78、地下牢にて
学園都市には地下牢があり、そこには様々な魔法生物や人間もどきが飼育されている。彼らは実験動物であり、学問の発展に寄与している重要な存在である。
また、その中には、何の変哲もない下層の人間もいる。ただ、地下牢と言われて人が想像するような劣悪な環境ではなく、自由こそないものの、ある程度質のいい食と、清潔な部屋、似た境遇に置かれた話し相手が与えられている。
現在エアは、そんな施設のもっとも厳重な場所に隔離されていた。彼女はすべてが終わったのち、学園の理事たちに何の武装もせずに会いに行き、そこで自分を裁くように要求した。学園の理事たちは、事態の収拾に忙しく、彼女の処遇をどうするかもめたが、一旦地下に押し込むことに決定した。
夏闘祭が終わった直後に起こった天使の襲撃は、数十人の生徒と職員、数百人の部外者、八人の講師と三人の教授職の死亡と、その倍以上の負傷者を出した。
それを引き起こした張本人であるイグニスは行方不明となり、彼の所属していた善悪の彼岸に所属している他の者たちも疑いの目を向けられたが、夏闘祭の二日目でも活躍したハープやレオが天使たちと激しい戦いをしつつ、逃げ遅れた人々の多くを助けたことが証言されていたおかげで、彼らへの疑いはすぐに晴らされた。
イグニスの愛弟子であるノロイもまた姿を消し、ザルスシュトラの行方も分からなかった。
この一件で学園に通う貴族の子弟だけでなく、彼らの活躍を見に来た、有力者たる父兄たちにも死傷者が出たため、非常に大きな責任問題になったうえ、学園全体の危機管理に対する信頼が大きく損なわれることとなった。
そのため、負傷しなかった生徒たちのほとんどは退学していまい、学園は閑散としていた。
「エアさん」
弟を失ったアリシアは、エアが捕えられている地下の一室に、訪れていた。
弟、ルティアの死が判明し、その原因がエアであることを知ったときアリシアは、何も考えることができなかった。彼女は一瞬彼をこの学園に招いたことを後悔したが、しかし、自分に落ち度があるとは思えなかった。
だがその理屈は、おそらく彼が死んだ直接的な原因であるエアにも言えるはずだと、彼女と数か月かかわった彼女は、冷静に考えていた。
身内が死んでも、冷静にこれからのことを考えられることは、魔術師らしさともいえることで、彼女が優秀であることの証明ではあったものの、彼女は自分のそういう冷たさに少しうんざりして、自分という人間のことを「半端もの」と思うようになっていた。
「アリシア先生? こんにちは」
冷たい目をしたアリシアに気づいたエアの表情は、前と変わらず明るかった。ほほ笑んで、茶を出した。地下牢と言えども、台所はあるし、備品も十分だ。茶を出すことくらいはできる。
「ルティアは……どんなふうに」
エアのもとに訪れてきたのは、アリシアだけではなかった。あの件で亡くなった人の関係者の多くはエアに面会を要求してきたし、彼女はそのすべてを通していた。
「ただ、何もわからないままに、死んでしまったよ」
エアは、寂しそうにそう言った。アリシアは、彼女の態度のすべてに違和感を感じた。彼女の声色からは、罪悪感は一切感じられず、悲しみや痛みすら、ほとんど感じられなかった。
それは、それまでのエアの生き方や人との接し方を考えるに、とても不自然なことだったのに、目の前にいるエア自身の精神が根本から大きく変化したようにも見えなかった。
人間を愛していて、誰とでも仲良くなろうとする、かわいらしい少女。その本質は変わらないのに、自分にとっての現実と、彼女にとっての現実が、どうしても重ならないような気がした。
「……謝ってほしいわけじゃないんですよ。ルティアの死は、あなたが望んだことじゃないっていうことは、わかってますから。それで……あのイグニスさんが望んだことならば、あなたの力でそれを防ぐことも、できることはなかったこともきっと正しいと思います。それでも……」
「助けられたよ」
「え?」
「きっと私がその気になれば、ルティア君を助けることはできた。ルティア君だけを、だけど。でも私はそうしなかった。同じことが、あの場に居合わせて、死んでしまった人すべてに言える。私は、何もしないことを選んだ。ニス君に……イグニスに、任せることを選んだ」
アリシアは唇を噛んだ。目の前にいる、健康そうで、背筋の伸びた少女は、確かに現実を見つめているように見えた。だが、それに対する解釈や評価の基準が、自分とは違いすぎることを認めざるを得なかった。
「エアさん。あなたにとって、ルティアはなんだったの」
「友達。大切な」
「……失っても、構わない存在だったんですね」
エアは黙って首を横に振った。
「でも、あなたはそれほど傷ついているようには見えません」
エアは少し微笑んだ。
「そう見えてしまうことは、わかってるよ。でもね……まだわからないんだ。私にどれくらいの罪があって、私にどんな償いができるのか。ずっと考えてる」
「……そんなの、誰も求めていないと思います」
「私は、罪なんてなくても人を助けたかった。でもその気持ちが空回りして、人をたくさん傷つけて、罪を背負うことになった。でもその罪を償うために、また人を助けようとして、そしてその助けた人たちを……また死なせてしまった。私はそれを、何度も繰り返してきたような気がするんだ」
アリシアは、目の前にいる、無垢な少女をどう認識すればいいのかわからなかった。彼女の手は、魂は、血にまみれているはずだったのに、目の前にいる彼女に対する印象は、はじめて会った時と少しも変わらなかった。明るく、活発で、優しく、そして……妙に思慮深いところがある。
「エアさん。あなたにとって、他の人の感情は、なんなんですか」
「そこにあるもの、だよ。私のと同じ、ただそこにあるもの。それを、どのように行動に変えるかは、その人次第。よく考えないといけない。でも、よく考えたからといって、うまくいくとは限らないし、考えなかった時の方が、マシだっていう場合もたくさんある」
「私は、あなたのことがよくわからない」
返事は、帰ってこなかった。エアはただ黙って、こちらを見つめているだけだった。彼女が何を考えているのか、アリシアにはわからなかった。わかりたいとも思えなかった。