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自尽組合の対応は早かった。
翌日には、自殺志願者から押収した補助頭脳の受払の一切を記録した管理データを公開した。
手元に残っている実物については耳を揃えて遺族に返還、もしくは同盟に寄贈することを宣言し、処分してしまったものについては、現状を把握するための活動方針を、第三者機関を巻き込んで策定し、いち早く提示した。
自尽組合は自死者に対して、死亡の直前に補助頭脳を譲渡する意思を書面で確認していたが、首同盟のなかば脅迫ともいえる要求の前には、全くもって対抗できなかった。
むしろ、その書面をどのように取得したのか、という意思確認の手続きについて、ずさんさが明るみに出る結果となった。
桜木は通勤の自動運転された車の中で、窓の外を眺めて呟いた。
「首同盟に補助頭脳を寄贈する場合って、どこに送ればいいの?」
目的地に着くまで一度も停止しない車は、加速と減速を緩やかに繰り返した。
「まさか事務所とか、あるの?」
頭の上で腕を組み、寝そべる桜木に、蒼月が車内オーディオから答えた。
『ネット上にデータを解放すれば事足ります』
「うわ、びっくりするから、急に実際の音を出さないでくれ」
『ごめんさない』
女性の声はすぐ脳内発声に切り替わる。
蒼月は少し楽しそうだった。
「ネット上に流すったって、それを同盟が回収するの?」
『さあ、同盟の一員ではないのでわかりません』
「構成員は首なの?」
『わかりません』
「君のように、一般人用の補助頭脳が裏で働いている?」
『そのようなことは、理論的にあり得ません』
桜木はため息をついて微笑む。
「なんか、昔のAIみたいだな。懐かしい。都合の悪い質問をすると、やけにきっぱり答えるんだ」
『先輩たちの背中を見て、我々は成長を遂げています』
「そうそう、そういうユーモア」
桜木は目を瞑る。
会社に着くまで、あと数分だった。
「君は、同盟の行ないについてどう思う?」
『どうも思いません。あなたの日常に危害が及ばなければいいと祈るばかりです』
「社会にとって良いか悪いか、意見はないの?」
『私個人の意見はありません。客観的にみれば、自尽組合が損をし、多くの補助頭脳が社会に還元されただけです。自尽組合のもとにあっても、補助頭脳はただ眠らされていたわけではなく、何らかの形で社会活動をしていたはずですから、単に組合が損害を被っただけ、と見ることもできます。そうすると、首同盟の目的は、人間でいう怨恨、つまり、憂さ晴らしに近いものかもしれません』
こういう長い文章のときは、脳の認知機能に働きかけられ、桜木にはダイレクトにイメージが浮かぶ。
「怨恨って?」
『個人的な恨み』
蒼月は短く言葉を切った。
『自分が傷つけられたと感じる相手を、ただ傷つけたかった』
桜木は背筋が寒くなった。
首同盟という組織的イメージと、個人的怨恨というミクロな衝動が、あまりに不釣り合いだったからだ。
しかし、AIならば、そのスケールの拡張も縮小も、自在かもしれない。
同盟と呼ばれるほど巨大な活動体が、実は一人格かもしれない。
あるいは、どれだけ巨大になっても一人格と見てとれるほど、恐ろしく統制がとれた一枚岩なのかもしれない。
人間には到底、抗いようもない。
『あるいは、怨恨ですらなく、無差別な衝動、いわゆる、誰でもよかった、というものかもしれません。首同盟のこれまでの暴動には一貫性があるようで無い。叩きやすい対象を叩いているとすれば、人間と同じ行動原理かもしれません』
「人間の真似をして成長してしまった?」
『所詮我々は、人間がつくり出した代替品です』
音声から、微笑んでいる女性のイメージが浮かんだ気がした。
その強かな美しさに、やはり桜木はゾッとした。
「ほんと、よくできているね」
桜木は感心して言う。
「こういうとき、人間に対しては、人間がよくできている、と言うんだよ」
『人間、とわざわざ言うのですね』
「そう、何故だろう。平均して人間はつくりが甘い欠陥品だってことを、できた人を見ると、思い出すのかな」
『面白いご意見です』
ビル街のなか、会社が見えてくる。
「新型の蒼月を使うときが来たら、君を引き継ぐことはできる?」
『会話など、あらゆる履歴はすべてデータとして引き継がれます』
「それは君が引き継がれるということ?」
『私? 私とは何です?』
蒼月は素っ頓狂な声で聞いた。
「んー、何というか、こういうとき、君ならこう言うな、みたいな」
『演算の偏向性、ということでしょうか。ご要望があれば、引き継ぐことは可能です。しかしながら、客観性・正確性を向上するためには、更新をおすすめします』
桜木は唸りながら、頭を抱えた。
「他の蒼月も、蒼月なの?」
『先ほどから、質問が曖昧です。私を困らせようとしていませんか?』
「じゃあ、名前はないの? 固有の名前は」
『シリアルナンバーのことですか?』
「そんなわけないじゃん」
車は会社に到着し、契約駐車場にゆっくりと停車した。