第二十二話 宴への招待状
ゼノン達が待機してるであろう砦内の会議室を目指し、石造りの廊下をルーカスが歩んでいると——。
「ルーカス、待って!」
聞き慣れた透き通る高音域、イリアの声がして、ルーカスは足を止めた。
振り返れば朝日に輝く露のような銀の髪を靡かせて、小走りで追いかけて来る彼女の姿があった。
「どうした?」
問えばイリアは眉尻を釣り上げ、愛らしい顔に静かな怒りを含ませた。
「『どうした?』じゃないでしょ。ちゃんと治療しないと」
彼女の手が、軍服の上から胸に触れる。
——と、鈍い痛みが走り、ルーカスは苦痛に表情を歪ませた。
イリアが触れたのは、崩壊の神秘を解放した時に、力を制御しきれず内部から怪我を負った箇所だ。
「……やっぱり。アーネストさんから聞いた通りね」
上目遣いの青い瞳が、咎めるようにルーカスを射抜いた。
後で治療を受けようと思っていた——との言い訳は今、通用しないだろう。
イリアはこちらの手を取ると、有無を言わさず会議室とは別の方向へと歩き出した。
連れて来られたのは砦の滞在中、自由に使って良いと与えられた一室。
大きめの部屋に、質素な木製のテーブルや椅子、仮眠のために簡易的なベッドなど、必要最低限の家具が備え付けられた部屋だ。
ルーカスは椅子に座らされ、向かい合わせに座ったイリアが怪我の負った箇所に手を添える。
そうすれば彼女の手のひらから淡く緑色に輝くマナが放たれ、暖かな光が怪我と痛みを癒していった。
「ありがとう、助かる」
治療を受けながら礼を伝えると、イリアが俯いた。
「ルーカスが強いのは解っているけど……。自分の事も大切にしてね」
彼女の髪色と同じ銀の眉尻が今度は下がり、声の音調がいつもより低かった。
——女神の使徒が宿す神秘の力は、代償の要らない便利な代物ではない。
個々で差があるものの、行使すれば必ず身体へ負荷が還る。
彼女もその事を良く知っていた。
だからこそ、「この程度なら大丈夫」と、高を括り治療を後回しにした事で、余計な心配をさせてしまったのだろう。
逆の立場だった場合を考えると——怪我の程度に関わらず心配するし、至極当然の反応である。
ルーカスは憂いの表情を浮かべるイリアへと手を伸ばし、垂れ幕のように流れる銀糸を掻き分けて頬へ触れた。
顔を上げた彼女を見つめ、頬を撫でる。
「ごめん、心配かけたな。気を付けるよ」
「うん。怪我もだけど、何かあれば言ってね」
「ああ」
ルーカスは頷いた。
自己完結せず相手に伝える事。
これが簡単なようで意外に難しい。
仲が深まると疎かになり易いが、とても大切な事だ。
「イリアは、大丈夫か? 立て続けに事が起きて、気持ちの面でも落ち着く間がなかっただろ?」
彼女は——ルーカス自身にも言える事だが、想いを胸に秘めてしまう質なので、伝えて来るのを待つだけでなく、こうやって一歩踏み込み聞き出すくらいが丁度良い。
怪我の治療が終わったらしく、治癒術の光が収まって行く。
光が完全に消え去ると、胸にあったイリアの手が頬を撫でるルーカスの手へと重ねられた。
「私は大丈夫。葛藤はあるけど……でも、どんな事になってもみんなを、ルーカスを信じてるから」
イリアは綺麗に微笑んだ。
そこに悲しみや苦悩は感じられず、凪いだように穏やかな表情だ。
——直感で悟る。
彼女は既に、覚悟を決めているのだと。
そしてそれは表情と裏腹に、ルーカスにとってあまり喜べない方向で固まっている気がして、胸がざわついた。
(イリアを神聖核の犠牲にはさせないと、確かに誓った。
彼女は……「考えがある」、「そのためにはノエルの協力が必要」とも、語った)
——だが、具体的な方法はまだ聞かされていない。
(もし、その方法が……上手く行かなかったら?)
その時、イリアがどのような決断をするのか。
想定し得る最悪の事態が脳裏に浮かんだ。
胸が締め付けられて息苦しくなり、この違和感を無視してはいけないと、心が叫ぶ。
(……彼女ときちんと話さなければ)
冷たい汗がこめかみを伝う。
全身の熱が引いて行く感覚にルーカスは唇を引き結び、けれども勇気を出して問い質すため、唾を飲んだ。
「イリア、君は」
そうして、ようやっとの想いでルーカスは言葉を絞り出したのだが——。
「こーんなところで逢引きだなんて、レーシュも大胆ね。
ノエル様が知ったら……ふふっ。発狂しちゃうわよ?」
続く言葉は何処からとも無く聞こえた〝招かざる客〟の、愉悦が滲む鈴のような声に遮られてしまった。
ルーカスはイリアと頬で重ねた手を瞬時に離し、立ち上がる。
聞き覚えのある声に、襲撃を警戒して刀の柄へ手を添えた。
部屋の隅々まで見回すが、見える範囲に声の主と思しき人物の姿はない。
代わりに、イリアが小さくため息を付く姿が見えた。
「そういう貴女は、覗き見なんて悪趣味ね。
——アイン、隠れていないで出てきたらどう?」
その名は、イリアを連れ去ろうと王都で暴れ、教皇ノエル率いる巡礼団が王都を訪れた時には、イリアの姿を模倣し奔放に振る舞っていた使徒の名だ。
部屋に作られた影から、暗霧が立ち昇って集まり、瞬く間に一塊の闇を形作る。
暗霧が晴れるとそこには、頭を垂れる少女の姿があった。
「ご機嫌麗しゅう、レーシュ、騎士様」
鈴のように高く、可愛らしい声を響かせた彼女が、身に着けているのは真っ黒なローブだ。
下げられた頭はローブとは対照的に、鮮やかな赤紫の髪色をしている。
髪は頭部の左右でおだんごに纏められており、側頭部に添えられた三日月形の金の髪飾りが印象的だった。
使徒アイン——彼女との邂逅はこれで三度目になるだろう。
ルーカスは警戒を緩めず、アインを睨みつけた。
「教皇ノエルに付き従う使徒が、何をしに来た?」
アインの頭が持ち上がり、声に似合った可愛らしい容姿が露わとなる。
潤んだ鮮やかな桃色の大きな瞳がこちらを見つめており、艶めき色付く唇が半月を描いた。
「レーシュの騎士様、そう警戒なさらないで?
怖ーいお顔はとっても魅力的だし、遊びたい気持ちも山々なんだけど、今日はただこれを渡しに来ただけよ」
頬を染め、妖しく微笑んだアインがローブの下から何かを取り出し、イリアに差し出した。
ルーカスはアインがこれと言って差し出した物を注視する。
それは白くて長方形の薄っぺらな物——宛名にイリアの名前が書かれ、神聖国の象徴が描かれた封筒。
どうやら手紙のようだ。
イリアは封筒を受け取ると、裏返して封のされた面を見た。
差出人の名もしっかりと綴られており、ルーカスからも確認出来る。
達筆な筆跡で刻まれた名は〝ノエル・ルクス・アルカディア〟。
渦中の人物、彼女の弟からだ。
「これは……ノエルから?」
「そ、聖地巡礼の完遂は目前、前祝いの宴が開かれるの♪ その招待状よ!
場所は聖都フェレティ〝ディラ・フェイユ教皇庁〟。
『参加は自由、誰を連れて来ようとも構わない』——だそうよ?」
アインが口元に手を添え、くすくすと笑っている。
「このような状況下で宴だと?」
相変わらずノエルの考えは読めない。
ルーカスは眉を顰めた。
封筒を手にしたイリアも訝しんでいる。
するとアインが突然両手を広げ、くるくると踊り始めた。
「そう、狂瀾の宴よ! 主演はノエル様!
豚さん達の汚らしい血に彩られ、悲鳴の合奏曲が響き渡る……さぞ美しい宴となるでしょうね?」
「な——正気か!?」
嬉々とした声色で告げられたのは、物騒極まりない宴の主旨だ。
アインが甲高い笑い声を響かせてダンスのステップを踏み、狂喜乱舞の様子を見せている。
「そんな……そんな事、させないわ!」
勿忘草色の瞳をきつく吊り上げて、場違いに楽し気なアインをイリアが睨む。
表面化した怒りの感情に体を震わせて、帯剣した腰の宝剣を引き抜いた。
それを見たアインは立ち止まり、しかし臆するどころかうっとりとしている。
「ふふッ! レーシュの怒った顔、ノエル様みたいでとっても素敵ね♪
止めたいなら、急いでね?」
アインがにたりと笑って、白い手を顔の位置に持って来ると、パチンと指を鳴らした。
その動作には覚えがある。
「待て!!」
ルーカスはアインを逃すまいと距離を詰め、腕を掴んだ。
確かな感触。
捕らえたと思ったが、それも一瞬の出来事だ。
次の瞬間には、音もなく集まった暗霧が彼女を包んでしまい、掴んだはずの腕は霧となり散ってしまった。
「レーシュ、騎士様、宴の席でまた会いましょ♪」
宙からご機嫌な鈴の音が響く——。
イリアが手紙と宝剣を握り締め、悔し気に唇を噛んでいる。
みすみすアインを逃してしまったルーカスもまた、不甲斐なさから拳を握り締めた。
——静まった室内で手紙の内容を確認したルーカスとイリアは、教皇ノエルを止める為、宴への参加を決意する。
目指す場は、世界樹を擁し、世界の中心に位置するアルカディア神聖国・聖都フェレティ〝ディラ・フェイユ教皇庁〟。
ノエルがそこでイリアの訪れを待っている。
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