『幕間 不穏の影⑧ 時は満ちた』
曰く、この世には七つの罪源が存在すると言う。
<傲慢>、<強欲>、<嫉妬>、<憤怒>、<色欲>、<暴食>、<怠惰>。
人間を罪に導く可能性がある欲望や感情。
これらは誰しもが少なからず持っているものだ。
ならば何故〝大罪〟と位置付けられているのか？
その謂れは、教団に蔓延る俗物どもを見ていれば納得出来た。
聖歴二十五年 パール月二十九日。
アルカディア神聖国・聖都フェレティ。
聖都へ戻ったノエルはオーラム神殿の地下祭壇で祭儀を済ませると、教団に巣食う病巣、枢機卿団と言う〝悪〟を断罪するため行動を起こした。
——時は満ちた。粛清の始まりだ。
歴史ある教団本部、ディラ・フェイユ教皇庁の荘厳な白塗りの宮殿は、女神の使徒を中心とした教皇派の勢力によって、枢機卿派の教徒の血で染まった。
教団軍部の頂点は名目上、聖騎士長のアイゼンとなっているが、実権は枢機卿団が握っている。
こちらの動きを察知した枢機卿は、軍事力を用いて抵抗した。
だが、一介の聖騎士や魔術師兵が、神秘を授かった使徒に敵うはずもない。
結果、無駄な抵抗に、無駄な血を流す事となった。
けれど、予想の範疇である。
（何事にも犠牲はつきものだ。痛みなくして変革は為し得ない）
ノエルは苦しみに悶える教徒へ脇目を振らず、枢機卿の居城と化した宮殿の、鮮血に塗れた廊下を、護衛に就いたアイゼンと共に進み——〝枢機卿会議の間〟へと足を踏み入れた。
ここは会議や決議を行う場。
部屋の中央・最奥に、先行した三人の女神の使徒によって、八人の枢機卿が捕らえられていた。
彼らがいるのは、一際大きな女神像が置かれた祭壇の前。
ノエルは数百人は優に着席可能な、扇状に設けられた席の合間を縫うように歩んだ。
広い室内に靴音が木霊する。
視界に入った壁には、女神に関連した絵画や彫像が飾られていた。
絵画は著名な画家が描いたもので、彫像は金や宝石が至るところに使われている。
見るからに値が張るであろう品々だ。
見上げる事はしないが天井も意匠の凝らされた造りとなっている事を、ノエルは知っていた。
（惜しみなく財力を投じたとわかる内装の意図は、女神への忠誠と敬愛を表すためだと言うけど……苦しい言い訳だ）
意図を考慮したとしても、この部屋に限らず、宮殿の内部は過度に贅沢な品で溢れている。
傲慢でプライドが高く、見栄っ張りで強欲な奴らの独断と偏見——権力を誇示しているに過ぎない。
ノエルとアイゼンが祭壇の前へ辿り着くと使徒の一人、アイゼンと同じ聖騎士の証である白銀の鎧を纏ったラメドが、頭を低くして礼の姿勢を取った。
彼女の頭頂部で束ねられた長い蜂蜜のような金髪が、重力に従って揺れ落ちる。
「聖下、閣下、お待ちしておりました」
「ご苦労様、ラメド。それに〝ヌン〟と〝テッド〟もよくやってくれたね」
ノエルはヌンとテットと呼んだ使徒へ視線を向ける。
するとヌン——教団のシンボルカラーである白を基調とした、女性用の軍服を身に纏った、中世的な顔立ちの使徒が、こくりと頷いた。
彼女は【死神】の神秘を宿す使徒。
その手には、女性の平均より少し高めの身長よりも丈のある、黒塗りの大鎌が握られている。
雪のように白い肌に、目尻の上がった夕焼けを思わせる紅玉髄の瞳。
顎のラインで切り揃えられた髪は、得物と同じく黒色で、毛先は色が抜けたのか灰色のグラデーションが特徴的だった。
そしてもう一人。
「ノエルサマ、こんな狸と豚どもじゃ、準備運動にもなんねェよ。
招待客の到着はまだか？」
軍服の前面をオープンにして着崩し、筋肉質で粗野な印象の男性が首の骨を鳴らしてぼやいた。
彼は【剛毅】の神秘を宿した使徒、テット。
獅子のたてがみのように逆立った、金色のハイライトが入る紅鳶色の髪と、獰猛な獣を思わせる鋭い榛色の瞳がギラリと光った。
テットは使徒の中でも好戦的な性格で、拳を武器に戦う事を生き甲斐としている。
所謂、戦闘狂というヤツだ。
聖地巡礼には同行させず、枢機卿を監視するため本部へ残した事で、退屈な日々を過ごしたのだろう。
「アインが昨日の内に招待状を届けているから、直に来るだろうさ。そう心配しなくとも、君の気に入る獲物がいるはずだよ」
「なら、一番槍はオレだ！ いいだろ？」
テットが手甲を組み合わせて関節を鳴らし、犬歯を覗かせて笑った。
「好きにするといい」
反対する理由はない。
頷いて了承の意を示せば、テットが「うっし！」とガッツポーズを決めて喜ぶ姿が見られた。
ノエルは足元に転がる、枢機卿達を見下ろした。
手足を縛られて拘束されているが、五体満足で傷一つない綺麗な状態だ。
「歯向かう者は容赦なく排除しろ」と使徒達に伝えたが、こいつらは別だ。
この手で直々に裁きを下すため、生け捕りを命じた。
枢機卿達は怯えた表情を浮かべて、しきりに口を動かしている。
だが、発せられるはずの音は一切聞こえない。
使徒達と会話を交わす間、やけに静かだと思ったが、ヌンの魔術〝静寂なる刻〟——声を一定時間、封じる術を掛けられたのだろう。
ノエルは彼らを見渡して、そこに見つけた一人の枢機卿の元へと歩みを進める。
自分より才ある者に嫉妬心を向けては憤怒し、策を巡らせて現在の地位に就いた醜悪な豚。
権力に物を言わせて色欲と暴食の限りを尽くし、長らく続いた歪んだ体制を、正すどころか後がないと知っても変革を拒んで、怠惰にも縋りつこうとした大罪人。
高価な装身具を身に着け、純白の祭服を纏ってはいるが、聖職者には似つかわしくない、肥えて見苦しい肉体の老害——。
ジョセフ・ライネス主席枢機卿の元へと。
「これまで受けた屈辱を返しに来たよ、ジョセフ」
ノエルはその傍らに立つと、皮肉を込めて笑顔を浮かべた。
腹ばいとなったジョセフは、毛が生えずつるりと光る頭と額から、脂汗を大量に噴出させていた。
休みなく口を動かして、申し訳なさそうな表情を作りながら、音とならない言葉で必死に語りかけて来る。
大方、我が身可愛さに弁明でもしているのだろう。
ノエルからすればジョセフのそんな姿は、滑稽で愉快だった。
「くくっははは！ 立場が逆転したね？ 今度は僕がお前に痛みを与え、尊厳を踏みにじるんだ。
弱者の側に回った気分はどうだい？」
ノエルはジョセフの顔が良く見えるようにしゃがんで、覗き込んだ。
頬の肉塊に押されて見辛かった茶色の瞳がノエルを、親の仇を見るような目で睨みつけた。
そうした後、ジョセフはノエルの後ろへ立つアイゼンへと視線を向けると、怒り狂ったように顔を赤くして、まくし立てた。
依然、魔術の効果が続いているので、声は音として聞こえない。
一体何を喚き散らしているのやら——と、ノエルがアイゼンへ視線を動かすと、蔑むように冷たく鈍い瑠璃色の瞳が、ジョセフを眺めている。
訴えが終わるとジョセフは息が切れたのか、痰が絡まり不快感のある呼吸音を生じさせた。
アイゼンはというと瞼を伏せて、やれやれと言った風に首を横に振っている。
唇の動きで言葉を読み取る事など、アイゼンにとっては造作もない事だろう。
「ジョセフ枢機卿、そのご命令は承諾しかねます。何か勘違いされているようですが、私は教皇聖下の剣です。
取引に応じ、これまで枢機卿団へ従って来たのは、聖下の御身を案じたがため。
呪詛の心配がなくなった以上、人を謀り食い物とする下劣な豚——罪人に付き従う理由はありません。
……仮にも女神様に仕える者なら、最期くらい潔い姿を見せて下さい」
アイゼンの返答にジョセフが目を見開いた。
呪詛という枷の消失もそうだが、こいつらはアイゼンを懐柔したつもりでいたはずだ。
驚くのも無理はない。
「残念だったね？ アイゼンは僕の忠臣。お前らの駒ではないよ。それと悪魔を体よく利用していたようだけど、彼女も僕のしもべだ」
アイン——ディアナがこいつらと繋がっていて、度々、別件で動いている事は知っていた。
知っていて捨て置いた。
こちらが察知していることを彼女自身も悟っていたし、害にはならなかったからだ。
ノエルは愚かな罪人を鼻で笑って立ち上がると、これ見よがしに片手のひらを向け、告げる。
「罪人を磔刑に処す。現身は神槍で貫かれ、穢れた魂は聖なる炎で浄化された後、マナとなり惑星へ還るだろう」
ジョセフが青ざめてカタカタと震えている。
他の枢機卿も似たようなものだ。
中には封じられた声の代わりに、表情で「自分は悪くない」と、慈悲を懇願する者も見えるが、ここにいる八人の所業は語るにも悍ましいもの。
同情の余地はない。
「君達の罪は、惑星命術式を維持するための糧となる事で、贖われる。
だから、僕に感謝するといい。
搾取する事しか能のない無能な君達に、死を以って大事な役割を与えてあげるんだからね」
溜めこんだ怒りを含ませて淡々と伝えた言葉に、声なき罪人の叫びが聞こえて来るかのようだった。
ノエルは、〝死〟を目前にして、見っともなく表情を変えて取り乱す彼らを横目に踵を返すと、来た道を戻った。
「アイゼン、女神の使徒を招集し、罪人を宮殿前の広場へ。
準備が整い次第、宴を始めよう」
「イリア様の到着を待たなくてよろしいのですか？」
「粛清は決定事項だ。裁きの瞬間に、間に合えばいいよ」
「は。御心のままに」
そうして、宴の準備は着々と進められて行き、舞台は幕を開ける。
腐敗に終止符を打つのだ。
枢機卿団が築いた偽りの栄光は終焉を迎え、同時に復讐も果たされる。
——姉さんが騎士を連れてやって来たのは翌日、宴が始まって間もなく。
僕の神力が創り出す神の槍——〝天罰の神槍〟が、罪人に裁きを下す時の訪れだ。
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