑いを浮かべ「ベート」と、使徒の名を呼んだ。
何をするつもりかと一瞬身構えるが——ベートと呼ばれた杖を持った使徒は、床に直立させたその杖を、握り拳程度の高さに浮かせて「カンッ」と地に打ち付けた。
瞬間、波打つような感覚が走り抜ける。
——害は感じない。
（盗聴防止の魔術か）
密談などで良く使われる一般的な魔術だ。
それを使ったという事は、第三者に聞かれたくない話なのだろう。
魔術の発動を確認したノエルの唇が言葉を紡ぐ。
「君も察しているだろうが、彼女は僕の、血を分けた実の姉だよ」
教皇ノエルはハッキリと言い切った。
自分達は姉弟であると。
昨晩彼女から聞いた時も驚いたが、思いもよらぬ事実だ。
過去、彼女からもルキウス聖下からも、聞いた事がない話だった。
（それが本当だとして、なら何故、彼女は——）
続く言葉を声に出す。
「何故、彼女はあんな仕打ちを受けねばならなかったのですか」
「あんな、とは？」
探る様な視線が送られる。
「どこまで知っているのか？」と、そういう事なのだろう。
「怪我を負って、その上、記憶を呪詛で封じられています。何故そのような事に？」
呪詛で苦しむ彼女の姿が思い起こされる。
頭を抱えて、痛みに涙を流し——気を失った。
（尋常ではない苦しみ方だった）
その上、呪詛は解呪が困難で命の危険までもあると言う強力なものである。
（彼女が教皇ノエルの姉であると言うなら、何故？
いや、そうであったがために起きた事なのかもしれない。
けれど——）
彼女は使徒だ。
常人ならざる力、神秘を宿した女神の使徒。
「彼女を害せる者など、早々いない。そうだろう？」
彼女をどうにか出来る者がいるとするなら、それは神秘を持った、彼女と同じ女神の使徒しか考えられない。
ルーカスは立ち並ぶ使徒を睨みつけた。
正確には使徒の一人、ベートと呼ばれた使徒の右隣の彼女を、だ。
「大体その偽物はなんだ？
イリアが宿す神秘は——【太陽】。だと言うのに、太陽を語るその偽物はなんだ？ 他の人間は騙せても、俺の目は誤魔化せないぞ」
【太陽】のレーシュ。
それがイリアの使徒としての呼び名だ。
またの名を——旋律の戦姫。
歌で希望を運び、戦場を駆ける者。
彼女は認識阻害の魔術が施された仮面を付け、素性を隠して行動していたため容姿を知る者は少ないが、その二つ名はあまりに有名だ。
（戦場へ立つ者なら、その名を知らない者はいない）
今回教皇に同行した女神の使徒の中に、彼女を語る偽物が居た。
同じ神秘が同時に複数人へ宿る事はない。
神秘を宿した者が死ぬか、もしくは稀に起こり得る〝より相応しい者への転移〟で失われない限り、同じ神秘を宿した者が二人同時に現れる事は——絶対にない。
（ご丁寧に身代わりまで立てて、隠蔽を図る周到さ。……そうまでする意図は何だ？）
感情的になり、つい敬語を忘れてしまっていた事に気付き、一旦気持ちを落ち着かせるため新鮮な空気を吸い込んで、吐いた。
一呼吸おいて、ルーカスは疑問を投げ掛ける。
「……教皇聖下。貴方は何を考えているのですか？」
考えても、情報を探ってもわからないのだ。
ならばせっかく設けられたこの場で、聞かない手はない。
それに答えが返って来るかは別としてだ。
ノエルは「何を……ね」と呟き、冷たく見下ろす青い瞳が瞼で伏せられた。
しばしの沈黙が流れる。
そうして次に瞼が開かれた時、その青の瞳に氷のような冷たさはなかった。
「僕が願うのは姉さんの幸せ。ただそれだけだよ」
ノエルは微笑んでいた。
万人が連想する教皇聖下そのもの——他者を慈しみ愛する、慈愛に満ちた表情で。
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