第四話「人の人生を狂わせるほどの」
絵画コンクールの参加者は、一室に集められて説明を受けていた。
説明が終わり、参加者はそれぞれ解散する。
僕も流れにのって会場から去ろうとした時、背後から肩を掴まれた。
「八年だ。八年間、お前をずっと待っていた」
金髪の上から帽子を被っている少年。
年齢は同い年っぽい。
「えっと……君は?」
「俺は金剛勝利。お前がいない間、最優秀賞を獲り続けた男だ」
金剛勝利。
その名前は見たことがある。
小学一年生のコンクール、僕が最優秀賞で、優秀賞は金剛勝利と綾瀬水無月。
「お前を倒すためにずっと絵を描き続けてきた。八年も待ったんだ。来ないと思っていたけど、ようやく戻ってきたな」
戦いに飢えた狩人のように、自慢の筆を弓矢のように僕へ向ける。
口角を上げ、喜びに満ちた表情をしている。
「金剛、相変わらず君は好戦的だ」
筆を握る金剛の腕を掴み、突如として現れた少女は金剛の腕をレバーを引くように下ろした。
「私が先に挨拶しようと思っていたのに」
「君は?」
「あら、覚えてない? 私は綾瀬水無月」
「おい待て。こいつは俺のライバルだ。邪魔するな」
「違うわよ。私の好敵手だ」
相性が悪いのか、金剛と綾瀬は言い争いを始めた。
だが終わりがなさそうに見えた論争は、綾瀬の一言で終止符が打たれた。
「じゃあ、この三人で即席コンクールで勝負しよう」
「この後会場は使う予定が……」
僕ら三人の話を聞いていたコンクールの主催者は、顔を蒼白させながら綾瀬に言った。
だが凛とした態度で主催者を無視し、話を続ける。
「制限時間は一時間。その間に主催者の肖像画を一番上手く描けた人の勝利」
「ちょっと待て。僕は絵が……」
「良いぜ、やろう。あの時より進化した俺を見せてやる」
金剛は拳を手のひらに押し当て、気合い十分の様子だ。
綾瀬もこの日を待っていたかのように高揚した笑みを浮かべている。
「主催者、あなたが絵の対象。何をすればいいか分かるわよね」
綾瀬の手には百万円が握られている。
「何で中学生が百万円を直で持ってんだよ」
綾瀬は手に持っている百万円をヒラリヒラリと風に揺らし、主催者にこの上ないアピールをしている。
目の前の百万円に主催者の目は集中している。
「始めましょうか。最強の三人のコンクールを」
結局止めることはできず、参加することになった。
もう八年も絵は描いていない。
絵の描き方も、筆の持ち方も、心構えの仕方も、全てが今の自分には欠落している。
画用紙に筆を当てるが、そこで僕の手は止まる。
「残り三十分」
何も描かないまま三十分が経った。
以前手は動かない。
二人に視線を向ける。
金剛の描き方はまるで怪獣と戦っているみたいだ。
目の前の怪獣を描くみたいに、見ているこっちまで緊迫感が伝わってくる。
一筆一筆に魂が込められ、筆が燃えているように見えてくる。
(俺の八年間をここでぶつけても構わない。お前を倒すために)
次に綾瀬。
彼女は深い海の底で絵を描いているような、おしとやかな雰囲気を醸し出していた。
水圧に逆らうように、ゆっくりと腕を動かしている。
筆先が水面を揺らし、波を引き起こすように、綾瀬の筆は流れている。
(君咲絵伝、あなたは私だけを見なさい。私を見て、私を感じて、私の絵を褒め称えなさい)
二人の気持ちが一つの絵に集約されていく。
ブラックホールみたいに、画用紙は二人の感情を絵に表していく。
「これが……絵を描くということ……」
君咲は二人の熱に圧倒され、筆を進める手を止めた。
そして一時間が経過した。
「描けた。今までで最高の出来だ」
「おいおい金剛、お前じゃ私には敵わないさ」
二人の思いがぶつかり合う。
狭間で、僕は不格好に座っていた。
僕の顔を見て、腕を見て、風貌を見て、二人は何かを悟った。その推測の正体を探るように、恐る恐る画用紙に目を向けた。
もちろん白紙。
一筆も刻まなかったのだから。
「なんだよお前。どうして何も描いていないんだよ。お前、俺たちを舐めてるのか」
金剛に胸ぐらを掴まれ、顔まで引き上げられる。
金剛の阿修羅のような瞳が僕の眼球を射抜く。
「違うよ金剛」
綾瀬が金剛の腕を掴むと、金剛は脱力していく。
「君咲絵伝は、この八年間絵を描かなかったんだ。だから、彼は絵の描き方を忘れたんだよ」
綾瀬は寂しそうな顔をして僕を見ている。
僕は金剛の手から抜け落ち、床に尻もちをつく。
「お前、この八年間何してたんだよ」
金剛は叫び、吠える。
「あれだけの絵を描いて、人の人生を変えてしまうような絵を描いておきながら、どうしてお前は絵をやめてんだよ。あれだけの才能を持っておいて、どうして……どうしてえええ」
金剛は頭を地につけ、小さく丸まった。
感情の高ぶりが原因なのか、目には涙を浮かべている。
僕は、君を悲しませた。
僕は、君を苦しませた。
思わず僕は走り出した。
ここから逃げるように。
月が輝き、深淵に染まった夜の大地を僕は駆け出した。
坂を上り、森を抜け、電車を追い越し、気付けば知らない病院の前にあるバス停。
「こんなところまで来ていたか……」
僕は力尽き、ぐったりとしながら歩いていた。
僕は胸の内で叫ぶ感情の正体が分からず、呆然としていた。
しばらく病院の周りを歩いていた。
そこで、
「散々な日だった、って顔してるね」
美神小雪、彼女に出逢った。
バス停の前、丁度バスから降りた彼女は、僕の前に現れた。
驚く僕の顔を指差し、彼女は言った。
「君咲絵伝、私と夜のデートをしよっか」