第十七話 従属≪obéir≫
レーシュとの少し不可思議な交流を続けていたある日の事。
ルーカスの元を、白の祭服に煌びやかな装飾をごてごてと身に着けた、ふくよかな中年男が訪れた。
「ほう。これが〝破壊の悪魔〟ですか」
開口一番。鉄柵越しにルーカスを見るなり、野太く、ねっとり、どこか下卑た声を男は発した。
男の両翼にはレーシュと、教団の白い軍服を纏った見慣れぬ長身の青年が控えている。青年の髪色は黒柿色。前髪はサイドに分け。癖毛のようで、全体的に毛先がところどころ跳ねている。
瞳は翡翠のような松葉色。虹彩の中にある、紅い瞳孔が特徴的だった。
ふくよかな男は、二人を従える様子と身なりから察するに、高位の聖職者なのだろう。
だが、以前に学んだ教団の要人達の中に、このような男の絵姿はなかった気がする。
「……高位の聖職者の方とお見受けします。失礼ですが、貴方は……」
「おやおや、私の顔を知らぬとは。まあ、所詮は田舎の王族崩れ。教育が行き届いていないのも、致し方なしですかねぇ」
高慢で高圧的な物言いだ。思うところはあるが、ぐっと堪え、ルーカスは頭を垂れた。
「仰る通り、私の勉強不足です。申し訳ございません」
「ふむ。謙虚ですね、良い姿勢です。貴方の姿勢に免じて、自己紹介して差し上げましょう。
我が名はジョセフ・ライネス。聖下をお支えする、枢機卿団の筆頭ですよ。しかと胸に刻むように」
「——猊下とは存じず、大変失礼致しました」
ルーカスは頭を下げたまま、膝を折った。その行動に気を良くしたのか、男が「ぬふふ」と笑っている。聞いていてあまり気持ちの良いものではない。
首席枢機卿ジョセフ・ライネスといえば、有名な人物だ。若い頃は自身も使徒として活躍し、歴代でも異例の早さで枢機卿に選出され、優れた政治手腕により首席まで上り詰めた人物。
ルーカスも当然、その名は知っていた。
けれど、教本で紹介されている絵姿とはまるで違うため、気付きようがない。
教本には知的でカリスマ溢れる美丈夫な姿が描かれていたが、目の前の男はどうだ。
聖職者と呼ぶには少し、貫禄がありすぎる。——悪い意味で。
「なるほどなるほど。完全に理性を取り戻したようですねぇ。期待通りの働きです、レーシュ。よく務めを果たしました」
「……ありがとう、ございます。猊下」
何故、レーシュがこの部屋を訪れていたのか、納得した。
目的もなく訪れていたわけじゃないことは、最初からわかっていた。それに、最近は楽しそうにしている姿もよく見る。単に任務のためだけに、訪ねてきていたとは思わない。
思わないが、少し寂しい気持ちになった。
「この様子であれば、次の段階へ移ってもいいでしょう。レーシュ、枷を」
「……はい」
「キイィ……」と鉄柵の開く音がして、レーシュがルーカスの傍へ。同じ目線へ屈んで、「手、出して」と囁いた。ルーカスは言われるがまま、拘束具に繋がれた両手を差し出す。
すると、レーシュは指先で鋼鉄の枷に触れて、旋律に〝ラ〟の音を乗せた高音域の歌声を響かせた。
——歌が終わると、枷が外れた。重量感のある鋼鉄が地へ落ちる。手が軽い。ルーカスは交互に手を捻って、久方ぶりの解放感を噛み締めた。
「喜んでいるところに水を差す様ですが、解放ではありませんよ」
その言葉の直後。レーシュによって左腕へ腕輪が嵌められた。
土台は金色で幅は太め。紅色の宝石が飾られており、留め具で固定するタイプの頑丈な造りの腕輪だ。
「これは……?」
「〝破壊〟と〝崩壊〟……使徒の力を抑える枷……そう、聞いてる」
問えばレーシュが答えた。
封印部屋に使われている技術と同じだろうか、と感嘆する。
「技術の粋を集めた魔術器です。貴方は女神様に選ばれた使徒。その身は教団の有するものであり、その力は女神様の意思を体現するために在る。
女神の使徒、【塔】のペー。女神様の手足となれるのです。この上ない誉ですよ!」
ジョセフは大仰に両手を天へ掲げ、暗に語っている。「拒否権はない」と。あまりにも一方的な通告だ。
「……最も、まずは力の制御を学んで頂かねば。先の戦争のように、感情のまま力を行使されては、ただの暴走兵器です。肝心な時に使い物にならないようでは、処分する他なくなります。だから……わかりますね?」
これは、脅しだろう。殺されたくなければ、自分に従え、という。
今更、命が惜しいとは思わなかったが、拒めば自分以外にも害が及ぶのではないか——とルーカスは考えて、大人しく頷くしかなかった。
「ふふ、賢い判断ですね。一日も早く、力を扱えるよう励みなさい」
「承知、しました」
礼を取り、ジョセフに気付かれぬよう、奥歯を噛む。
「さて、後のことは任せますよ。レーシュ、カフ」
「はい」
「承知」
レーシュと、従えていた青年を残して、ジョセフは退出していった。ルーカスはその背を見送って、深い溜息を吐き出す。
崇高な志を掲げる教団の重鎮が、まさかあのような俗物的な人物とは。誰が予想できただろう。
綺麗事だけで立ち行かないのは世の常だ。権力が集まる場所には、醜い我欲も付きまとう。だからこれは、どこにでもある、ありふれた話。
——そんな風に割り切る事が、すぐには出来なかった。
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