第十話 勝負の分かれ目 王国騎士と女神の使徒③
勝利を掴むためロベルト達は大勝負に乗り出した。
ロベルトはまず、〝風纏加速・範囲化〟を全員に向けて発動すると、マナとの親和性を高め魔術の効率を上げる〝魔律の加護〟の強化術をハーシェルにかける。
次いでディーンに、再度の〝力の加護〟をかけ、自身には視覚を強化する〝慧眼の加護〟の強化術を施した。
「んじゃ、いっちょやったりますか！」
ハーシェルが双剣を眼前で交差させ、瞼を閉じて精神統一の態勢に入る。
それを背に「頼んだぞー！」と声を掛けてディーンが駆け出し、ロベルトもそれに続いた。
『——美しき髪を靡かせ、しなやかに頬を撫で、燃え上がる心を掻き乱す風よ！』
程なくして聞こえて来た詠唱文にディーンが「ぶふっ！」と噴き出す音が聞こえた。
詠唱とはすなわち、魔術を具象化する心象を固めるための儀式。
一般的に、定型文となった文言を用いる事が多いが、決まった形がある訳ではないので、術者の感性に委ねられる部分だ。
個性的な文言に非はない。
「気を引き締めなきゃならん場面で、気が抜けるなぁ」
「ハーシェルらしくていいじゃないか。笑う余裕のあるくらいが丁度良い」
「だな——っと！」
駆けながら会話する二人を狙ってラメドの剣閃が走る。
ロベルトとディーンはそれぞれ逆方向に跳んで躱す。
——と、回避した先に氷塊の雨が待ち構えていた。
「戦場で笑っていられるとは。我らも舐められたものですね」
「全くだ。使徒の名が泣くな」
ラメドとベートから、容赦のない攻撃が飛んで来る。
ディーンは、炎の魔術を纏わせた大剣を豪快に振り回して氷塊を熱と剣圧で蒸発させる。
光線は着弾寸前のところで避け、その後は、一直線にラメドへ突進して行った。
反してロベルトは、強化術の恩恵により機動性が上がり、よく視えるため、平常時では成し得ない縦横無尽な動きでやり過ごした。
直後、ふらつく感覚に襲われて立ち止まる。
（——っ視え過ぎるのも、問題だな）
〝慧眼の加護〟は単に視覚を強化するだけでなく、普段は見えないマナの微細な動きをも捉える事が出来るようになる。
魔術阻害を行使する条件の一つとして、対象者のマナの流れ——マナ機関で言うところの回路、これの構造を正しく把握しなければならない。
そのため、この目で対象者を観察する必要があるのだが、視覚から取り入れる情報量が増えるため、当然それを処理する脳に負担が掛かる。
許容量を超えた情報を取り入れ続ければどうなるか——。
長くは使えない術だ。
「騎士様よ、足が止まっていては格好の的だぞ」
ベートが杖を持ち上げて、地へ振り下ろす。
だが、魔術を発動するための音は鳴らなかった。
『巨巌の鉄槌！』
その前にアーネストの唱えた魔術、巨大な岩石がベート目掛けて落ち、それを避けるために彼が後退したからだ。
ロベルトの横を、銀の風が通り抜ける。
「貴方の相手はこちらですよ」
流れるように鞘から剣を抜いたアーネストが、ベートに斬り込んで行った。
「後方での援護はいいのか？ 眼鏡君」
「ええ。役割交代です」
身体を一回転させ、捻りの加わったアーネストの剣技がベートへ迫る。
しかし、剣が届く前にシンの防壁が発動し、ベートの守りとなった。
「そうか。なら存分に踊るといい」
「カンッ」と高い音が響いて、光の矢がアーネストを囲う。
目に留まらぬ速さで撃ち出されたそれを、アーネストは急所だけは避ける様に最小限の動きで回避して、後は身体に突き刺さろうが構うことなく、魔術の詠唱を始めた。
『愚劣なる者よ 母なる大地の抱擁に眠れ——』
「お、おいおい、避けなくていいのか？」
『烈震せし大地！』
地鳴りがして、ベートの足元が割れる。
ベートはアーネストの奇行に目を丸くしながら、割れ目から逃れるために跳んだ。
『転じて穿て 刺し穿つ大地！』
と、着地点を狙ってアーネストの魔術がもう一発、発動。
だがそちらは結界に阻まれてしまった。
その様子を見届けたアーネストは、短く『治癒』と唱えて淡い光を纏い、ベートへ剣先を向けた。
「負った傷は治せば済む話です」
「は、ははっ！ 豪胆だな！」
ベートが引き攣った笑いを見せて、杖で地を打ち魔術を発動する。
アーネストは被弾に臆することなく前進して——剣と魔術を駆使し、負った傷は治癒術で回復するという、捨て身とも思える攻撃を繰り返した。
普段のアーネストならばまず選ばない戦法だ。
そのような無茶をするのも、この作戦に光明があると信じているからだろう。
ロベルトは、ベートに対抗するアーネストと、負傷した際に飛ぶリシアの援護を受けて果敢にラメドと斬り結ぶディーンを視界に収めて、責任の大きさを噛み締めた。
そして、視るべき相手に視線を移す。
真っ白い聖職者の祭服に身を包んだ、海色の髪を持つ使徒、シンへ。
彼の隣には星色の髪の小柄な少女、ツァディーが立っている。
彼女が何の動きも見せないのは不思議だったが、今はすべき事に注力しようと、ロベルトは思った。
しっかりと、観察する。
見落としのないように、彼が魔術を行使する時のマナの流れ、構造をじっくりと。
『さざめけ、ざわめけ！ 転んで跳んで、攫ってひっくり返せ！』
ノリが良く、キレのあるハーシェルの声が響く。
熱の入った詠唱文は絶えず先程から聞こえていた。
そろそろ詠唱も終盤だろう。
『風の唸りに響かせろ情熱！
吹き荒べええぇ！！』
戦場に風が吹く——。
女神の使徒達の立つ場所に、風の流れが生まれ、勢力を増して渦巻いた。
発現しようとする魔術の兆候に気付いたシンが、両手を広げて天を仰いだ。
『女神の恩寵は此処に 御身の尊き両翼にて、我らをお守り下さい』
シンの詠唱が聞こえた次の瞬間。
『白南風の烈風！』
ハーシェルの魔術が完成する。
途端に激しい風が巻き起こり、とある一点を起点に旋風となって女神の使徒達を襲った。
『神聖なる翼盾の恩寵』
シンが翼を思わせる結界を発動して、ラメドとベートが舌打ちしてそちらへ退避して行く。
それに合わせてディーンとアーネストも魔術の効果が及ばない場所へと下がった。
烈風がシンの展開した結界の周囲を吹き荒ぶ——。
「はっははは！ どーよ、オレの魔術は！」
ハーシェルは腰に手を当てて胸を張り、得意気だ。
「こりゃまた派手だなぁ」
「詠唱文のチョイスは正直どうかと思うけどな」
「魔術は心象だろー、あれが一番しっくりくるんだよ」
ハーシェルの上級魔術は強化術の恩恵もあるのだろうが、思った以上の威力だ。
戦場を掻き乱して余りある勢いを発揮していた。
この乱流では、使徒達の視界はゼロに近いだろう。
だが、ロベルトにはよく視えており、お陰でシンとついでにベートのマナの結点を確認出来た。
「ハーシェル、上出来だ。今度はこちらの番だな」
「副団長、ファイトっす！」
状況は整った——と、ロベルトは切り札を切る。
ここが勝負の時。
指先を対象へ向け、狙いを定める。
魔術阻害を施す二つ目の条件。
『一、二、三、四』
それは体内の結点に楔を穿つ事。
強化術の応用でそれを為す。
『五、六、七、八』
打ち込む楔は全部で十一。
そこを起点としてマナの流れを断ち切るのが、魔術阻害だ。
『九、十、十一！』
シンとベート、両名へぬかりなく打ち込み——。
発動の条件は揃った。
風が収まって視界が晴れて行く中、挨拶代わりといわんばかりにラメドの剣閃が走る。
攻撃を避けるため皆が散り散りに飛び、ロベルトを残して攻撃に転じるため向かって行った。
使徒達は健在だ。
（だが——これで。流れを引き寄せる！）
ロベルトは対象を視界に捉え、魔術の起動に術の名を叫ぶ。
『閉塞せよ、十一の門！
封結・魔術阻害！』
楔を打ち込まれたシンとベートに黒い稲妻が落ちた。
その体に黒く色を変えた鎖状のマナが絡みつき、二人が膝を折る。
「これは——マナの、流れが……？」
「くそっ、何だ！？」
「シン……！ ベート……！」
どうやら無事に成功したようだ。
突然倒れ込んだ二人の使徒の傍で、ツァディーがおろおろとしている。
「おっしゃ！」
「成功ですね！」
「今のうちに畳みかけるぞ！」
まともに動けるのはラメドだけ。
得物を構えた三人が斬り込んでいく。
少し遅れてロベルトも、剣を携えて駆けた。
「小細工を！ まとめて消し飛ばしてあげましょう」
ラメドの剣が、これまでにない眩い輝きを放ち、剣身に宿る波動が厚みを増した。
「悪いがその一撃は振らせないぜ！」
ラメドの相手となったのはディーンだ。
振り抜かれようとする剣を大剣が阻む。
ハーシェルとアーネストは彼女の横を通り過ぎ、シンとベートへ迫った。
最優先で落とすべきは、シン。
「その首もらった！」
無防備に膝をつき苦悶するシンに、ハーシェルの双剣が振り下ろされる。
——だがその横で、ベートがにたりと口角を上げた。
「……なんてな。ツァディー！」
「飛んで……っ！ 〝アルタイル〟！」
狼狽えていたはずのツァディーが、凛々しい表情で空へ向かって輝く何かを投げ、刹那、視界が閃光に飲まれる。
奪われた視界の中で——。
「うああっ！！」
「ぐぅッ！」
「がは！」
——仲間達の叫び声が響いた。
何が、起きているのか。
それを知る前に、ロベルトは熱を帯びた何かに身体を貫かれた。
四肢に激しい痛みが走る。
そして——。
「茶番は終わりです。王国の騎士達よ、お眠りなさい」
抑揚のないラメドの声と共に再度、視界が閃光に飲み込まれた。
勝ちを確信した時こそ、最も警戒せよ。とは誰の言葉だったか。
見えた勝ちの目に、抱いた慢心が招いた事態。
ロベルトは己の判断の甘さを悔いながら、身を焦がす痛みに瞼を閉じた。
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