73、夏闘祭⑧
海を行くエクソシアの行く手を阻む男がひとりいた。ザルスシュトラだ。
その後ろには、ソフィスエイティアが控えめな態度で立っている。まるで従者のように。
「お前は……」
「イグニスの友人、ザルスシュトラだ。こうして面と向かって話すのは初めてだな」
エクソシアは裁断の原理を手に持って、威圧するようにザルスシュトラをにらみつけた。
「何のつもりだ」
ザルスシュトラは軽やかに笑った。そして、彼もまたその右手に裁断の原理を創り出した。
「一度試してみたかったんだよ。全てを切り裂く剣と剣がぶつかったなら、何が起こるのか」
エクソシアは、ザルスシュトラが言い終わるとともにその剣を空に薙いだ。横向きに倒れた衝撃波を、ザルスシュトラは高度をあげることによって回避する。後ろに立っていたソフィスエイティアの幻影は切り裂かれ、真っ二つになったが、すぐさまもとの姿に戻る。
「好戦的だな、君は」
「俺は力だ」
「力を試したいと君も思うだろう? 直接打ち合おうじゃないか」
ザルスシュトラは、ゆっくりとエクソシアに近付いていく。そこには恐ろしさがまったく含まれておらず、親しさのみがそこにあった。エクソシアにとって、それははじめての体験だった。親しみをもって自分に近付くものなど、今まで誰もいなかった。
エクソシアは拒絶するようにもう一度剣波を放つ。ザルスシュトラは優雅に、踊るようにそれを交わしながら、その距離を縮める。
エクソシアは舌打ちをして、自らの身にまとった風の魔力の効果範囲を拡大させ、自らも後方に移動し、距離をとる。
「君はこの剣の使い方を十分に知らないみたいだな」
その声が聞こえたのは、彼がいるはずの正面ではなかった。エクソシアが後方に振り返ると、そこには、薄いカーテンをくぐるように、空間の隙間から体を表すザルスシュトラの姿があった。
「まぁこういう使い方は短距離転移魔法の劣化版でしかないんだけどね」
その空間の隙間から、遅れてソフィスエイティアも出てくる。彼女は、困惑するエクソシアに説明する。
「エクソシア。裁断の原理は、空間を切り裂いて、繋ぎ合わせることもできる。その気になれば……私を存在ごと真っ二つにすることもできる」
「教えをこうつもりは……」
そう言おうとした瞬間、ザルスシュトラはエーテルの壁を蹴ってエクソシアに急接近した。その動きは、エアたちとの戦いの際、カタリナが見せたものとよく似ていた。
エクソシアはとっさに裁断の原理をザルスシュトラに向けて振り下ろす。直接切り裂いてしまえば、戦いの技術の差は関係がない。しかし。
エクソシアの視界は、真っ二つに分かたれた。片方の目にうつるのは、自らの右手に持つ、短くなった裁断の原理。もう片方の目には、空間に溶けていく、刃の先であったもの。
ザルスシュトラは、裁断の原理ごと、エクソシアを真っ二つに切り裂いたのだ。
「やっぱりだな。より強力な方が、そうでない方を破壊する。この点では普通の武器と同じみたいだ」
エクソシアは周囲の魔力を集めて、体の形を保とうとする。しかし、ザルスシュトラはそれを許さず、エクソシアを粉みじんに切り裂いていく。エクソシアは、もはや思考すら保てない、魔力の塊のような姿で、空中に漂う。ただ、その習性にしたがって、なんとか一か所に集まって体を形成しようとするのみだ。
「ソフィスエイティア。君たちには、核が存在しないんだな」
「私も知らなかった。そんな風になっても、死なないなんて」
「彼を君が吸収するようなことはできないのか」
「できるかもしれないけど、したくない。私の本質が損なわれるから」
「そうだな」
ザルスシュトラは、満足したようにエクソシアを切り裂き続ける手を止め、裁断の原理も消滅させた。
ゆっくりと時間をかけて、エクソシアの姿は元に戻っていく。エクソシアは再び裁断の原理を持ち、風の魔法で自らを遠くに飛ばし、距離をとる。戦意はまだ失っていない。
「うん。ソフィスエイティア。もう行こうか。彼には、好きにやらせる」
「わかった」
取り残されたエクソシアは、ザルスシュトラがやっていたように、空間を切り裂いて別の地点につなげられないか試したが、できなかった。空間は切り裂かれた瞬間にその場で結合し、人が入ることのできるような裂け目を維持することができなかった。
そのような技術は、純粋な力とは異なる、知恵の領分だとエクソシアは感じた。
破壊するだけでない。繋げる力。自分に足りないもの。どうやっても、手に届かないもの。
欲しいとは思わない。それどころか、あったのは敵意だけだった。
自分に理解できないものがある。自分を否定するものがある。そこには、言いようのない苦痛があった。
逃れる道はただひとつ。エクソシアはわかっていた。自分が為すべきことを。
エアを殺して、あるいはエアに殺されて、自分という存在を、彼女と同じくすること。
それだけが、力の正しい行き先なのだ。