番外編 何を想い、何を願うか ≪中編≫
その人物はシェリルと同じくここで書物を読み漁っており、シェリルが書架から本を幾つか抜き取って書庫の片隅に作られた拝読のための空間に戻ると、
「——【節制】、魔神について何かわかったか?」
と、書物へと落とした水晶のように透き通る銀色の瞳を持ち上げて、尋ねてきた。
燃え立つ赤い長髪の青年だ。
優雅に座したソファの傍らには十色の魔輝石のあしらわれた長杖が立てかけてある。
【魔術師】の神秘を宿した使徒、ベートだ。
「いいえ、核心に迫るものはまだありません。
今の時点でわかっているのは、初代【世界】が〝破壊の力〟という魔神の権能を奪った事。
その上で女神様の祝福を受けた使徒が一丸となって挑んでも、敵わなかった事。
女神様は自分より力のある魔神からアルカディアを守る為、苦肉の策として惑星延命術式を施すしかなかった事。
——そのくらいのものです。
そちらの進捗は如何ですか?」
「魔神に関しては似たようなものだが、新たな発見があったぞ」
ベートは勢いよく頁を閉じ、忌々し気に本を睨みつけた。
「楽園崩壊のきっかけ。
好奇心に駆られた考古学者が、研究のために宝珠を持ち出したのが始まりだ」
「考古学者が……ですか? 女神の血族の方、でしょうか」
宝珠の安置されている祭壇は、女神の血族にしか開けない強力な封印が為されている。
一介の考古学者が入れる場所ではない。
(あの時……私達が駆け付けた時は、何故か開いていましたが、本来はあり得ないことですよね)
仮説は幾つか立てられるが、シェリルはベートの話に耳を傾けた。
「いや、記述を見るに一般人だな。血統を用いた封印は、どうやら後付けのようでな。
当初も厳重な封印が施されていたらしいんだが……長年の研究、飽くなき探求心が生んだ執念と呼ぶべきか。紐解かれてしまったんだと。
そんで慌てて女神の血族のみが解除出来る仕組みに変えたが——血族であれば誰でも開けるようにしたもんだから、後にそこを突かれて大失態を演じている。
失敗から学ぶのは常だが、そこから改良が加えられ、今では【法王】と【女教皇】の神秘を持った血族だけが開ける仕様に落ち着いたみたいだ」
イリアは女神の血族のみが解ける封印と言っていたが、実際は更なる制約があったらしい。
「世間から女神の血族が隠されたのは、そのような背景も関係しているのですね。
単に彼らが享受すべき栄華を、枢機卿らが独占するためではなかった、と」
「枢機卿団が腐っていたのは事実だが、最初からそうだった訳じゃないだろうさ。
組織の規模が大きくなれば風通しは悪くなるし、成果と歴史を重ねれば内向的になるのはままあることだ。
権力者の腐敗については、歴史ある王族の血を引いた公爵家の聡明なお嬢さんなら、よくご存知だろ?」
棘のある言い方だ。
心なしか殺気すら感じる。
シェリルは「そうですね」と静かに肯定して着席。
(王国上層部も一枚岩ではありませんし、家門同士の軋轢もあります。
汚職だって、目に見えていないだけで行われているでしょう。
長い歴史の中で、大問題となった事例も少なくありません)
組織の腐敗は何処にでもある事だ。
新陳代謝が出来なくなった箇所から膿んで、腐っていく。
肝心なのはそうならないための統制・監視機構の構築と外部監査の目。
教団は女神と崇高な理念を盾に、その辺が疎かになっていて——。
とシェリルはそこまで考えて思考を止め、持って来た書物の一冊を開いた。
(今考える事ではないですね。
彼の感情に、狼狽える必要もありません。
あれは私個人に向けられたものではなく、私の立場・地位——ひいてはその先にある別の者へ向けられたもの。
使徒に選ばれた者の多くは、平坦ではない人生を送っていますし、彼もまた、預かり知れぬ何かを抱えているのでしょう)
だが、不用意に暴く真似はしない。
交流の浅い人物の事情に土足で踏み込むのは、お世辞にも賢いとはいえない。
(責を負うつもりがないのなら、尚更です。
まあ……お姉様なら後の事など考えず、踏み込んでいくのでしょうけど。
無鉄砲ともいえますが、感性で解決まで持って行ってしまう事も多いのですよね……。不思議でなりませんが。
私には真似出来ない芸当なので、素直に尊敬します)
姉の手に余って後始末に付き合わされることはあるが、それも適材適所というやつだ。
一人で全てを背負う必要はなく、足りない部分は互いに補えば良い。
これは全ての事柄に当てはまる事だろう。
(なればこそ、集中しなくてはいけません。
この知識の宝庫から魔神の手掛かりと——イリアお義姉様を救う手立てを見つけるために)
驚くべき事に、神聖核となったイリアはまだ生きていた。
最高峰の魔術師であるベートの見立てだ、間違いはないだろう。
しかしながら時間制限がある。
(虹色に輝く魔輝石、神聖核の核と完全に融合するまで、長くて半年。
実際はもっと短い可能性があり、一度神聖核に捧げられた【女教皇】が生還した事例は過去にないと仰っていました。
望みはあるものの、実現させるためにはいくつもの障害があり、現時点では不可能であるとも……。
「奇跡でも起きない限り」と皮肉めいていましたね)
イリアが神聖核となる際に紡いだ歌。
惑星延命術式の通称ともなっている〝女神のゆりかご〟の一節では、
『耀いて 神秘よ
強き心に 祝福を
願いを叶える 奇跡となれ』
このように謳われている。
(神秘は願いを叶える奇跡。ベートの皮肉は、これに由来するものでしょう。
奇跡の体現者である使徒にも解決できない事態。更なる超常の力が働かない限りは、覆らないという暗示。
彼の、こと魔術に関する造詣の深さと、知識から来る自負に基づき導かれた結論ですね。
とても論理的な思考で、反論の余地もありません。
ですが——。
奇跡とは起きるのをただ待つのではなく、行動の果てに掴み取るものだと、私は思うのです。
それに、如何に彼が優れていようとも、全知全能ではないでしょう。
まだ知り得ない解決策が、きっとあるはずです)
シェリルは本を持つ手に力を籠めて、記された内容の一言一句、見落としのないようしかと瞳に焼き付けた。
そうして暫し、頁をめくる音だけが響く、無言の時が流れた。
「こんな時、あいつがいたら良かったんだがな……」
沈黙を破ったのは、ベートの呟きだ。
「あいつ……ですか? どなたの事でしょう?」
シェリルは手を止めて、ベートを見やる。
と、ベートは声にしたつもりがなかったのか目を丸くした。
そして気まずそうに視線を逸らして、髪を掻き上げる。
余計な事を聞いてしまったかも、と思ったが不可抗力だ。
シェリルはベートの返答を待った。
少しの間を置いて、彼は本を机へ置くと深い溜息と共に答えを吐き出した。
「……【隠者】、ヨッドだよ。
神学校時代の同期……一応、友人と呼べなくもない。
人とは違った物の見方をする研究者気質なヤツでな、知識量ではオレに引けを取らず博識だった。
マナ工学に精通していて、疑似宝珠の設計にも携わったんだが……。
どうにもそれはノエル様が遵守で無理矢理に協力させたみたいでな。
正気に戻るなり、怒って雲隠れした。
希少な詠唱士でもあり、レーシュと少なからず交流してたようだから、【運命】なら居場所を知ってそうなもんだが……」
「フェイヴァさんはリシアさんの護衛として、王国に赴いていますね。
遠からずリシアさんもこちらへ来ると仰っていたので、その際に尋ねられては如何でしょう?」
「そのつもりではいるが、カフが口を割るとは思えなくてな。
かと言って無理にも聞き出せんし……まあ、ないものねだりは時間の無駄だな」
ベートはソファに深く沈んで天を仰ぎ、再度溜息を吐いてから新たな本を手に取った。
彼は余計な事に極力時間を掛けたくないのだろう。
(論理的思考の人物に多い傾向ですね。
私もそうなのでわかります)
シェリルは納得して、それ以上の言及はしなかった。
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