第二十五話 愛に狂う者
一切の手出しを許されなかった宴が終わり、ルーカスは後味の悪さを噛み締めていた。
それは恐らく皆が感じており、未だ観衆の声で騒がしい広場とは反対に、重苦しい沈黙が場に流れている。
彼らがやって来たのは、そんな時だ。
突如、壁に佇んでいたフェイヴァが後ろ背に収納した槍を構えて、翡翠の瞳を細めると、これまでどうやっても開く事のなかった宮殿へと続く扉が開かれた。
扉より現れる人物が誰であるのか。
視認するよりも早く誰かが飛び込んで来て、振り下ろされた何かを、フェイヴァの槍が受け止めた。
「ギインッ!」と金属のぶつかる音が響き渡る。
「——いいねェ!
勘の良いヤツは好きだぜぇ!」
楽し気な男の大声音が轟き、反射的に皆が武器の柄へ手を伸ばして、開いた扉を注視した。
まず目についたのは、紅鳶色に金色のハイライトが入った、獅子のたてがみのような髪だ。
そのように派手な髪型をした男が、二本を交差させたフェイヴァの槍に、重厚な筋肉と手甲に覆われた拳を打ち込んでいた。
腕もさることながら、全体の体格も筋肉で豪快としており、粗野な印象を受ける。
ルーカスは男を、戦場で幾度か見かけた事があった。
【剛毅】のテット。
戦闘狂として知られ、忌諱されている女神の使徒だ。
フェイヴァは鍔迫り合いとなったテットを強引に押し返すと、飛び退いた。
ちょうどルーカスの隣へ並ぶイリアの前に退避する形となり、フェイヴァは来訪者達を一瞥した後に、槍の穂先を扉の奥からやって来る〝彼〟へと向ける。
「運命……聖下の御前だ。お前も使徒であるなら、得物を納めて敬意を払え」
低音域だが女性のものとわかる透明感のある声が、フェイヴァをカフと呼んで咎めた。
声の主はラメド。
遠目にも輝いて見える白銀の鎧を身に着けた彼女が、フェイヴァを睨みつけた。
「オレが敬意を払うのはただ一人。使徒の名を戴き、教皇の犬になった覚えはない」
珍しく饒舌に語ったフェイヴァの穂先は〝彼〟——悠然と姿を現わし、純然たるマナと同じ銀色に輝く髪、精美な灰簾石の瞳、何色にも染まらぬ白の祭服を纏った、気高く美しい青年、教皇ノエルを捉えていた。
両翼に聖騎士長アイゼンと、六名の女神の使徒——魔術師、剛毅、正義、死神、悪魔、審判——を従わせて、威風堂々たる風貌を見せている。
フェイヴァの言動に動じないノエルに代わり、感情を露わにしたのはラメドだった。
「この痴れ者が! 雲隠れした隠者といい、何故、揃いも揃ってこうも無礼なのだ!」
ラメドが憤慨して白銀の剣の柄を握った。
彼女は使徒の中でも、教皇への忠誠心が抜きん出て高いと、ルーカスは記憶している。
感情の起伏が少なく、怒りに任せて行動を起こすタイプには見えない彼女だが、忠誠心の高さが〝使徒の本能〟に直結するものであるなら、本能が色濃く働いた結果故の言動なのだろう。
「姐さん、こういう奴は、力で捻じ伏せりゃあいいんだよ」
テットが舌なめずりして、値踏みするような視線を向けて来た。
二人はすぐにでも、襲い掛かって来そうな雰囲気だ。
そんな彼らの間に立つノエルは至って冷静に微笑を称えており、一歩前へ踏み出すとラメドを手振りで制した。
「いいんだ、ラメド。姉さんの〝盾〟を自称するなら、これぐらいの気概がなくてはね。
テットも今は下がれ」
「何でだよ! 一番槍はオレって約束だろ!?」
「『今は』と言ったんだ。言葉の意味は……わかるだろう?」
低くて威圧感のある声が、響く。
イリアと同じ青い瞳が、欠けて行く月のように細められ、殺気が極寒を感じさせる冷気となってノエルから放たれた。
あの若さでどこまでの闇を経験すれば、このような鋭く冷たい殺気が放てるのか——あまりの気迫に、戦場で修羅場を幾つも経験してきたルーカスでさえ、身震いしそうだった。
「わ、わかったよ、待つって!」
至近距離で浴びたなら、たまったものではないだろう。
テットはすっかり気圧されたようで、後退りながら必死に頷く姿が見えた。
「良い子だ」
ノエルはテットの肩を叩くと、また一歩前へ出た。
フェイヴァに向けられた槍を恐れる様子など微塵もない。
距離を詰めたノエルの指先が、伸びた穂先に触れて、押し退け。
「そう警戒せずとも、話をするだけだ」
と、すれ違い様に告げて、フェイヴァの横を通り抜けた。
フェイヴァは槍の角度を変えて、穂先をノエルの背に向けている。
ノエルはそれすら楽しむように口角を上げ、靴音を鳴らして一歩ずつ着実に、歩を進め——。
そうしてルーカスとイリアの眼前へ辿り着くと、好青年然とした清らかな微笑みを浮かべて見せた。
先程までの殺気は、どこへやら。
まるで別人のようだ。
「久しぶりだね、姉さん、英雄殿」
「……ノエル」
「教皇聖下にご挨拶申し上げます」
ルーカスは胸に手を当て、瞼を伏せて頭を下げた。
彼に思うところはあるが、神聖国の国主であり、教団の頂点を担う相手に、礼を尽くさない理由にはならない。
下げた頭を持ち上げると——「パンッ」と乾いた音が、ルーカスの耳に届く。
隣に居たはずのイリアが怒哀の入り混じった面持ちでノエルに詰め寄って、右手を不自然な位置に掲げていた。
傾いたノエルの横顔から察するに、イリアが彼の頬を張ったのだろう。
ノエルは張られた頬を気にする素振りもなく、微笑みを崩さずに顔の角度を正面へ戻した。
「そんな顔しないで、姉さん」
イリアと変わらないくらい白く、けれども彼女よりも大きなノエルの手が、イリアの頬を撫でる。
「悲しむ必要はないよ。奴らはこれまで散々、僕らをいい様に扱ってくれたんだ。当然の報いさ」
「だからってこんな強引なやり方じゃ、何も解決しない。惑星延命術式の事も、そうよ」
眉尻を吊り上げたイリアが、ノエルの言葉を否定するかのように、その手を払い落とした。
「お願いノエル、もう止めて! 今ならまだ、別の方法だって——」
同じ瞳の色を持つ、二人の視線が交差する。
懇願するイリアに対し、ノエルは微笑みにもの悲しさを乗せて、難色を示した。
「残念だけど、時間がないんだよ。わかっているだろう? それに正直、世界の人々がどうなろうと、知った事じゃない。僕は姉さんを救えるなら、何だってする」
「どうして、そこまで……っ」
感情の波に乗せられて、彼女の瞳が大きく揺れ動いている。
ノエルは払い落とされた手を再度、イリアの頬へ添え——柔らかな眼差しで、屈託のない笑顔で、甘やかに語る。
「僕の宝石……。たった一人残された、家族。姉さんを愛しているからだよ。
……〝愛〟に狂うのは、一族の性質かもしれないね」
イリアが息を飲み、勿忘草色の瞳を大きく見開いた。
ノエルの表情を見れば、嫌でも理解する。
彼は心底、イリアを大切に、愛おしく思っているのだと。
執着、狂愛……。
家族へ向ける親愛と呼ぶには重く、深く。
歪だけれども、純粋な〝愛〟を、ノエルは抱いているのだ。
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