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【過去編開幕】終焉の謳い手〜破壊の騎士と旋律の戦姫  作者: 柚月 ひなた
第一部 第四章 隠された世界の真実

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番外編 イリア・ラディウスの受難 離さないで 見放さないで! 話さないで!?

 ※時間軸は第四章・第三話~第四話の間。

 イリアは今、人生最大の——いや、二度目かもしれない——危機(ピンチ)を迎えていた。

 数日前に想いを通じ合わせ、恋人となった青年によって。


 どんな危機(ピンチ)か?


 ——端的に言えば、押し倒されていた。


 恋人同士なのだからそれ事態は問題ない。

 自然とそういった事を経験する時も来るのだろうな、とイリアも思っていたし、好きな相手と触れ合う事に抵抗もない。


 ならば何故、危機(ピンチ)であると感じているのか。


 それは押し倒されている場所——(かた)無機質(むきしつ)な冷たさを感じる机の上である事と、状況——書類仕事の合間、息抜きのティータイム中に、突飛な行動を取った彼の正常ならざる様子にあった。


 どうしてこんな事になったのか、思い返して見る。






 二人は王国からの任務を受けて、ともに任地へ(おもむ)くため、船で移動中だった。


 書類仕事をこなす彼のため、紅茶を()れるのはイリアの日課。

 船内でもそれは変わらず、いつもと同じように過ごしていたのだが——事件は唐突に起きた。


 お茶菓子を(いただ)き、紅茶を飲み干したルーカスに名を呼ばれて「お茶のおかわりかな?」と思って、机に向かう彼へ近付いたら——。


 両手を拘束され、書類が散乱するのもお構いなしに机の上へ押し倒されていたのだから、わけがわからない。



「……イリアは、いつ見ても可愛いな。愛してる」



 そう(つぶや)いて大きな手でイリアの頬を撫でた彼——ルーカスを、状況が飲みこめないまま見上げる。


 襟足(えりあし)で束ねられた漆黒(しっこく)の長い後ろ髪が、右に見える肩から()れ下がっており、少し視線を顔の方へ向けると、目尻に二つの泣き黒子が見えて、こちらを見下ろす柘榴石(ガーネット)のように(あか)く切れ長の瞳と視線が合った。


 先程まではしっかりと見開かれ、書類の文字を追っていたはずの瞳はとろんとしており、どこか眠たそうだ。


 端麗(たんれい)な容姿を幸せそうな満面の笑みで崩れさせ、顔全体が不自然に赤らんでいる。


 いつもは冷静沈着で、几帳面(きちょうめん)な彼の性格を(あらわ)すかのように()まりのある表情は見る影もない。


 彼が正常な状態にない事は一目瞭然(いちもくりょうぜん)

 そしてこのような彼を見るのは二度目であった。



(……お酒、だよね……)



 一度目、ルーカスが(あやま)って飲酒をした際に見せた様子と非常に酷似(こくじ)している。

 彼はお酒に滅法(めっぽう)弱く、一口でも含むとダメなんだとか。


 あの時も色んな意味で、大変な目にあった。


 しかし、ティータイムにイリアが用意したのはただの紅茶と、チョコレート菓子。


 お酒の要素は微塵(みじん)もない。

 一体どこに問題があったというのか——。






 思い返しても、何故このような状況になったのかわからない。


 どう切り抜けようか、と考えを巡らせようとしたところで、イリアは唇に(やわ)らかな感触を感じた。


 次いで(こう)ばしくビターな香りとほんのり酒気(しゅき)(かお)って、生温かいものと(にが)みが口内へ広がって行く。



「ん……っ!」



 ルーカスに口付けされたと気付くのに、そう時間は掛からなかった。


 イリアにとっては初めての口付け。

 〝ルーカスと〟というだけでなく、これまでに誰かとこのような事をしたことはないので、(まさ)しく初めての口付け(ファーストキス)だ。


 チョコレートとお酒、双方の香りと苦みを帯びた甘ったるく熱い口付けに、息苦しさも加わって眩暈(めまい)がしそうだった。


 けれど、息が上手く出来ず苦しいはずなのに、何故か心地良い。


 好きな人と触れ合う多幸感(たこうかん)、だろうか。

 (あらが)えず歓喜(かんき)した心臓の鼓動が跳ね上がり、彼の熱が移ったかのように頬が熱を持った。


 流されては危険だとわかっているのに、離れたくない。


 離さないで、このまま——と、雰囲気(ふんいき)に飲まれてそんな気持ちを(いだ)いてしまうが、一周回って冷静に考える。


 ルーカスが正気を取り戻した時、酔った流れで事に(およ)んだと知ればどう思うか。


 ——生真面目(きまじめ)でストイックな彼の事だから、間違いなく罪悪感を(いだ)く。


 前回を例に挙げれば、酔っている間の記憶は飛んでしまう様なので、覚えていない事で尚更、自分を責めるだろう。


 そして何より。

 今は職務中。

 しかも真昼間(まっぴるま)


 任務に赴くのは二人だけではなく、他に大勢の騎士団員が乗っていた。


 彼らも昼間はそれぞれ、船の中で出来る職務、ルーカスの様に書類仕事等をこなしていて、時折、団長であるルーカスの元——つまりここへやって来る。


 如何(いか)に個室でプライベートな空間であろうと関係ない。


 人によってはノックもなしに入って来る。


 自分達が恋人である事は知られているが、それとこれとは話が別。



(早く、何とかしないと……!)



 しかし両手は押し倒された時のまま、頭の上で拘束されて動かない。


 唇も(ふさ)がれているため、言葉を発して(さと)す事も、歌を(つむ)いで魔術を発動させる事も出来ない。


 八方(ふさ)がりだ。


 その内、唇は解放してくれそうだけど、イリアは嫌な予感がしていた。

 昔から感は良い方で、こういう予感は()れなく当たる。



(女神様、お願い。見放(みはな)さないで!)



 打つ手がない状況に、イリアは(まぶた)()せて女神に祈った。






 ——すると、(しばら)くして。


 祈りが通じたのか、唇が解放された。

 すかさずイリアは睡眠作用のある魔術を、歌で(つむ)ぐ。



『い、(いと)し子よ お眠りなさい

 マナのゆりかごに(いだ)かれて


 ()せるはまほろばの幻夢(げんむ)

 (なげ)き苦しみはここにない


 現世(うつしよ)を忘れ (おだ)やかなる時に微睡(まどろ)みなさい

 愛し子よ——』



 歌声を聞いたルーカスは、程なくして夢に(いざ)われ、(まぶた)を伏せて支える力を失った彼の頭がイリアの胸元に落ちた。


 腕の拘束も(ゆる)んで、いつでも抜け出せる。



(……良かった)



 誰かが来る前に、暴走するルーカスを止められて。

 と、イリアは安堵(あんど)のため息をついた。


 ——そこで油断したのがいけなかった。



「だんちょー、今日の分の書類なんすけど……」



 ノックもせず扉を開けて、金髪の青年騎士ハーシェルが部屋へ入って来た。

 始めは手元の紙を見ていた彼の緑玉(エメラルド)の瞳が、イリアの方を向いて——。


 イリアとハーシェルの視線がぶつかり、二人は同時に「あ」と声を発した。


 ルーカスは眠っているが、(はた)から見たらイリアを机の上へ押し倒して、胸元に顔を(うず)めている様にしか見えない。


 誤解しか(まね)かない構図(こうず)だ。



「ち、違うの! これは——」

「すんません、お楽しみのとこお邪魔しました! 大丈夫っす、オレ誰にも話さないんで!! どぞ、ごゆっくり!!」



 慌ててイリアは弁明(べんめい)しようとしたが、ハーシェルはにんまりと良い笑顔を浮かべてウインクと敬礼をし、そそくさと退出していった。



(あ、ああ……あああ!!)



 イリアは心の中で悲鳴を上げた。


 ハーシェルは誰にも話さないと言ったが、お調子者で軽い印象を受ける彼が、本当に誰にも話さない保証はない。


 羞恥心(しゅうちしん)と、ルーカスの名誉(めいよ)を守れなかった事に対する不甲斐(ふがい)なさと——。


 ともかく、色んなものがごちゃ混ぜとなって、叫ぶしかなかった。



(いやあああ!!)



 ——心の中で。






 ハーシェルは意外にもイリアが「話さないで!」と口止めするまでもなく、言い触らすような事はしなかった。


 その代わり、顔を合わせる度に揶揄(からか)うような笑顔であれこれと聞かれ——イリアは羞恥心(しゅうちしん)(さいな)まれる事になる。


 そして、恋人が暴走した原因は、チョコレート菓子。


 ボンボン・オ・ショコラと呼ばれる、中に詰め物(フィリング)が入ったチョコレートだったのだが、お酒入りの物が(あやま)って混じってしまったらしい。


 それをイリアへ渡したのはルーカスの妹シャノンで、ルーカスが己の失態と、妹のやらかしに気付くのは船旅が終わりを迎える頃。


 ルーカスはイリアに全身全霊、誠意の(こも)った謝罪と土下座を披露(ひろう)した。


 シャノンはというと。

 珍しくお(かんむり)のルーカスに、(とが)められたのは言うまでもない。


 彼の体質はシャノンも承知(しょうち)の上。

 残念ながら彼女の落ち度は否めず、(かば)いようがなかった。



 読了ありがとうございます。

 奥手過ぎるルーカスの暴走第二弾です。


 こちらはお題で書いたお話なのですが、これがなければ二人の初キッスは第十一話まで預けに……。

 それまで一切手を出していなかった模様。

 何たる堅物、(はがね)精神(メンタル)


 普段抑制しすぎてるから、お酒で暴走するんでしょうね。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



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