第六話「最後の台詞」
「私は死ぬの」
彼女は残酷な事実を僕に告げた。
嘘なら良かった。
笑えない冗談だけれど、プラカードを持ってニコニコしながらドッキリだと言って欲しかった。
でも、薄々感じていたんだ。
彼女が遠くにいってしまうことは。
そんな彼女が、どことなくあの日の少女に似ていたことは。
「君咲絵伝君、今まで本当にありがとう。私はこれを言うために、君を探して戻ってきたんだ」
彼女は泣かなかった。
後悔がないような、悲しみと感謝に満ちた表情。
「どうして……何でまたいなくなるの」
「ごめんね。また君を悲しませる。それでも君にまだ『ありがとう』を言ってなかったから、それだけが心残りで君のもとに来たんだ」
去ってしまう。
「でも、君はまた私と一緒に漫画を描いてくれた。それが嬉しかった」
居なくなってしまう。
「だから、伝えきれなかった感謝を、君に伝える。ありがとう」
もうすぐ、彼女は僕の前から消えてしまう。
あの日のように、また。
満天の星空の下、眠りに落ちるように、彼女の体は地面に倒れた。
咄嗟に駆け寄り、彼女の体を抱き起こす。
「美神さん、美神さん……」
「君は、絵が下手になってたことに悩んでたでしょ。苦しんでたでしょ。でも、大丈夫だよ。君は、私が惚れた世界一の主人公なんだから」
待ってよ。
行かないでよ。
「だから君は、そのままの君を咲かせれば良いんだよ。そのままの君で、絵に向き合えば良いんだよ」
僕の胸を掴んでいた彼女の手からは力が抜けていく。
消えないで。
居なくならないで。
「絵のコンクール、頑張ってね。漫画も、君らしい絵で世界に見せつけちゃえ。未来の私に君の名前が届くまで、君を咲かせてね」
目が閉じられていく。
手が僕の胸もとから滑り落ちる。
「バイバイ」
君は、いなくなった。
また、あの日のように。
♧♧♧♧
絵のコンクールまであと二日。
漫画の締め切りまであと五日。
ねえ、僕は……どうすれば良い。
僕は君が描いたネームの前からずっと動けないでいる。
また君からいろんなものをもらうだけで、僕は君に何も返せていない。
伝えきれない感謝があるのに。
「君咲、また苦しんでる」
笹井菜琴は、僕の前に立っていた。
気付かなかった。
母親の温もりが詰まったそよ風のように、笹井は颯爽と現れた。
「美神小雪は、君にとって最高のパートナーだったんだね」
「今の僕には漫画も、絵のコンクールに出る理由もない」
「じゃあ、諦めるの?」
「そうだ」
僕は笹井が述べることに淡々と答えていく。
もう嫌なんだ。
傷つきたくないんだ。
思い出したくないんだ。
だから、目を背けるんだ。
「あの日みたいに、君は諦めるの」
「もう、理由がない。あいつはいない。なのに、なんのために絵を描けば良いんだ」
僕は諦める理由ばかりを考えている。
あの日みたいに、僕は諦める。
でもーー
「小雪ちゃんのために描けば良いんだよ」
笹井は僕を諦めてはくれなかった。
「あいつは、もういないだろ」
「君の中に小雪ちゃんはいないの? 君と小雪はパートナーなんでしょ。いつでもどこでも一緒にいるパートナーなんでしょ。なら、君はどうして歩まないの? 彼女なら必ず、君の背中を押しているはず」
笹井は下を向く僕の顔を無理矢理上に向かせ、僕の目を息が触れ合う距離で見つめた。
「小雪ちゃんは君にとって大切な人なら、君は彼女のために絵を描き続ければ良い。それとも、君の心に小雪ちゃんはいなかったの?」
僕の心に、君がいる。
目を瞑れば、君のことばかり思い出す。
どうして、こんな簡単なことに気付けなかったのだろう。
君はずっとそばにいた。
君はずっと背中を押してくれた。
そうだ。
「ーー君のために絵を描こう。」
僕は筆を走らせる。
感情を吐露するように、ただ真っ直ぐに好きな君のことを思って。
絵画コンクールの題材は『人』。
だから僕は君を描こう。
そのままの僕で、君を描く。
下手くそって言われても、似合わないって言われても、僕は君を思い続ける。
僕の中にいる君を、ありったけの君を描こう。
僕はただ君を描いた。
君を思う、君がいる。
僕の一途な思いは、これを見た者にはすぐに気付かれる。
でも、君に届けばそれで良い。
君だけの絵だ。
「美神小雪、僕は君に逢えて良かった」
もうすぐ、漫画のコンクールが終わる。
僕は最後の台詞に頭を悩ませていた。
「最後の台詞、君はなんて書こうとしたんだ。僕には、分からないよ」
でも、今の僕なら分かる気がする。
君がなんて言葉を当てはめるのか。
ラブコメの最後の台詞。
君ならこうするかな。