『幕間 不穏の影④』
五年に一度の祭事、聖地巡礼の通過点として巡礼団が初めに訪れたのはエターク王国だ。
今宵、首都である城郭都市オレオールの王城、大広間では教皇の訪問を歓迎して晩餐会が開かれている。
街も城も、夜だと言うのに光に溢れ、目が眩みそうだ。
ノエルはそんな光から遠ざかるように、与えられた貴賓室へと戻って来ていた。
豪華絢爛な内装に調度品が取り揃えられており、家具までも煌びやかで贅が尽くされた一室。
主が不在だったために照明の灯らないそこは真っ暗闇だった。
どさり。と音を立てて、柔らかなソファへ腰を落とした。
抜け殻のように体を全部預けて深く沈むと、久しぶりに会った彼女——姉さんの様子に思いを馳せた。
(……楽しそうだった)
破壊の騎士、ルーカス・フォン・グランベル——黒髪で長い後ろ髪を一つにまとめ、エターク王族特有の紅眼に左の目尻には泣き黒子が二つある、眉目秀麗な男。
破壊の力をその身に宿した〝救国の英雄〟と名高い騎士だ。
姉さんは彼と仲睦まじく手を繋いで露店を回り、しまいにはプレゼントを買ってもらっていた。
(嬉しそうだった。幸せそうに見えた)
女神の使徒として教団に居た頃には見た事のない表情、笑顔ばかりだった。
(連れ帰るつもりで来たのに……出来なかった)
幸せそうに笑う姉さんを、あんな地獄みたいなところへ連れて帰る気が起きなかった。
不在がばれないよう、彼女に代打を頼み、晩餐会を抜け出して行ったって言うのに、骨折り損だ。
「滑稽だな」と、ノエルはから笑いを浮かべた。
「あれ? 戻ってたんですか?」
予告なく、暗闇から鈴のような声が聞こえた。
——彼女だ。
晩餐会はまだ続いていると言うのに、何故ここへ来たのだろうか。
「……頼んだことは?」
「ちょこっと抜け出して来ただけですよ~。と言うか、戻られたのならノエル様が自分で行けばいいじゃないですか」
「そんな気分じゃない」
「わがままだなぁ」
彼女から可愛らしく抗議の声が上がるが、今は外向きの教皇の仮面を被り、慈愛に満ちた純真無垢な〝僕〟を演じる自信がなかった。
コツコツと足音を鳴らして、暗闇から彼女が姿を現わす。
聖外套を羽織っているが、フードと仮面は外していた。
その容姿は——長い銀髪に勿忘草色の瞳。
姉さんの姿を模した彼女がそこに居た。
「失敗しちゃったんですね」
事実だ。言い返す気力もない。
「可哀そうなノエル様」
そう言う割には楽しそうな声色だ。
ゆったりとした動きで、彼女がこちらへやって来る。
そして覆いかぶさるように上からこちらを覗き込んで、ソファの背もたれに手を添えると、流れ落ちる髪を耳に掛けた。
見上げれば赤く色付いた唇に孤を描き、艶やかに笑う彼女が居る。
「慰めてあげましょうか?」
姉さんに似せた声で甘ったるく呟き、顔が近付いて来る。
(言い知れぬ寂しさを埋めるには、ちょうどいいか……)
一瞬そんな思いが過ったが、唇が触れる瞬間、零れ落ちた銀色にハッとして——ノエルは彼女を押し退け立ち上がった。
姉さんの姿でそんな事、悪趣味にも程がある。
「ふざけてないで戻って役目を果たせ」
「つれないなぁ」
彼女は残念そうに溢しながら、パチンと得意の指鳴りをしてみせた。
闇に包まれて、彼女の姿が変化して——次に闇が晴れた時には、ノエルの姿を写した彼女が立っていた。
「頑張ったらご褒美くらいくださいね♪」
そう言って彼女は闇に紛れて行った。
「僕の顔でそのノリはやめてくれ」と思うが、彼女は立ち去った後だ。
訪れた静寂に、ノエルはため息を漏らした。
(……なんだか色々と疲れた)
やらなければいけない事は多いけれど、今日は休もう、そう思った。
ふと、窓の外の明かりが目に付く。
キラキラと輝く色はまるで宝石だ。
(宝石……僕の宝石)
彼女は世界でただ一人の、ノエルに残された宝物。
——家族。
(姉さんを守るためなら、僕は修羅、悪鬼にだってなれる)
これから為す事は、歩むこの道は、姉さんを守る為に。
自分の全ては、愛する姉さんの為に在るのだ——と想いを胸に、ノエルは瞼を閉じた。
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