第十三話 記憶の枷
周囲に何を聞かされたのか、二人の関係が「恋人なのでは?」と疑問を抱いたイリアに誤解である事を告げると、彼女は顔を赤く染めてうずくまってしまった。
暫くして、落ち着きを取り戻したイリアが顔を上げる。
すると今度は緊張した様子で唇を引き結んで「私、自分の事が知りたいです」と溢して、言葉を続ける。
「思い出そうとすると、頭痛がして頭が真っ白になって……ダメなんです。だから、もし良ければ……ルーカスさんが知ってる事を教えてくれませんか?」
彼女が何処の誰であるのか、教えるのは簡単だ。
だが——。
(イリアは……教団の魔術師兵として、戦いに身を投じて来た。女神の遺した意思に従って、困難を打ち破り、人々を守る為に。
……それこそ、自分が傷つく事も厭わずに)
彼女の背景を知っているだけに「何も知らず、忘れたまま生きた方が幸福なのでは?」と、考えてしまう自分がいる。
しかし、一方的な思いを押し付けては、彼女の意思を無視する事になってしまう。
「……聞けば、知らないほうが良かったと、後悔するかもしれない」
「何も知らずに後悔する方が嫌です」
ルーカスが問えば、イリアは真っ直ぐに勿忘草色の瞳を向けて言い切った。
その気持ちは理解出来る。
もし自分が逆の立場だったとしたら、同じ選択をするだろう。
どちらにしても後悔するのなら、全てを知りたい——と。
「それに……」
イリアが表情に翳りを見せた。
「胸がざわつくんです。何か、やるべき事があったはずなのに、思い出せなくて、苦しくて……!」
ぎゅっと胸を押さえ、端麗な顔立ちが悲痛な面持ちへと変わる。
「私は知りたいんです。この感情が訴えるものが何なのか。いえ、思い出さなければいけない……!」
表情とは裏腹に勿忘草色の瞳は、確固たる意志を宿して強く輝き、真実を恐れず答えを求めていた。
(……イリアがそれを望むなら、俺は拒めない)
知りたいと切に願う彼女の思いを無下にする事は、出来ない。
ルーカスは溜息を吐き出した。
「……わかった。話すよ、俺が知る君の事を」
「あ……ありがとうございます」
イリアの表情が幾分か和らぐ。
話すと決めたが、彼女の身の上とそれにまつわる思い出は、誰彼構わず聞かせていい話ではない。
ルーカスは「悪いがイリアと二人にしてくれ」と、給仕の侍女に下がるよう指示を出すと、彼女達は黙礼して退席した。
——これでこの場は二人きりだ。
足音が完全に聞こえなくなったのを確認して、ルーカスは「それじゃあ……」と切り出し、話を始める。
緊張した様子で、しかし期待を滲ませてこちらの話に耳を傾けようとするイリアをルーカスは直視出来ず、目を逸らして俯いた。
思い出すには少し辛い記憶がルーカスをそうさせた。
「……俺にとって君は、友人であると同時に恩人なんだ」
「恩人ですか?」
「ああ。絶望の淵にいた俺を、君の歌が……いや、歌だけじゃない。君自身に救われたんだ」
出会いは——悲劇。
一面が赤に染まり、絶叫と、横たわる死と、鮮血に塗れる忌まわしい戦場の記憶。
奪い奪われ、絶望と怨嗟が支配するそこに差し込んだ希望。
それが彼女の歌。
戦場に響く希望の歌声——。
「君は詠唱士。歌で希望を運び、戦場を駆ける者。そして——」
ルーカスは告げる。
彼女が何者であるのかを。
「君は教団の使徒だ。授かった力を振るい、使命に準じて生きる女神の僕。人々は畏敬を込めて〝旋律の戦姫〟と君を呼んでいる」
それを聞いたイリアは——。
——イリアからは、何故か反応がなかった。
(何故、何も反応がないんだ……?)
ルーカスは伏せた顔を上げ、恐る恐る視線をイリアへ向けた。
目に飛び込んで来たのは——苦悶の表情を浮かべ、両手で頭を覆う彼女の姿だ。
歯を食いしばっており、声を上げる事も出来ない様子だった。
「イリア!?」
異変を感じ取ったルーカスはイリアの元へ駆ける。
椅子が音を立て倒れるが、気にしている場合ではない。
イリアがバランスを崩し、銀糸を靡かせて椅子から滑り落ちる。
ルーカスは彼女が床に倒れる寸前のところで受け止め、そのまま抱きかかえた。
(一体どうしたんだ……!?)
額から冷汗を流し、しきりに頭を押さえて苦しむイリアから呻き声が聞こえる。
「う、ぐっ……あ……た、まが……」
「痛むのか!?」
僅かに首が縦に振られる。
固く閉じられたイリアの瞼からは涙が伝っていた。
(頭が痛むのであれば無理に動かすのは危険だ)
そう判断したルーカスは、大きく息を吸い込んで、声の限り叫んだ。
「誰か! ファルネーゼ卿——いや、リシアを呼んでくれ!」
イリアの身に何が起きたのか、ルーカスに知る術はない。
声を上げて助けを求める事しか出来なかった。
ルーカスの声に気付いた使用人がリシア、そしてシャノン、シェリルを呼びに走り——そう時間を置かずに彼女達が駆け付ける。
皆の見守る中、頭の痛みを訴えるイリアにリシアが治癒術を施した。
だか、治癒術を掛けても状況は好転せず、イリアはついに気を失ってしまった。
原因を探るためリシアが魔術による視診を行い、そこで何かに気付いたらしい。
気を失ってしまったイリアの左腹部に手を置いた。
そこはイリアが怪我を負っていた場所だ。
「これは……呪詛ですね」
「呪詛だと?」
告げられた言葉に、ルーカスは驚きを隠せなかった。
呪詛、すなわち呪い。
闇属性の魔術の一つで、その種類は多岐に渡るが、特定の個人、あるいは集団に病気や死などの災厄を生じさせる魔術の総称だ。
「巧妙に隠されていて気付けませんでしたが……」
リシアが傷痕をいたわるように腹部を撫でた。
怪我は治癒術により完治しているが、そこには着衣に隠されて〝痕〟があると聞いている。
「ここに負った怪我は、呪具による刺し傷だったんですね」
イリアを見つめる漆黒の瞳は悲しみに揺れていた。
「イリアさんは魔術師——詠唱士ですよね? しかもとても強力な魔術の使い手」
沈痛な面持ちで問い掛けるリシアに、ルーカスは頷き肯定する。
実際にその力を目の当たりにしている彼女に誤魔化しは効かない。
「呪詛がマナの扱いに長けた魔術師、特に精神力の高い人に効き辛いのはご存知だと思います」
「ああ、行使する術者の力量に左右されるところはあるが、一般的にはそうだと認識している」
「その通りです」
リシアが頷いて、言葉が続けられる。
「イリアさんの呪詛は、外部から魔術を掛けられたのではなく、呪具を媒介に内側へ直接穿たれた物です。特定の単語と人物、それと——。……いえ、ともかくそれらを起点に記憶を封じるものだと思います」
記憶を封じる呪い、呪詛。
誰かが意図的にイリアを傷つけた事はもはや疑いようがない。
ルーカスは知った事実と共に、奥歯を噛み締めた。
「頭痛は呪詛の影響です。記憶を封じる呪いの力が暴れた結果——無理矢理こじ開けようとして力が反発した、と言えば分かりやすいでしょうか」
つまりイリアの核心に触れた事がきっかけとなって、彼女を苦しめる結果となってしまったと言う訳だ。
「解呪は出来ないのか?」
「ごめんなさい。これほど強力な呪いは、私の力では……」
リシアが力なく首を横に振った。
すると、その後ろで状況を見守っていたシャノンが口を開く。
「リシアより優れた治癒術の使い手なら解呪出来るって事? なら軍本部に掛け合って……」
「そう単純な話じゃないんです。この呪詛を掛けた術者、相当な曲者ですよ」
——例えるなら、常に正解が変わり続ける複雑に絡まった糸を解くようなものだとリシアは話した。
よほど呪いの造詣に深い者でないと解けない、と。
それを聞いたシャノンが「悪趣味ね」と、苦虫を嚙み潰したような顔で呟いた。
「お話はこれくらいにして、まずはイリアさんを休ませてあげましょう?」
長引く話の流れを断ち切るように、シェリルが進言した。
その言葉に誰もが同意を示す。
「お兄様、イリアさんを部屋までお願いしますね」
「ああ」
ルーカスはイリアを抱きかかえて立ち上がろうとした。
その時、耳元でリシアが囁いた。
「イリアさんの事でお話があります」と。
わざわざ自分にだけ聞こえるよう話したと言う事は、内密にという事だろう。
リシアの意図を察して、ルーカスは「談話室で」と返すと、イリアを休ませるため彼女を抱いてその場を後にした。
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