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【過去編開幕】終焉の謳い手〜破壊の騎士と旋律の戦姫  作者: 柚月 ひなた
第一部 第一章 救国の英雄と記憶喪失の詠唱士

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第二話 魔獣の脅威

 暗闇の海に一筋の光が差した。



(——ひか、り……? 熱い……痛い……ここ、は……)


 

 柔らかな光に眩しさを感じ意識を浮上させる。

 すると——激しい痛み、焼け付く熱さが腹部にあった。


 ゆっくりと(まぶた)を開き、光を取り入れる。


 そうして視界がクリアになると焦点が合って、目の前には心配そうにこちらを(のぞ)き込む少女の顔があった。



「あ、お姉さん! 良かった……気がついたんですね!」



 見覚えのない少女だった。


 赤と金の装飾が(ほどこ)された純白の祭服に、黒瑪瑙(オニキス)の瞳、亜麻色(あまいろ)の髪の毛先が、ふわりと内側に入り込むショートヘアの少女だ。


 そして感じていた柔らかな光の正体は、木々の合間から(のぞく)く朝焼けと、少女が放つ治癒術の光だった。



「あな、たは……」

「あ、はい! 私はリシア、エターク王国騎士団所属の治癒術師(ヒーラー)です!」

(——エターク、王国)



 わからない。頭が、痛い。


 意識が朦朧(もうろう)として思考が働かず、記憶に(かすみ)が掛かったようだった。

 思い出そうと考えると、鈍い痛みが頭の奥に走る。


 腹部にも痛みを感じた。

 視線を落とせば裂けた青い布地に赤黒(あかぐろ)血糊(ちのり)が付着しており、治癒術で塞がりつつあるが傷口も見えた。



 何故、自分はここにいるのか。

 何故、怪我を負っているのか。

 何か、やるべき事があったはずなのに、それなのに何故——どうして?



 疑問が次々と浮かび上がる。

 けれども、考えよう思い出そうとする度に、頭痛と(かすみ)(はば)まれ頭が真っ白になってしまって。



(なにも、思い出せない)



 焦燥(しょうそう)感が募る。

 名前も歳も、それすらも思い出せず、無意識に拳を握り締めた。



「——さん、お姉さん! 傷は塞がったはずだけど、まだ痛みますか? 大丈夫ですか?!」



 リシアのあわあわと慌てる声に、ハッとして思考を中断し顔を上げた。


 頭の痛みにきっと苦悶(くもん)の表情を浮かべてしまったせいだろう。

 心配をさせてしまった様で、申し訳なさがこみ上げる。



「だい、じょうぶ、ありがとう……」

「ああ、良かった……!」



 口が乾いて呂律が上手く回らなかったが、何とかそう伝えると、リシアはまるで辺りに花が咲いたように破顔(はがん)して喜んだ。


 釣られてこちらまで笑みがあふれてしまいそうになる、そんな笑顔だ。


 ——だが、(なご)やかな空気は一瞬だった。


 近くから「グオオオオオォォ!!」とけたたましい雄叫びが聞こえた。

 かと思うと大地が振動し、大きな衝撃音と剣戟(けんげき)が響き渡る。


 何事か確認しようと痛みに(きし)む体を起こすと——するり、と朝露(あさつゆ)にきらめく様な、細く長い銀糸が肩から流れ落ちた。



(銀の糸……?)



 否、髪である。

 それが自分の物であると認識するのには数秒を(よう)した。


 そして(またた)きを一回して、辺りを見渡せば——ここは木々の立ち並ぶ森の中だった。


 遠くない距離に、騎士らしき数十名の人の姿が見える。


 銀の甲冑(かっちゅう)を身に着け、その合間から赤と金の装飾の施された制服を(のぞ)かせた彼らは、武具を手に陣形を組み、雄叫びを上げて暴れ狂う何かを囲んで対峙(たいじ)していた。


 その後方にはリシア同様、純白の祭服に身を包んだ治癒術師(ヒーラー)や、赤と黒を基調としたローブを着た、魔術師らしき人た達が(ひか)えている。


 どうやら魔術を使って、前線の騎士を援護している様子だった。


 よく見れば自分の周りには負傷した様子の騎士が数多く倒れ、横たわっている。

 治癒術師(ヒーラー)の治療を待っているのだろう。



(この人達は私の仲間……? 私は囲む何かにやられて、負傷して記憶が曖昧になったの?)



 状況からしてその可能性が高いと思ったが——彼らが身に(まと)った衣服と自分の衣服の違いに、その可能性はないと気付かされる。


 自分が着ているのは、黒のインナーに(あわ)い青を基調とした装いだった。

 彼らは赤と黒がメインの色合いで、服の型も似ているとは言い(がた)い。

 

 記憶の手掛かりになればと思ったが、そう甘くはなかった。



(状況を、把握(はあく)しないと)



 そう思って、立ち上がろうと足に力を入れた——次の瞬間の事だった。


 ドゴオオオン! と轟音(ごうおん)が響き渡る。


 前線を囲んでいた数名の騎士が、土煙と共に宙に舞い上がって、()(すべ)なく吹き飛ばされて行く姿が見えた。


 数秒が経ち煙が晴れ、ぽっかりと空いた包囲網から見えたのは、巨大な黒い(かたまり)だった。


 目視できる程に禍々(まがまが)しい黒いオーラを(まと)った、熊に似た生物がいる。


 自分の事に関する記憶は一切思い出せないが、それが何であるのかはハッキリとわかった。


 あれは世間一般に魔獣——魔熊(まゆう)と呼称される生物だ。


 きっと獲物を(むさぼ)るためだろう、爪は普通の熊の何倍も大きく鋭利(えいり)に発達しており、鮮血が(したた)っている。


 半開きに開かれた口には血濡(ちぬ)れの牙が見え、血走った眼球と赤い瞳が次の獲物を探すかのようにギロリと動いた。



「包囲網を崩すな! 陣形立て直せー!」

「魔術師隊は障壁詠唱! 治癒術師(ヒーラー)、負傷者の回復急げ!」

「もうすぐ援軍が来る! それまで持ち(こた)えろ!」

「グガアアァ!!」



 指揮官の怒号と、兵士の悲鳴と、地の底から響くような、重低音で不快感のある魔熊(まゆう)の雄叫びが戦場に飛び交った。


 側に居たリシアがあわあわとしながら、負傷者に治療を施すため立ち上がり移動しようとする姿が見える。


 しかし——「うわあああ!」という悲鳴と共に、血が飛び散り、目の前に惨状(さんじょう)が広がって、迫る危機にリシアは恐れ(おのの)き固まってしまっていた。



「だめです! 障壁詠唱間に合いません! このままでは崩されます!」



 魔熊(まゆう)の剛腕による薙ぎ払いは、盾を構えた騎士をいとも簡単に切り崩して、陣形を立て直そうとしていた騎士達が、眼前で次々と宙へ舞った。


 血飛沫を上げた騎士の躯体(くたい)が赤い血潮(ちしお)()き散らして、ドサリと鈍い音を立て地面に落ちて行く。


 その様子にリシアは足がすくんだのか、がたがたと震えてへたり込んでしまっていた。

 恐怖に染まった黒瑪瑙(オニキス)の瞳が、鮮血を(まと)魔熊(まゆう)を見つめている。


 そんな視線に気付いたのか、獣の赤い瞳が、次の獲物を見つけたと言わんばかりにリシアを(とら)えた。


 そして血濡(ちぬ)れた爪が、大きく振り上げられる——。


 直感で悟る。

 このまま何もしなければ、自分を助けてくれた少女が、ここにいる全員がやられてしまう、と。



 自分が何者なのか。

 何故ここにいるのか。

 何が出来るのかはわからない。



 でも、このまま何もせず(あらが)わなければそれで終わり。

 何も守れず、何を知る事もなく、消えて行くだろう。



(……そんなのは——嫌!)



 無力感に(さいな)まれ、手が届く人を守れず、何も出来ずに終わってしまうのは——嫌だ! と、終焉(しゅうえん)(あらが)わんとする、強い思いが胸に芽生えていた。


 すると、想いに呼応するかのように、銀色の(きら)めきが突如、体から放たれた。


 これは、マナだ。

 奇跡を起こす神秘の力だと、不思議と理解できた。


 解き放たれたマナの放流が風となり吹き(すさ)んだ。

 (まと)った衣裳(いしょう)と銀糸を(なび)かせ、足許(あしもと)に魔法陣が展開して輝く。


 神秘の輝きは光の洪水となって周囲を照らし、(まばゆ)い光に(ひる)んだ様子の魔獣が後退(あとずさ)った。



「何だ!?」

「お姉さん……?」



 マナが(きら)めいている。とても綺麗だ。

 その輝きを見ていると、一つ、二つ……と脳裏に旋律が生まれた。



『さあ、歌って、(つむ)いで。

 歌は祝福、(みちび)き。

 貴女の歌は、運命を切り開くための鍵』



 誰かの優しい声が、耳元でそう(ささや)いた気がして、感じるまま旋律に歌を載せ、(つむ)ぐ。


 この歌が奇跡を起こす事を願って。


『紡ぐは慈愛の恵みと堅牢(けんろう)たる守りの讃歌——』

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