第二十四話 雷鳴を轟かせる旋律
イリアは謳う。
〝歌〟こそが、自分の力である事を思い出して、守るべきものを護り、立ち塞がる敵を撃ち祓うために。
『そして神なる稲妻が裁きを下すだろう』
ドラゴンのブレスを防ぐ障壁を維持しながら、先の歌の続きを紡いでいく。
イリアの纏うマナが紫の色を帯び、パチパチと小さな放電音を放っていた。
『響け、雷鳴の賛歌』
灼熱の吐息が勢いを無くし、徐々に光が収束していく。
視界を遮る炎が晴れると——吐息を吐き終え、無防備なドラゴンの姿がそこにあった。
『恐れよ、聖なる鉄槌』
障壁を解き、ドラゴンへ向かって歩を進める。
すると、足元に何かが当たり金属のこすれる音がした。
視線を落とせば、銀色の剣があった。
シェリルが手放した、彼女の剣だ。
屈んで、剣の柄を掴めば、金属の冷たさと重みが手に伝わって来る。
扱い方は——心得がある。
『天より轟き、紫電の旋律となれ』
重量感のある剣を、軽やかな動作で持ち上げ、ドラゴンへ向かって掲げて見せた。
視線を少し上へ、黒いローブの少女へ向ければ、唇を薄く開き歯を噛んで、両手を合わせるのが見えた。
眉を吊り上げて桃色の瞳がこちらを鋭く見つめている。
イリアを取り囲む様に、魔狼と金獅子の幻影が現れるが——遅い。
紫のマナが満ち、雷鳴の賛歌が今こそ体現する。
『いざ翔よ、神聖なる雷光!』
天から轟音の鳴を響かせ、燦然と紫に明滅する雷電が落ちる。
灼熱を冠するドラゴンの躯体に、たてがみを擁する金の獅子に、駿足で駆ける灰毛の魔狼に、狙いを定め稲妻が落ちた。
灰毛の魔狼が一撃で霧散する。
一撃を耐えたドラゴンと金獅子には、追い打ちをかけるように幾重もの稲妻が落ちた。
それは幻影が霧と成り果てるまで止まらない。
「この……!」
少女が指を鳴らして、魔狼の幻影を幾つも生み出すが——。
『紫電よ』
歌声に応えて雷が落ち、幻影は消えた。
この歌声が続く限り、術は永続する。
そしてそれは意思一つで、手足のように操る事が出来た。
運よく逃れた一体が、こちらへと襲い掛かる。
牙を剥き出しに魔狼が至近距離へ迫って——イリアは掲げた剣を振り抜いた。
剣筋が一本の線を描き、幻影は霧と成り果てる。
そしてその頃には、雷に撃たれ続けた金獅子とドラゴンの幻影は跡形もなく消え去っていた。
少女の歯ぎしりする姿が見えた。
だが、何度幻影が向かって来ようと同じだ。
悉くを滅する力がこの手にはある。
シャノンとシェリルがくりっとした紅の瞳をさらに大きく見開き、立ち尽くしてこちらを見ていた。
とても驚いた様子だ。
イリアは彼女達の負傷が心配だった。
シャノンは左腕が動かない様子だし、シェリルは血を吐いていた。内臓が傷ついているのかもしれない。
早急に治療の必要がある。
だが、負傷の度合いによっては治療に繊細な作業が伴う。
治癒術は使えるが、あの少女を相手に、その余裕はない。
ならば——と、イリアは二人よりも後方で気を失い倒れているリシアを見つめ、囁くように呟いた。
『聖なる光、厄災を払え』
〝聖なる解呪〟——解呪の魔術を歌った。
リシアの倒れる地面に魔法陣が出現し、淡いマナがその身を包み、程なくして彼女は瞼を開ける。
「……あ、れ? わたし……」
微睡んだ漆黒の瞳が露わになる。
リシアはゆっくりと頭と体を起こすと、周囲に視線を向けていた。
「リシアちゃん、シャノちゃんとシェリちゃんの治療をお願い」
イリアは短く告げた。
リシアからは「え?!」と驚いた声がして、状況を飲み込めずおどおどしている。
(けれど、大丈夫)
彼女は治療術師で、その道のエキスパートだ。
以前、自分を助けてくれた実力は本物だ。
きっとすぐに状況を把握して治療に当たってくれる。
だからイリアは迷わず前を向く事が出来た。
黒いローブの少女は懲りず、指を鳴らしては魔獣の幻影を絶え間なく生み出していた。
イリアは対抗するかのように歌声を響かせる。
そうすれば雷光が発生し幻影を掻き消した。
稀に雷から逃れ、迫って来る敵があったとしても、毅然として剣を振るい錆とした。
そんな攻防がしばらく繰り広げられ、状況は膠着状態へと移行する。
「——ああっもう! めんどくさいなぁ!」
少女が金切り声をあげ、かなぐり捨てる様に言い放った。
相当苛立ちを募らせている様だ。
こちらとしてもそろそろ状況を覆したい。
次の手を——と考えたところで、少女はすっと両手を広げて見せた。
黒いローブが音を立て風にはためく。
「怪我させるなって言われたけど……ちょーっと痛い目にあってもらうよ?」
艶のある唇の口角が、艶やかに持ち上がる。
(……何をするつもり?)
大気のマナが震え、風がざわめき始めて、嫌な予感しかしなかった。
吹き付ける風にひりつくような痛みを感じながら、イリアは少女を見据え、次に起こるだろう行動へ備え身構えた。
背後にはシャノンとシェリル、そして二人を治療するリシアがいる。
それに周囲には未だ意識を失った人々が倒れている。
(私が守る。誰も傷つけさせない——!)
柄を握る手に自然と力が籠り、イリアは少女を睨んだ。
その時だった。
「——そこまでだ」
突如として四つの影が現れ、屋根に座する黒いローブの少女を取り囲んだ。
陽光を反射する銀色の剣先が四方から向けられ、少女は腕を広げた姿勢のままピタリと静止した。
剣を携えた彼らが身に纏う衣裳は、赤と黒を基調とした布地の服。
エターク王国軍で規定されている軍服だ。
遠目でわかり辛いが、短髪で金髪の青年と、短髪より少し長めの銀髪で眼鏡の青年が少女の左右から剣を向け、琥珀色の長い髪を一つに束ねた青年が少女の背後から、そして正面からはあの人が少女へ刀を突き付ける姿があった。
こちらからは後ろ姿しか見えないが、それが誰であるのかは一目瞭然だ。
肩下まで伸びた漆黒の後ろ髪を一つに束ね、エターク王国の国旗である獅子の描かれた赤のマントを羽織り、少女へと剣を向けるその青年は、つい数刻前に別れたばかりのあの人。
一瞬、顔が傾き、泣き黒子が二つある方の紅い瞳がこちらへ向けられた。
——彼だ。
間違えようがない。
「ルーカスさん……!」
「お兄様!」
イリアは彼の名を口にしていた。
同時にシャノンとシェリルの声も同調して響く。
彼が来てくれた。
その事実に嬉しさと安心感が胸を占めた。
『君を助け、君の力になる』
名を懸けて誓ったその言葉を違えず、彼は来た。
単純に王都で起きた騒動を鎮圧するために来たとも考えられる。
けれど、例えそうだったとしても。
彼が駆け付けてくれた事を嬉しく思う気持ちに嘘はない。
どんな形であれ、彼が来てくれたと言う事実がたまらなく嬉しかった。
剣を向けられた少女に動きはない。四方から抑えられては手が出ないのだろう。
(彼が来てくれたのなら、大丈夫)
その強さは伝え聞くだけだったが、不思議と信じる事ができた。
ぷつりと、イリアは自身の中で、張り詰めた緊張の糸が切れる音を聞いて、力が抜けた。
足がふらつき、バランスを保つことができない。
倒れそうになって、崩れて——その場に膝を付き、座り込んでしまった。
「大丈夫ですか!?」
双子の姉妹を治療しているリシアの焦った声が聞こえた。
シャノンとシェリルも「イリアさん!」と、名前を呼んでいる。
急に座り込んだから心配させてしまったのだろう。
イリアは振り返り、困ったように笑って見せた。
「大丈夫、ちょっと力が抜けちゃっただけ」
何だか格好がつかなくて、照れ隠しに頬を掻いて笑って見せた。
その様子にこちらの無事を確かめた三人は、ほっと安堵のため息をついていた。
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