第十九話 女神の祝福 二兎と【剛毅】②
テットの一撃を受けたシャノンの意識は——暗闇に沈んでいた。
光はなく、音も聞こえない。
匂いや温度もなく、勿論痛みもない。
五感が閉ざされていて、自分を知覚する事さえ出来なかった。
けれども闇の中、何故か意識だけはハッキリとしている。
(……私……。
シェリルの警告が聞こえて、それで……)
腹部に掌打を受けた。
それは覚えている。
(でも、その後は?
私は……シェリルは、どうなったの?)
体験していない記憶は、当然思い出す事が出来なかった。
(……負け……ちゃったのかな……)
シェリルを叱咤しておきながら情けないけれど、あんな容赦のない一撃をもらって、無事であるとは思えない。
もしかしたらここは、死後の世界なのかも——と、そんな考えが浮かんだ。
——静かな、世界だ。
何もない、無。
これまで経験した事のない静寂の刻。
不思議と母の腕に抱かれたような安心感すら覚えて、このまま眠ってしまってもいいかな、とシャノンは思った。
『……諦めるのか?』
柔らかな声が鼓膜に響く。
どこか聞き覚えのある声だ。
『其方の片割れは、まだ諦めておらぬぞ?』
凛とした高音域が、呼びかけて来る。
その声は〝彼女〟——イリアを彷彿とさせたが、彼女ではない気がする。
(……誰……?)
『妾を知るよりも、見よ』
声の主が告げると、脳裏に沢山の映像が流れ込んで来た。
神殿の中へ入った王国騎士の皆や、太陽の御楯を名乗るフェイヴァ。
ルーカス、イリアが戦う場面だ。
窮地に陥って、それでも巡った契機を逃さず勝利を掴んで——。
そしてノエルの力で抑え付けられ、再びの危機を迎えていた。
必死の想いで剣を向けたイリアを、勝ち誇った笑みを浮かべたノエルが抱き込んで、それから——。
ノエルの行動に、イリアが涙を流した。
ルーカスが動けない体で、でも心の中で叫び声を上げている。
大切な人のために戦おうと、足掻いて、強き想いを燃やし続けている。
その場にいる誰もが、逆境に負けまいと抗っていた。
恐らく今現実に起きている事、だろう。
(お兄様……お義姉様……みんな……)
『其方は何の為に剣を取り、戦う事を選んだ?
今此処で安穏に身を沈めれば、多くのものが失われる。
……それで後悔せぬか?』
(私は……私は……ッ!)
剣を取ったのは、軍人の家系に生まれたからというのもあるが、一番の理由は守る為だ。
その想いを胸に強く抱いたのは、カレンお姉様が亡くなった時。
身近な人を失った喪失感と、悲哀に打ちひしがれる皆の姿を見て、思った。
(強くなって、大切な人達を守ろうって。
奪われて、あんな風に悲しむ事のないように、強くなろうって……思った。
なのに、私は——!)
シャノンは「このまま眠ってしまってもいいかな」と、馬鹿な事を考えた先刻の自分を殴りたくなった。
脳裏にまた、新たな映像が浮かぶ。
ノエルが祭壇へ納められた宝珠に触れて、空中に出現した惑星延命術式を制御するための操作盤、青白い光を放つそれを操作し、術式を書き換えて行く姿だ。
綺麗な指が手際よく操作盤を叩き、程なくして宝珠が赤く染まった。
そこで場面が切り替わり、今度は野外へ。
見慣れた王都の街並みと、不気味に赤黒く染まった空に魔法陣が展開していく風景が映し出される。
未曾有の大災害の時のような異変をきたし、更に突如現れた魔法陣の浮かぶ空を、人々が驚きと恐怖の眼差しで見上げた。
すると、魔法陣が妖しく耀き、マナを吸収し始めた。
対象は無差別。人へも及び、間も無く大勢の人々が糸の切れた傀儡のように倒れ込んだ。
体内を巡るマナが著しく低下する事で起きる病、マナ欠乏症だと思われる。
生命活動に支障をきたして、死に至ることもある。
絶えずマナを吸い上げられたらどうなるか。
(ダメ、こんなの……ダメよ……!)
この事態を防ぐため、皆戦っていたのに。
何も出来ず映像を見ているだけの自分に、シャノンは憤った。
またしても場面が変わる。
今度はシャノンの姿が映った。
悍ましい様相を呈する空の下、割れた大地の中心で転がる自分を庇ってテットと戦っている。
魔術で作り出したのだろうか、氷の盾を持ったシェリルが闘気を纏ったテットの拳をそれで受け止めた。
盾は破壊されてしまうが、素早く攻撃へと転じて、一太刀を入れている。
なるほど、上手いやり方だ。
だが、その戦法も長くは持たなかった。
空に浮かんだ魔法陣の影響も、少なからずあったのだと思う。
氷の盾を作り出せなくなったシェリルが、テットの拳を肩に受けて吹き飛んだ。
跳ね返りながら地面を転がり——。
意識は保っているものの、衝撃に体を起こす事が出来ず苦悶している。
(シェリル!!)
シャノンは叫ぶが、声はシェリルに届かない。
けれど、シェリルの想いはシャノンの中へ流れ込んで来ていた。
(……悔しい。負けたくない、のに。
私に、もっと、力があれば——!)
と、切実なる願いが、胸を焦がす。
抱く想いは、シャノンも同じだった。
身じろぐシェリルの元へ、テットの影が迫る。
このままでは、シェリルが危ない。
(シェリル……シェリルっ!!)
戻らなくちゃ、シェリルのところへ行かなくちゃ——と、五感の閉ざされた闇の中で、シャノンは必死に手を伸ばした。
どうすればここから抜け出せるのかはわからない。
(それでも……諦める訳にはいかないのよ!!)
この想いが在る限り。
足掻き続けるのだ、と心を震わせた。
『——ならば、妾が祝福しよう。
其方らが想いを紡げるように。
じゃが……力には代償が伴う。
その命を懸けて、揮う覚悟はあるか?』
凛と力強い高音域の問い掛けに、シャノンは迷いなく頷いた。
騎士となった時から、覚悟は出来ている。
だからといって、決して己の命を軽んじてはいない。
本当に必要な時に躊躇わず命を懸け、しかし貪欲に、諦めず生に縋りつく。
矛盾していると思われるかもしれないが、それがシャノンの覚悟だ。
きっとシェリルも同じ思いだろう。
『良い覚悟じゃ。
今此処に、願いは為った。
新たなる愛し子へ祝福を贈ろう』
一条の光がシャノンを照らした。
光に暴かれて闇が晴れ、自分という存在の輪郭が露わになる。
しかして、握った左の手のひらに、熱を感じた。
開いて見ると証があった。
刻み込まれた聖なる祝福の痕——。
『【恋人】そして【節制】。
其方らの誕生は、【世界】の……いや、皆の希望となる事じゃろう』
声の主がシャノンの前に現れて微笑んだ。
逆光で良く見えないが、彼女によく似た姿形の女性だ。
「貴女は……」
『問答している時間はない。行くのじゃ』
「とん」と優しく体を押され、シャノンの意識は——覚醒する。
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