第十四話 呪いか祝福か≪malédiction ou une bénédiction≫
「…………話? 私、と?」
少女が首を傾げた。
銀糸が揺れて、甘い花の芳香が鼻孔をくすぐる。
長らく血生臭い幻影に苛まれてきたルーカスにとってそれは、日の当たる場所に存在する香り。心安らぐ香りであった。
ルーカスは頬を濡らす涙を自ら拭い去り、少女を見据える。
「色々と……教えて欲しいんだ。君のことや、この場所の事、帝国との戦いがどうなったのか——。わかる範囲でいいから」
「……うん。いいよ」
少女は迷う素振りもなく、静かに首を縦に振った。
(そうして、彼女は質問に答えてくれた)
「君は、何者なんだ?」
「私は、女神様の僕。女神の使徒、【太陽】のレーシュ」
「レーシュ……君が、あの……」
少女が近頃、戦場で活躍する〝旋律の戦姫〟と呼ばれる使徒であると聞き、ルーカスは驚きを隠せなかった。
二度、仮面に隠された容姿を盗み見ただけだが、まだ成人に満たない年頃である事は明らか。
神秘が年齢に関係なく、相応しい者に発現する代物だとルーカスも知っていた。
知ってはいても、自分より幼い少女が戦場へ立っている事に、居た堪れない気持ちになってしまう。
そして、彼女の正体を知った事で、この場所の憶測もついた。
「ここは教団——アルカディア神聖国のどこか……か?」
「……そう。ここはディラ・フェイユ教皇庁の地下。封印部屋」
「封印部屋?」
「貴方の力……〝破壊〟と〝崩壊〟の力を、抑え込むための場所」
「破壊……崩壊……」
あの戦場で手にした力を指しているのだろうが、いまいちピンと来ない。
ただ、〝破壊〟については思い当たる節があることにはある。
それはエターク王国の王族に発現してきた特異な能力。〝あらゆるものを破壊する〟と言い伝えられる力だ。
だが、実際は〝物を壊しやすくなる〟〝殺傷力が上がる〟〝魔術の破壊力が高まる〟と言う程度。
ルーカスもその片鱗を受け継いでいたが、アレイシスを殺めた時のように、人を一瞬で消し去れる程の力はなかった。
力の由来は長い歴史の中で忘れ去られている。
そして、極稀に強大な力を覚醒させる者がいたと言うが——「自分もそうなのだろうか?」と考えを巡らせた。
おもむろに少女の白い手がルーカスの左手を掴まえる。
予期せぬ接触、先程とは逆の構図に瞠目した。
「ここ、見える?」
と、ルーカスの手枷の隙間を少女が指差した。
指先を視線で追う。追って行くとその先の皮膚に何か——赤い〝痕〟があった。
文字にも酷似している。
この、体に刻まれた文字のような痕の意味は何か。「まさか」とは思うが、察しがつかないほど無知ではない。
「——聖痕……」
思い至った答えに、こくり、と少女が頷いた。
聖痕は女神の恩寵たる神秘、アルカナを賜った使徒の証。
使徒は神秘という常軌を逸した強大な力を手にした、人ならざる女神の僕である。
「うん。貴方は私と同じ、使徒。女神様の祝福を受けて、【塔】の神秘を授かった、使徒」
「【塔】の、神秘……」
実感が、ない。夢にも思わない事実だ。
何故なら、手にした力からはもっと……昏くて禍々しい、恐ろしいものの気配を感じていたから。
(——それも、そのはず。【塔】が冠する〝崩壊〟とは別に、〝破壊〟の力は魔神の権能だというのだから。
なら、力が目覚めたあの時に聞いた声は、きっと……)
ルーカスはまじまじと刻まれた痕を見やり、思う。
「……女神は、どうして……」
あのタイミングで力を与えたのか。
自分に使徒となる資格があったのなら、あんな取り返しのつかない事態となる前に、神秘を授けてくれなかったのか、と。
「力を与えるなら、もっと早く、早く与えてくれれば良かったのに……っ。
そうすれば、みんな……セイランも、カレンも……!」
守れたのに——。
自分の過ち、弱さを棚に上げて、そんな事を思ってしまった。
(女神に非はない。奇跡をあてにするのは、お門違いだ。それでも、もしもを考えると、やり場のない感情が押し寄せて、苦しくて……。
……俺は、押しつぶされそうになる心をどうにか保とうと、必死だった)
「…………ごめん、なさい」
消え入りそうな掠れた声が少女から発せられた。
「……っどうして、謝るんだ? 君は、何も悪くないだろ」
少女が力なく首を振る。
「ううん。貴方の悲しみは、私の努力が足りなかったせい」
「は……? そんな訳が……」
この少女は何を言っているのだと、ルーカスは眉を顰めた。
まさか少女が、女神本人というわけでもなし。
仮にそうだとしても、さっきの発言だって、ただの責任転嫁だとわかっている。
「……私は、女神様の僕。授かった使命は、この身を捧げて女神様の愛する世界の嘆き悲しみを祓う事。……なのに、たくさん、手が届かなくて。悲しむ人が、減らない。いつまでも、完璧に使命を果たせない、私のせい……」
少女の言葉に耳を疑った。
使徒が神秘という強大な力を宿すだけの存在ではなく、教団の掲げる理念の下、女神の思想を体現するため使命を帯びているのは、誰もが知っている。
使徒の本能に従って、思考が感化されるという事も、知識として学んだ。
が、彼らだって使徒である前に一人の人間だ。
万能じゃない。出来ることには限りがある。
この少女に己の悲劇の責を負わせるなど、あり得ない。
「違う、君のせいじゃ——」
否定しようとしたルーカスの言葉を遮って「リンリン」と鈴の音が鳴る。
見れば、少女の胸元にあしらわれた紅い宝石が瞬いていた。リンクベルだろう。
「……呼ばれた。行かないと」
すっと手が離された。踵を返した少女の銀糸が、ふわりと靡く。甘い花の芳香。靴音を響かせて、小さな背が遠ざかっていく。鉄格子の向こう側へ。
今度こそ、行ってしまう。
ルーカスは手を伸ばして追いかけようとしたが、鎖に阻まれた。
その間に、少女は壁と同化した部屋の入り口へ辿り着き、扉を開いた。
「レーシュ! まだ君と、話したいことが……!」
ルーカスの呼び掛けに少女が止まることはなかったが、閉まりゆく扉の先で一瞬、こちらへ顔を向けて。
「うん。また……来る」
花の残り香と、再会の約束を残して去って行った。
こうして、少女との交流が始まり、いつの間にか、ルーカスが悍ましい幻影を視る事もなくなって行く——。
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