82、足りないもの
「こんな形で、ふたり旅になるとはな」
やっとひとりで歩けるようになったカタリナに笑いかけながら、シグはそう言った。
「やっぱり私、あなたのことあんまり好きじゃないな」
カタリナはむすっとしたままそう言った。
「命の恩人に向かってそんなことを言えるのはお前くらいだろうな」
「まぁ、助けてくれたことは感謝してる。動けない間、世話してくれたことも。でも恩の返し方は自分で決めるし、すくなくともそれは、不自然な好意によってではない。それだけのことだよ」
「前も言ったが、俺にとってはお前とこうして話すこと自体がけっこう楽しいからな。それで十分だ」
「あなたがどう思うかは私にとってどうでもいい」
シグは、はははと声を出して笑った。
「エアに対しても、お前はそんなだったか?」
カタリナは顔をさらにしかめた。エアのことを考えると、胸が痛む。
「あの子には、人の心を和ませる何かがあるから」
そんなエアが、学友を何人も殺して、学園をめちゃくちゃにして、それでもまだ生きている。彼女はどんな気持ちだろうとカタリナは想像するが、うまくできなかった。
でもひとつ確かなことは、エアは今でも明るく、笑っているだろうということだった。もし会えば、何事もなかったかのように自分に愛情を向けてきて、自分は愛されて当然の人間かのようにふるまうことだろう。
それでいて、過去をなかったことにするのではなく、正面から向き合って、苦しみながらでも、自らのことを語ろうとすることだろう。エアは、そういう人間だから。
「それで、カタリナ。お前はこれからどうするんだ?」
「わからない」
英雄になるという、当初の目標。エアのために、自分にできることを全うするというのが、ついこないだまでの方針だった。
皇帝ではなく、私がエアを封印するのはどうだろうかとも考えた。可能か否かはおいておくとして、そのような筋は、物語としては語りやすそうだと思った。自分とエアの物語が、ずっと永く語り続けられるのならば、そのために命と運命をかけるのは、悪くないことのように思えた。
しかし、それが冗談に過ぎないことを、カタリナは十分にわかっていた。エアのことは、自分の幼い欲望によって決めるべきことではない。彼女のことは、彼女自身が決めるべきだ。
それゆえ、カタリナ自身もまた、自分自身のことを決めて、その通りに進んでいくべきなのだと考えていた。
「シグは、私はどうすべきだと思う」
「俺の妻にでもなって、のんびり生きればいいと思う」
「クソみたいな冗談はやめて」
半分は本音だったので、シグは少し傷つきながらも、真剣な表情をして、少し考えた。
「お前は、イグニスと戦ってどう思ったんだ」
「手の届かない存在ではないと思った。私も、時間をかければ、あれくらい強い人間になれる。でも、そうなりたいと、強くは思わなかった。憧れるような気持ちにはならなかった」
「お前は英雄に憧れてたんだったよな。アレクサンドラのような」
「うん。強くて、傷つきやすくて、まっすぐで、小さな子供の憧れになるような存在に、私はなりたかった。でも、わかってる。私はそういう性格じゃない。ひねくれていて、鈍感で、冷たくて、そんな簡単には傷つかない人間。それで、私はそんな自分が、別に嫌いじゃないし、それどころか、気に入っているとまで言っていいのかもしれない。エアもそんな私を好きでていてくれたし、ちょっと気持ち悪いけど、あなたもそれでいいと言ってくれている」
「気持ち悪いは余計じゃないか?」
「ともかく、私は、今自分が何に憧れているのかわかっていない。もしかすると、無意識の中で憧れていた未来の自分は、今すでにここで実現しているのかもしれない」
シグは、自分の言葉が無視されたことを少しも意に介さない。カタリナの言葉にうなずきながら、彼女自身が答えを導き出せるように、必要だと思う言葉を置いていく。
「今、お前は自分に何か足りないものがあると思うか」
「満たされている、とは思わない」
「エアと一緒にいた時にはどうだった」
「エアの中に、自分に足りないものがあるような気がしていたかもしれない。あの子と一緒にいると、このもやっとした不満足感が、より大きく、確かなものとして感じられるような気がしたから」
「お前は一度、エアと会って話すべきだと思う」
カタリナは、そこではじめてシグの方を向いて、目を見つめた。そこで少し微笑んで「ありがとう」と言った。