第二話「僕と君の約束はまだ続いている」
「私を最高のヒロインにしてくれるよね」
彼女が唐突に言った言葉に、僕は硬直することしかできなかった。
金色に輝く瞳と髪、それに天使の声。
彼女の全てはあの日の少女を思い出させる。
「き、君は誰?」
「私は転入生。君は君咲絵伝君だよね」
「どうして僕の名前を!?」
「このノート、君のでしょ。これに名前が書いてあったの。さっきの動揺から君が君咲絵伝という、とても絵の上手い少年だってことが分かった」
彼女が持っているノートには僕がこれまで描き続けた絵が何ページにも渡って載っている。
それとーー
「君は絵が上手いんだね。将来の夢は漫画家だったり?」
漫画家、その言葉を聞いた僕は表情を曇らせた。
あの日から、絵を描くことはやめた。
小学生だったあの日から。
質問に答えられないでいると、彼女はおもむろに口を開いた。
「私は美神小雪。今日から君のパートナー」
「パートナー?」
「そう。私が下書きで君が仕上げ。私たち二人で漫画を描こう」
「えええええええええ」
「私は本気だ。本気で君と漫画を描きたい」
決してふざけているわけじゃない。
彼女の凛とした態度に、嘘偽りはないと直感した。
「君はどうする?」
僕は答えあぐねていた。
絵は描かない、あの日僕は諦めたんだ。
「美神さん、僕は絵を描くのはやめたんだ。もう描きたくないんだ。だから……君の提案にはのれない」
「ダウトッ」
僕を真っ直ぐに指差した。
彼女は確信足り得る自信を持って僕を真っ直ぐに見つめている。
「絵を描きたくない? 絵はね、君の全てを映し出すよ」
よく見ると、彼女が見ていたページはノートの最後。
ノートは三百ページにも渡る。
「僕の絵を全部見たのか」
「私は君の絵しか知らないけど、君を知るには十分すぎる量の絵を見た。君の絵は、四季のように、巡り々り変化している」
彼女は胸を押さえ、告白するように言葉を綴る。
「最初は無邪気な子供が鉛筆を叩きつけるように。段々とその子供は感情を知り、絵に表すようになった。七歳の終わり、あなたは悲しみを知った。悲しみに溢れた絵が何作か描かれた後、数ページの空白。そしてーー」
彼女はページをめくっていく。
ページをめくる手を止めると、ノートを裏返し、僕に見せた。
「ーー約束。一緒に夢を叶えること」
ノートの最後に書かれた言葉。
その言葉を聞く度に、僕は思い出す。
「ーーごめんね。私は約束、守れなかった」
あの日、彼女は僕に言った。
さよならとともに。
「君が絵を描かない理由はこれのせい? でも、最後の絵、これは絵を描いていたいって必死に訴えている」
「嘘だ。僕はもう、絵なんて……」
「じゃあなんで君は、まだこの本を持ち続けているの? 君の夢はもう終わったの?」
違う。
そう心が叫んでいる。
「君がこの子と何を約束したのかは知らない。でも、分かるよ。その夢はきっとこうだったんじゃないの」
彼女はあの日の少女のように、肩まで伸びている長髪を揺らし、甘く、見つめていれば溶けてしまうような瞳で、口づけをするように、
「ーー私と君で漫画家になろう」
あの日と全く同じように、彼女は言った。
僕は何も話していない。
だがどういうわけか、彼女は僕の過去を知っているように話した。
「君は一体……」
「私は小雪。世界一幸せなヒロインだ」
変哲な夢だ。
頬をつねっても夢は覚めない。
少女漫画の始まりの一ページのように、彼女は僕の前に現れた。
まるで彼女は、僕にとってのヒロイン。
「もう一度聞くよ。私と一緒に漫画を描こう」
彼女は僕に手を伸ばす。
漫画家としての信念が堂々とした振る舞いから感じられる。
僕は彼女の手を眺め、しばらく立ち止まっていた。
あの日から、僕は進めないでいた。
夢を諦める理由をずっと探していた。
絵を描けば思い出してしまうから。それでなくても、あの日のことは忘れるはずがなかったのに。
僕は何度も諦めた。
でも、つむじ風のように現れた彼女が、僕の心をかき乱した。
もう八年、諦める理由は見つからなかった。
僕はまた、夢に向かう。
僕は彼女のもとへ一歩一歩歩み寄り、伸ばされた手に僕の手を重ねた。
あの日のように、僕は彼女に言う。
「僕が、君を最高のヒロインにしてみせるから」
僕はまた、あの日のように、君と夢を追い続ける。