第一話 出立の朝、和やかなひと時
聖歴二十五年 ルビー月一日。
早朝。空の闇が昇る太陽に照らされて、朝焼けの橙色に染まる頃。
ルーカス達は北の大神殿へ向かうため、聖都の北門に集合していた。
イリアの話によると、目的地は馬を数時間走らせた場所にあるとの事。
徒歩では時間が掛かるため、彼女は自分に与えられた教団内の権限を行使して、移動のために軍馬を手配してくれた。
今は軍馬を管理している厩務員が馬を引いて来るのを待っているところだった。
「神殿への道は、特にこれといった障害のない平野。ここから北上すればいいわ」
「迷う要素はなさそうですね」
「でも、手前の森は天然の要害よ。人を遠ざけるためにあえて道が整備されていないから、馬で行けるのはそこまでね」
「なるほど。森の様子を詳しくお伺いしても良いですか?」
「うん。この森は〝カルディエヌ〟と呼ばれていて——」
ロベルトとイリアが、地図を広げて移動経路を確認している。
その様子を見聞きしながら、ルーカスは夜明け前に入ったゼノンからの通信内容を思い起こしていた。
ピアス型のリンクベルが「リリリン」と、軽快な呼び出し音を鳴らしたのは、夜明け前。
『牢に拘束中のジュリアスが死んだ』
応答して飛び込んできた一報は、寝起きで惚ける頭を目覚めさせるには、十分な衝撃だった。
「な——」
ルーカスは驚きに声を荒げそうになったが——静かな寝息を立て、寄り添うように眠る彼女の存在に気付き、口を噤んだ。
銀色に輝く長い睫毛の生えた瞼が勿忘草色の瞳を隠し、穏やかな寝顔を見せている。
目覚めるにはまだ少し早い時間だ。
ルーカスは彼女を起こしてしまわないように、と細心の注意を払ってベッドから抜け出すと、場所を隣の部屋へ移して会話を続けた。
「……ジュリアスが死んだ時の状況は?」
自殺の線は低いだろうと、ルーカスは踏んでいた。
戦場で対峙しただけだが、あの手の人間は、意地汚くも生き残ろうとするものだ。
『見張りが立っていたんだけどね、可笑しな事に誰も気付かなかったんだ。遺体は……獣に食い荒らされていた。酷い有様だったよ』
ルーカスは眉を顰めた。
ジュリアスはアディシェス帝国の皇子。
彼の立場と、情報を得られると期待していたのもあって、警備は厳重だった。
誰にも気付かれず、どこぞの獣が侵入する余地などない。
とすれば考えられるのは、何者かが意図的にそれを行ったという事だ。
「アディシェス帝国……魔神の手の者による犯行、口封じか」
『恐らくはね。……すまない、私の失態だ。君の徒労を無駄にしてしまった。あちらの実態を知る、絶好の機会だったというのに』
悔しさに沈んだ声。
リンクベル越しに、ゼノンが歯を噛み締める様子が想像出来た。
「過ぎた事は悔やんでも仕方ない。帝国と魔神も気掛かりだが、今一番の問題は教皇聖下が実行しようとしている、惑星延命術式の改変だ。
止めなければ甚大な被害が出る」
『……わかっているよ。君に話したのは、もしかしたら私達の内部に、帝国側の協力者がいるかもと思ったからだ。こちらも準備が出来次第そちらへ向かうつもりだが、現状では君達が頼りだ。くれぐれも気を付けて。
——ルーカスの武運を祈る。
成し遂げて、無事に帰って来てくれ』
それは皇太子という立場からだけでなく、友としての憂慮も含まれた言葉だ。
「ああ、任せておけ。ゼノン」
寄せてくれる信頼と、案じてくれている事を素直に嬉しく思いながら、ルーカスは胸を張って答えた。
自分だけでなく多くの人々の命を負う大任。
神秘という強大な力を宿した女神の使徒との対峙は避けられず、全容の見えない魔神の脅威もあって不安は尽きない。
だが、想いを貫くと決めたのだ。
ルーカスに迷いはなかった。
ルーカスが回想を終えると「また、考え事?」と、心地よい高音域の声が鼓膜に響いた。
瞬きをして前方を見ると、ロベルトと会話していたはずのイリアが一人で目の前に立っている。
ロベルトは何処へ行ったのか——と視線を彷徨わせると、厩務員に引かれて来た軍馬を受け取りに行っていた。
イリア以外のメンバーも一緒だ。
視線をイリアへ戻すと、青空よりも澄んで淡い勿忘草色の瞳が問い掛けて来る。
「何を考えていたの?」と。
「大した事じゃない、今朝の通信を思い出してただけだよ」
そう告げれば、イリアは表情を曇らせて瞳を伏せた。
通信の内容は彼女も知っている。
「帝国、魔神……。本当は、私達がこんな風に争ってる場合じゃないのにね」
見えない敵の影。
ジュリアス暗殺の裏側にある意図。
魔神の脅威がすぐ近くにあることを、彼女は理解している。
それに——これから弟と対峙する事になるのだ。
その事に対して思うところも、やはりあるだろう。
ルーカスは憂わしげなイリアの心身が心配で、無意識の内に彼女の頭へ手を伸ばしていた。
「大丈夫か? また、無理してないか?」
手触りの良い髪を撫でれば、くすぐったそうに身じろぐ姿が見られた。
伏されていた瞳が上目遣いに、見つめて来る。
「大丈夫だよ。不安はちょっとあるけど、昨日話せた事で気持ちは固まってるし」
「本当か?」
「本当。そんなに心配しなくても、辛い時はちゃんと言うから」
「そうしてくれ。一人で抱え込むなよ」
「……もう、心配性なんだから」
会話のキャッチボールを繰り返すうちにイリアの表情が和らぎ、若干の困り顔で溜息を付かれた。
そうは言ってもこの性分は簡単には変えられない。
「仕方ないだろ? それだけイリアが大切で特別なんだ」
と、耳元へ顔を寄せて囁けば、耳を赤くしたイリアから「ル、ルーカス!」と上擦った声が聞こえた。
正面に向き直ると、頬を赤くして恥じらうイリアの姿がある。
憂い顔よりこちらの方が断然良いな、と悪戯心を抱きながら、ルーカスは頬を緩ませた。
そんなやりとりを繰り広げていると「ごほん、ごほん!」とわざとらしい咳払いが聞こえて、ルーカスは音がした方へ視線を向ける。
馬を引いたロベルトが、手綱を握っていない方の拳を口に当てて、気まずそうな表情を浮かべていた。
ついでに全員の注目がこちらへ集まっている。
微笑ましそうに見守る双子の姉妹、視線を逸らして黒縁眼鏡のブリッジを押し上げるアーネスト、黒瑪瑙の瞳を輝かせるリシア、仏頂面で感情が読めないフェイヴァ——と、反応は様々だ。
「いやー、初夏だって言うのに、真夏みたいに暑いっすねぇ」
「お二人さーん、イチャつくのは構わんが、続きは全部終わってからにしてくれよー」
薄ら笑いを浮かべたハーシェルとディーンから揶揄が飛ぶ。
イリアは恥ずかしさに居た堪れなくなったらしく、好奇の目から逃れるようにルーカスの背へ隠れた。
背後で「ルーカスのバカ」と、低い音調で恨みがましく呟かれる。
公衆の面前で少しばかりやりすぎたか、とルーカスは己の行動を自省しながら、気恥ずかしさにほんのり頬が熱くなるのを感じた。
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