第二十八話 女神のゆりかご
惑星延命術式による結界が揺らぎ、滅びへと向かう世界。
イリアは、掴んだ腕をすり抜けて行った。
自らを礎に、世界を存続させるために。
「イリア……!」
必死に伸ばしたルーカスの手は届かず、虚空を掴んだ。
「カツン」と鳴った靴音と、銀糸の靡く背が遠ざかって行く。
追い縋ろうにも、縫い止められたように足が動かなかった。
その間にもイリアは階段を上り——。
間もなく頂上へ辿り着いた。
七色に輝く魔輝石。
身の丈程あるそれに、イリアの手が触れた。
『生体コア接続確認……認証完了。神聖核の適合率98.97%。新たな神聖核を核とし、術式の再起動が可能です。実行しますか?』
「実行して」
無機質な音声の問いに、淀みない声が響いた。
『了解。術式展開準備……コードを入力して下さい』
鳴り響く地響きの中、あの旋律が紡がれる。
『——愛し子よ お眠りなさい
マナのゆりかごに抱かれて』
女神の血族に伝わる、歌。
七色の魔輝石と敷かれた魔法陣が激しく白光している。
『闇を祓え 神秘の風よ
煌めきがあなたを照らすでしょう
愛しい子らよ 涙を掬って』
魔輝石を背にしたイリアが、両腕を広げた。
イリアの足元を七色の結晶が覆い始める——。
『この体朽ち果てようとも
十の輝きが世界を包むでしょう』
優しく暖かで、迷いのない透き通る高音域の歌声。
幾度となくルーカスを癒し、救った旋律。
『愛し子よ お眠りなさい
私の愛が 満ちる世界で』
紡がれる毎に、上へ上へ、結晶の花が咲く。
イリアが祈るように手を組み合わせ、瞼を閉じた。
『この手を合わせて 希う
どうか愛しい子らが 幸福でありますように
翼をはためかせ 想いを繋ごう』
結晶が急速にイリアを包み隠して行く。
背にはまるで羽根のような形の隆起した結晶が形作られた。
露出した部分は、もう組み合わせた手の置かれた胸元から上しかない。
『耀いて 神秘よ
強き心に 祝福を
願いを叶える 奇跡となれ』
——遂にイリアの胸元に結晶の花が咲いた。
『揺蕩えゆりかご 私の愛を抱いて
守りましょう 永久の楽園
いつか眠りから覚める その日まで——……』
この終焉の間際に謳われた、春風のように優しく心地よい歌声が奇跡を呼び起こす。
『コード承認。神聖核の接続を確認。
惑星延命術式、再起動します』
神聖核が青もしくは白の混じった銀色の輝きを放った。
場の空気が澄み渡り、共鳴するかのように、宝珠の祭壇を形成する魔輝石が輝く。
瘴気の黒に染まった鉱石も、神聖核の輝きに照らされて、透明感のある色を取り戻していった。
警戒音と地鳴りはいつの間にか止んでいる。
大地の揺れも感じない。
頭上の画面に術式の展開図が表示された。
古代語は読めないが、ゆりかごが正常に稼働しているという事は図から理解出来る。
別の画面には、青さを取り戻した空の様子が映っている。
そしてイリアは——。
角度によって色合いの変化を見せる、七色の結晶に覆いつくされていた。
「……イリア」
先程まで微動だにしなかった足が、動く。
ルーカスはイリアの足跡を追った。
震動は収まったはずなのに体がぐらつき眩暈もして、足元が覚束ない。
一段ずつ時間を掛けて上へ進んだ。
ようやくの思いで上り切った先——神聖核となったイリアは、結晶の中で穏やかな微笑みを浮かべていた。
眠る彼女の見せる表情が、込み上げる感情の後押しをする。
彼女の騎士として、この名を懸けて、剣を捧げて守ると誓ったのに。
神聖核になどさせないと、豪語したくせに。
願いを叶えると。
共に未来を紡ごうと。
————約束、したのに。
何一つ、果たす事が出来なかった。
怒り、哀しみ、後悔、空虚、愛しさ。
絡み合う糸のように解けない感情の塊が、心に重くのしかかる。
「イリア……」
ルーカスは震える手を伸ばして、触れた。
結晶越しの彼女の頬に。
「ごめん……ごめん、イリア……」
無機物の結晶に温度はなく、ひんやりとした冷たさを伝えて来るだけ。
イリアのぬくもりを感じる事は、もう出来ない。
「……俺、は……っ!」
愛する人へ伸ばした手はまたしても届かなかった。
自分には守れる力がある。
必ず、道は開ける。
と、根拠もなく驕っていたのだと思い知る。
運命はいつも残酷だというのに——。
「——う……っ! うああぁ!!」
ルーカスは神聖核となったイリアの前で感情のままに叫び、涙を流した。
喉が潰れ、涙が枯れ果てるまで。
——そうしてイリアは、世界を救う為の犠牲となり、彼女の〝愛〟というゆりかごに守れた世界は、一時の平穏を手に入れた。
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