第十一話 私を呼ぶ声
その日はとても楽しい一日だった。
聖地巡礼に併せて開催された祝賀行進は見られなかったけど、代わりに邸宅でリシアちゃんの生誕祭をした。
みんなで料理とケーキを作って——私は手伝えなかったけど——食べて、食後には紅茶を淹れて談笑した。
夜までこんな調子で過ごすんだろうなと思ってた時、ルーカスさんが突然帰宅した。
話を聞くと、皇太子命令で私と夜の祭典に行くよう言われたらしくて、二人で夜の街へ出かける事になった。
夜の街はこの前昼間に見た時と違った雰囲気があって、綺麗だった。
襲撃があった場所もすっかり元通りになっていて安心した。
——ルーカスさんと過ごす時間は楽しい。
この前ゆっくり見られなかった装飾品の露店では、思いがけず腕輪をプレゼントしてもらった。
紅い柘榴石の金の腕輪。
紅は——ルーカスさんの瞳の色。
腕輪を選んだのは、彼がいつも左腕に腕輪をつけているから。
自然と手が伸びていた。
(……宝物にしよう)
柘榴石の輝きを見ながら思った。
頬を緩ませた彼の姿に胸が高鳴る。
ルーカスさんといると恥ずかしくてくすぐったくて。
でも胸がじんわりと温かくなって……。
ずっとこんな楽しい時が続けばいいなって。
そんな風に想いながら、過ごした。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
夜も更けてきて「そろそろ帰ろうか」というルーカスの提案に、イリアは頷いた。
馬車の待ち合わせ場所まで、手を繋いで人込みの中を歩いていく。
「——……さ——」
どこからか微かに聞こえる声が、イリアの耳に届く。
「————ん」
よく聞き取れないけれど、誰かを——自分を呼ぶ声が、聞こえた気がした。
「……僕を置いて行くの?」
悲し気な声が響く——。
(置いて行く? 誰が? 私が?)
「——行かないで……」
消え入りそうな、切実な声だった。
気付けばイリアは立ち止っていた。
(私を呼ぶのは誰?)
後ろを振り返って見る。
そこには——人込みの中、やけに目立つ白いローブに、フードを被った人の姿があった。
背の高さはルーカスと変わらないくらいの、青年に見える。
青い瞳が悲し気にこちらを見ていた。
そして、青年の唇がある言葉を形作る。
「————」
音は聞こえない。
遠すぎて何を形作っているのかわからない。
でも、言葉を紡ぐ唇からイリアは目が離せなかった。
青年が踵を返し遠ざかって——消えて行く。
(……追いかけないと)
どうしてかはわからない。
けれど、どうしようもない衝動に駆られて、イリアは駆け出した。
背後から先ほどまで手を握っていた彼が「イリア!」と、名を呼んでいたが、気に留める余裕がなかった。
「待って!」
走っても追いつけず、青年の姿は人ごみに紛れた。
イリアは我武者羅に走り続けた。
自分が何処を走っているのかなんてわからない。
走って、走って、走って。
息が苦しくなって。
必死になる理由もわからずに、足を動かし続けた。
——そうして走り続けた先、噴水のある広場に出ていた。
「————」
雑踏に人が賑わうそこで、また呼ばれた気がした。
上がった息を整えながら、せわしなく左右に目線を動かして探す。
追ってきた色、白いローブを探して視線を彷徨わせていると——「にゃーん」と愛らしい鳴き声が、イリアの耳に届いた。
導かれるように鳴き声を追うと、着座用の石垣に白いローブが見えた。
目にした途端、周りの音が消えていき静寂に包まれるような感覚へと陥る。
鳴き声の主は、石垣の上に座る青年と思われる人物の膝の上。
白毛の耳が尖って尻尾の長い愛玩動物として知られる——可愛らしい猫がいた。
青年は自分の膝に落ち着く猫の頭を、優しい手つきで撫でている。
見つめていると白いローブが僅かに動いて、彼の瞳がこちらを捉えた。
(私と同じ青い瞳——)
吸い込まれるように足が動いて、いつの間にか彼の前に立っていた。
「私を呼んだのは……貴方?」
「……そうだよ。こんばんは、————」
音が聞こえた瞬間、頭痛がして、片手で頭を押さえる。
ノイズがかかったように、彼が呼ぶ自分の名前が理解出来ない。
唇の動きも、目を瞑ってしまったため読み取れなかった。
「座って。話をしよう」
自分の隣を勧める青年の言葉に、イリアは従った。
間を開けて座り、身元のわからぬ彼の一挙一動を注意深く観察する。
「そう警戒しないで欲しいな。僕はあの子みたいに強引な手は使わないよ」
「あの子って……?」
「黒いローブの女の子」
猫を撫でながら、何でもないように言った彼に、イリアは目を見開く。
立ち上がって青年に対する警戒を露わにした。
「貴方は誰!? あの子と同じで、私を連れ去りに来たの!?」
先日あんな事があって、同じような事が起きるかもしれないから、とみんなが気を付けてくれていたのに、どうしてこんな迂闊な行動をとってしまったのだろう——と、ルーカスの手を放して一人ここへ来てしまった事に、イリアは後悔と罪悪感を抱いた。
青年は——青の瞳を伏せて、「ごめんね」と儚げに呟いた。
月明かりが、悲しげに微笑む彼の姿を照らす。
(前にも同じような事が、あった気がする)
イリアは言い知れぬ既視感を覚えて、ズキンと、胸が痛んだ。
(私は——知ってる?
この光景を、彼を……?)
体の力が抜けて、力なく石垣の上に腰が落ちた。
「にゃあ」と甘えた鳴き声が聞こえる。
彼は膝の上にある、白毛のそれを優しく撫で続けていた。
「ねぇ。————は、いま幸せ?」
彼は自分を何と呼んでいるのか。
見えない。ノイズで聞こえない。
「どうしてそんな事を聞くの?」
訳が分からない。
ズキンズキンと頭が痛んで来る。
「彼といる姿が……楽しそうに見えたからだよ」
(彼——?)
みじろいで、チャリ……と聞こえた金属音に目を落とした。
つい先ほど買ってもらった、左手首に掛かる腕輪だ。
腕輪を見て、何とも言えない表情を見せた青年に、彼とはルーカスのことだとイリアは気付いた。
(幸せ? 楽しそう?)
記憶がなくて不安がないと言えば嘘だけど——確かに、そうかもしれない。
(ルーカスさんや、出会ったみんなと過ごす時間は、とても温かだから……)
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