第二十一話 微睡む者を救う耀き
探知魔術と人海戦術により、門の正確な位置を特定・排除に成功したルーカスは、戦況が落ち着くと最初にジュリアスを包囲した地点へと戻った。
傷の治療を受けているアイシャが「目覚めない」と聞かされたからだ。
場へ赴くと、雨が降りしきる中、外套を脱ぎ去ったロベルトが全身を濡らし、力なく項垂れるアイシャを抱きかかえて座り込んでいた。
元より色の白いアイシャの肌が、血色を失い青白く見える。
その横には頭巾の下に険しい表情を浮かべ、淡い緑色の光を放つ両手をアイシャへとかざして治癒術を行使するアーネストの姿があった。
「アイシャ、しっかりしろ!」
ロベルトが纏っていたはずの外套は、アイシャを雨から守るように掛けられており、彼の琥珀色の髪の毛先から、雨水が滴り落ちた。
ルーカス、そして行動を共にしていたハーシェルとディーンは、水を含んで重くなった土を踏みしめて、彼らの側へと歩み寄った。
「……アイシャの容態は?」
「魔狼から受けた傷は完治しています。脈拍と呼吸も正常。ですが、マナの流れに澱みがあり、急激に体温が下がっていて、このままだと危険です」
ルーカスの問い掛けに、アーネストは眉間へ皺を寄せ、結露して曇りつつある眼鏡の奥から、目尻の下がった紺瑠璃の瞳を覗かせた。
「毒の可能性は疑ったか?」
「はい、ディーン先輩。既に解毒や解呪の魔術も試しましたが、効果がなくて」
「なら何が原因なんだよ! ちょっと魔狼に齧られただけで、おかしいだろ!?」
ハーシェルの叫び声が、雨音に負けず響いた。
しかしこの場に居る者は、その答えを持ち合わせておらず、沈黙に雨の音が虚しく返るだけだ。
ルーカスは顎に手を添え、思案する。
思い当たる節があるとすれば——。
「……魔瘴石……か?」
皆の視線が、ルーカスへと集まった。
魔神の力にマナが汚染された物質、〝瘴気〟が結晶化したと思われる鉱物。
ジュリアスが魔瘴石を用いて〝門〟を発生させた際、アイシャの周りには瘴気が立ち込めていた。
瘴気は過剰に取り込んだ動物を魔獣へと変質させる特性を持っている。
人体に悪影響を及ぼす可能性もゼロではない。
寧ろそうであると考えるのが妥当だ。
「——イリアなら、何か知っているかもしれないな」
隠された真実に一早く触れていた事から、この手の話題は彼女が詳しいだろう。
「イリアさんなら、アイシャを……治癒、出来るでしょうか」
ロベルトが取り縋るような、覇気のない掠れた声を発した。
いつもは穏やかな青翠玉の瞳が揺れており、心中の不安が窺える。
二人は幼馴染。
そこに特別な感情があったとしても不思議ではない。
イリアは旋律を紡ぎ、圧倒的な殲滅魔術を行使する使徒の印象が強いが、治癒術も心得があり、神力も扱える。
断言は出来ないが、彼女ならば——という期待があった。
「ともかく一旦、オンブル砦へ戻ろう」
雨の中いつまでもこのような場に留まるのは、体調にも障る。
ルーカス達はアイシャを休ませ、イリアと合流するためにオンブル砦へと向かった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
移動中にリンクベルを鳴らしてイリアと連絡を取れば、ルーカス達が到着した時には彼女も砦へ帰還していた。
アイシャの診察は一班の団員が見守る中、ベッドの備え付けられた救護室で直ちに行われた。
「……瘴気が体内へ入り込んだのね。多少なら問題ないけど、瘴気は私達にとって〝毒〟でしかないから」
アーネストから症状を聞き、アイシャを診たイリアはすぐさまそう診断を下した。
「解毒も解呪も効きませんでしたが、どうすれば……?」
ベッドへ寝かせられたアイシャに寄り添ったロベルトが、表情に影を落として問いかけた。
雨で濡れた髪や衣服はそのままだ。
不安を露わにする彼に対し、イリアは「大丈夫」と力強く言い放った。
「私が宿す【太陽】の神秘は不浄を祓う力もあるの。すぐに〝浄化〟するわ」
イリアはアイシャの手を握ると、勿忘草色の瞳を伏せて息を大きく吸い込み、歌声を響かせる——。
『——聖なる清めの賛歌、耀いて【太陽】。
恩寵たる神秘よ、闇に侵され、微睡む者に、燦然たる救いを』
イリアの腹部、丁度、聖痕の刻まれた辺りが白い輝きを放つ。
アイシャの下には魔法陣が出現し、その身体を純白のマナが包んだ。
まるで陽光の如くマナが激しく発光し、ルーカスはあまりの眩さに手で光を遮った。
『聖なる光、魔を退け、災厄を払え。
〝聖なる解呪〟——穢れを浄めよ』
唱歌が終わり術が完成すると、純白のマナは一瞬、強い光を放ち、風が吹いた。
その後にマナは輝度を弱め、魔法陣が消えると同時に、残滓を舞わせて光も収束して行く——。
術の余波だろうか、部屋の空気が澄み渡り、清らかになるのをルーカスは感じた。
光が収まるとイリアの瞼が開かれ、アイシャの状態を確認するかのように勿忘草色の瞳が彷徨った。
「……うん、これでもう大丈夫。しばらくすれば目を覚ますと思うわ」
アイシャの手を解放し、見守る面々へそう告げた彼女の表情は、まるで慈愛に溢れる女神のように慈しみ、優しさを湛えた微笑みを浮かべている。
アイシャを見ると、肌の血色が良くなって規則正しい呼吸を繰り返しており、ルーカスを含め団員達は皆、彼女の無事に安堵した。
中でもロベルトとハーシェルの反応が顕著だった。
「本当に、無事で良かった……」
「っすね。一時はどうなる事かとヒヤヒヤしたっすよ」
ロベルトはイリアが離したアイシャの手を代わりに握ってほっとした表情を浮かべ、ハーシェルは安堵感から気が抜けたのか、「はー、マジでビックリしたぁ」と大きな息を吐きながらその場に座り込んだ。
「ありがとうございます、イリアさん」
「どういたしまして。ロベルトさんは風邪を引かないように、気を付けてね」
床にはロベルトの衣服から滴り落ちた雫で水溜まりが出来ており、イリアの指摘で自分の状態に気付いたロベルトが、慌てて近くにあったタオルで全身を拭う姿が見られた。
そんな一コマに、ディーンが意味深に含んだ笑いをして、黄水晶の瞳を三日月型に細めた。
「副団長とハーシェルの取り乱し様ったらなかったもんなあ。アイシャちゃんも罪な子だねぇ?」
同意を求めるように、こちらへ視線を送る幼馴染に、ルーカスは深いため息をつく。
「ディーン、揶揄ってやるなよ」
「おっと、釘を刺されちまった。ノリが悪いなあ」
色恋沙汰の話題に興味を惹かれるのはわかるが、話のタネとして弄るのは野暮というもの。
ルーカス自身も揶揄われて辟易した経験は記憶に新しく、両方の手のひらを上げて肩を竦めるディーンの背を軽く叩いて諌めた。
アイシャの治療を終えたイリアが、〝人間が瘴気に侵された際の症状と対処方法〟についてアーネストと会話を交わしていたのだが、話によると、瘴気は神力を扱える治癒術師でなければ浄化が難しいらしい。
神力を扱える治癒術師は、アルカディア教団に所属している者が大多数だ。
現状では、浄化のための人員と手段が限られる。
両者の危険性を速やかに周知し、瘴気や魔瘴石を発見した際は、細心の注意を払う必要があるだろう。
ルーカスはこの件の報告とこれからの行動について、総大将であるゼノンと指揮官の父レナートに相談するため、救護室を後にした。
アイシャの事はロベルトを始めとした団員に任せておけば大丈夫、とその目覚めを待たずに。
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